【プロ野球・ヤクルトスワローズから競輪へ】松谷秀幸選手

2023.06.30

競輪選手になるキッカケ

 

———戦力外通告を受けた後はどうされていたのですか?

 

ヤクルトの本社で営業として働いていました。

サラリーマン生活は“楽”でしたが給料が安かったので、子どもも2人いて、生活はすごく苦しかったんです。

そんな時に通勤中、「競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の受験資格の年齢制限撤廃」の広告を見かけました。

 

生活を変えたかったし、パワーマックスのトレーニングも経験していたので、「やってみよう」とすぐに願書を送りました。

知人から師匠の佐々木(龍也)さんを紹介してもらい、弟子入りして競輪学校は適性試験で一発合格できました。

 

(写真左)松谷選手の師匠・佐々木龍也さんの息子の佐々木龍選手

 

競輪学校に入ると、深谷(知広)をはじめ同期は若くて強い選手ばかり。

「これは無理だよ…」って、プロ野球選手の時と同じ気持ちになりましたね。笑

競輪選手としてデビューした後も「強い選手がこんなにいるのか…」と焦りも感じました。

でも今回は、競輪選手になったことだけで満足せずに、地道にしっかりやろうと心に決めていたんです。

「人生の危機」、あの苦しい生活を経験して、家族にもたくさん迷惑をかけました。

だから、「もう家族を路頭に迷わせるようなことはしたくない」という思いで、頑張っています。

 

落車も多く何度もケガをしましたが、師匠から復帰までのプロセスや物事の考え方なども教えてもらい、大幅に成績も落とすことなくここまでやってきました。

本当に周りから助けてもらいながら、走り続けられています。

 

 

松谷選手にとっての競輪選手とは

 

競輪は「気持ちが切れたら終わりのスポーツ」だと思うんです。

強い選手がケガをして気持ちが切れてしまい、なかなか強かった頃に戻れないという姿を何人も見てきました。

僕だって心が折れそうになることもあります。

でもそんな時は、「また戦力外になってしまう」と思うようにしています。

挫折や失敗を経験したからこそ、“転身”が上手くいく時もあります。

「あの時みたいになりたくない」という思いがあれば、頑張れますよね。

 

また野球のようなスポーツは、自分の調子がいくら良くても、監督やチームから“使ってもらえないと”力を発揮することができません。

競輪選手は原則、月2~3本のレースがあり、巻き返しのできるところが良いと思います。

オフのない競輪では、喜怒哀楽をなるべく減らして、気持ちを常に平常心で保つことも大切です。

 

そして競輪は、強い選手が必ず勝つわけじゃないところが面白いと思います。

どんなに難しいレースでも、“もしかしたら”があります。

流れや展開によって、結果が変わるところも魅力の一つです。

 

僕は今年41歳になります。

華はありませんが、泥臭く、地道に頑張っているところを見てほしいですね。

 

 

 

松谷秀幸 Hideyuki Matsutani

 

1982年10月16日生まれ、大阪府大阪市出身。

身長181.0cm、体重87.0kg。

登録地は神奈川県、ホームバンクは川崎競輪場。

2009年7月4日に96期としてデビュー。

 

リフレッシュは愛犬の散歩。

「オーストラリアンラブラドゥードルを2匹、プードルを3匹、キャバリアを1匹の、計6匹飼っています。山下公園などみなとみらいエリアに愛犬たちと行くのがお気に入りです」

 

◆詳しいプロフィールと出走情報はこちら

 

 

<経歴>

1982年 大阪府大阪市で誕生

1998年 興南高校(沖縄県)に入学

2001年 ヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)入団

2006年 戦力外通告

2007年 競輪学校(現:日本競輪選手養成所)第96回生徒入学試験を受験

2008年 競輪学校入学

2009年 競輪選手デビュー

2011年 S級に特別昇級

2013年 『花月園メモリアルin小田原』でGⅢ初優勝

 

 

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