青木美優 亡き母の天国からの応援を背に、予選初白星へ!

2021.11.09

106期は2014年3月に平塚競輪場で卒業記念レースをして、2カ月後の同年5月にはデビュー戦が決まっていた。

青木のデビュー戦の舞台は奈良競輪場だった。

 

勝ち上がりには失敗したが、最終日の一般戦では打鐘過ぎから前々へ踏み込み、カマシ先行。

飯塚朋子にまくられたが、2着に逃げ粘り車券に貢献した。

 

「デビューから8年になるけど、逃げの決まり手が付いたのはデビュー戦の奈良最終日だけ(笑)。

3走終わって賞金をもらったとき、『すくない』って思ったけど、もっと頑張らないと思いました」と当時を振り返る。

 

賞金袋はデビューからずっと封を開けず母親に渡していたそうだ。

 

 

家族が見に来てくれた同年6月の松戸で初めて決勝進出。

初勝利はデビューから8カ月後の小倉最終日に挙げた。

 

「初勝利は同期の中でも遅かったので焦りはありました。

でも同期のみんなは頑張れっていつも声をかけてくれていたので、心折れることなく頑張れました」

 

 

派手な成績こそ残せなかったが、地道に着実に脚力を付けていき、車券に欠かせない存在へ成長した青木だが、メンタルが保てない時期もあった。

 

19年4月、最愛の母との別れ。

ひとり親で兄妹2人を立派に育ててくれた母の死は、青木にとってとても厳しい状況だった。

 

 

そんなどん底の時期をすくってくれたのも同期の存在だったと教えてくれた。

 

「母の死をなかなか受け入れられず練習へのモチベーションも下がっていたけど、同期のみんなが心配してくれた。

そのおかげで少しずつ練習することもできるようになったし、レースに復帰することができました」

 

 

20年夏には西武園、地元宇都宮で続けて落車。

ろっ骨を骨折したが、大事に至らなかったのは丈夫な体で産んでくれた母のおかげだろう。

 

栃木支部の神山雄一郎選手、江連和洋選手

 

「私は1人ではここまで選手を続けられていないと思う。

同期、師匠や地元栃木支部の練習仲間、周りに助けてもらいながら、なんとかやれています。

 

自転車のことは石井寛子さんにいろいろ見てもらっています。

親しみを込めて寛子って呼ばせてもらっています。

 

一緒の開催になるとセッティングを見てもらい、その後はだいたい成績がいい。

10月の宇都宮で見てもらったからこれから成績が良くなると思いますよ」

 

石井寛子選手

 

 

最後に今後の夢を聞いてみた。

 

「今年で8年目になるけど、優勝っていうのはまだ早いかな。

いままで22勝(11月4日現在)しているけど、全部最終日の一般戦。

まずは予選で1着を取ってみたい。

優勝はその後ですね。」

 

 

高木真備や小林優香、石井貴子に奥井迪のように白星を量産するタイプではないが、3連単車券には欠かせない存在になっている青木美優。

 

ガールズケイリンを勧めてくれた亡き母の天国からの応援を背に、予選初白星を決めてくれるはずだ。

 

 

 

 

青木美優 Miyuu Aoki

誕生日:199449
期別:106期
登録地:栃木県

 

松本直 Suguru Matsumoto

誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)

 

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