【アルペンスキー選手→中学校教員からガールズケイリンへ】奥井迪選手
2023.07.26
競輪選手には“様々な過去”を持つ選手たちがいます。
プロ野球選手、Jリーガー、オリンピックメダリストだった“過去”を持つスポーツエリートから、学校の先生、会社員、公務員、美容師などの“過去”を持ち活躍している選手もいます。
競輪選手を目指した理由(わけ)
そんな“様々な過去”を持つ競輪選手がどんな人生を歩み、どんなことをキッカケに競輪選手になる決意をしたのかをインタビューで紹介します。
自転車とは無縁だった“過去”を経験したからこそ分かる「競輪選手という職業」の魅力について語ってもらいます。
◆ 奥井迪 Fumi Okui(東京・106期)
北海道札幌市で生まれ育ち、学生時代はアルペンスキー選手として活躍。
高校の時のインターハイでは「回転(スラローム)」で優勝。
ジュニアのナショナルチームにも所属しました。
早稲田大学へ進学後は、冬季ユニバーシアードに日本代表として出場し、国民体育大会「大回転(ジャイアント・スラローム)」優勝など、数々の好成績を収めました。
当然、オリンピック出場を夢見ていましたが、“限界”を感じて断念。
大学卒業後は地元・札幌市の中学校で保健体育の教員として働きながら、少年団のスキーを指導していました。
自転車との出会いは、トレーニングの一環で乗っていたロードバイク。
そのことがキッカケで、ロードレースの市民レースにも参加するようになりました。
ガールズケイリンの存在を知り、ガールズサマーキャンプ(現:トラックサイクリングキャンプ)に参加。
約半年後には競輪学校(現:日本競輪選手養成所)を受験し、見事合格しました。
2014年にデビュー。翌年には『ガールズグランプリ』にも出場。
2022年、40歳9カ月で自身初となるビッグレースのタイトル獲得。
ガールズケイリン10周年記念レース『ティアラカップ』で優勝しました。
今年3月には通算500勝達成※など、41歳となった現在もガールズケイリンを牽引しているトップアスリートです。
※ガールズケイリンでは2人目、男子選手を含めても45人目の大記録。
夢はアルペンスキーでオリンピック出場
幼い頃から身体を動かすことが好きでした。
小学校1年生の時に友達に誘われて、アルペンスキーの少年団に入ったんです。
すごく楽しくて、「スキーでオリンピックに出ること」が夢になりました。
夏はトレーニングの一環で自転車に乗っていました。
小学生の時はマウンテンバイクに、中学生になってからはロードバイクに乗っていたので、当時から自転車は身近でしたね。
スキーの強豪校の札幌第一高校に入り、高校2年生の時にインターハイの「回転」で優勝しました。
ジュニアのナショナルチームにも呼んでいただいて、ヨーロッパ各地の国際大会にも参加させてもらっていました。
でも海外の選手たちとは、レベルが全然違ったんです。
世界との差を目の当たりにして…。
自分の力に限界を感じましたし、「将来スキーで食べていくのは難しいのかな」と思ってしまいました。
早稲田大学に進学してからも、「少しでも世界との差を縮めたい」という気持ちで頑張っていました。
ユニバーシアードなどの国際大会にも出場させてもらっていました。
でも、高校生の時に感じた“挫折”の気持ちが心のどこかにあって、努力しきれなかったところがあったんだと思います。
スキーを大学までは続ける選手が多いですが、その後企業に所属して競技を続けられる選手は、ほんの一握り。
私もプロになる道を考えたこともありましたが、先は見えないし、人生の全てを賭けてスキーを続けていく自信はありませんでした。
中学校の教員として勤務
父が高校の教員だったこともあり、大学時代に教育実習へ行き、中学・高校の保健体育の教員免許を取得したんです。
大学卒業後は「地元で教員になろう」と決め、在学中から採用試験を受けて2回目で合格できました。
8年間、教員として働きました。
教員生活は同僚にも恵まれましたし、子どもたちは純粋ですし、毎日楽しく過ごしていました。
学校祭や合唱コンクール、楽しい思い出がたくさんありますね。
教えるということより、子どもと関わることが好きなんだと実感しました。
休みの日は少年団で、子ども達のスキー指導もしていました。
そのトレーニングで乗っていたロードバイクに、どんどんハマっていったんです。
最初はアルミフレームのものを買ったんですが、物足りなくなってフルカーボンフレームのロードバイクにも手を出しました。笑
自転車が楽しくて、『ツール・ド・北海道』という市民レースにも何度か出場しました。
ガールズケイリンが始まったことは知っていましたし、「やってみたい」という気持ちもあったんです。
高校のスキー部の先輩にも競輪選手だった藪下昌也さんがいて、OB会でお会いした時にガールズケイリンのお話を聞きました。
当時は自転車への興味もありましたし、“プロ”への憧れもありました。
そして、学生時代に頑張りきれなかった自分への後悔もありました。
また、少年団のお手伝いをして初めて運営側の立場になって、その大変さを知り、今まで“当たり前”のようにやっていたスキーも「こういう人たちのおかげでやれていたんだ」と気付いたんです。
だから、この感謝の気持ちを持った上で、改めて競技に臨んでみたいという思いもありました。
スキーを教えることも楽しかったんですが、「ガールズケイリンに挑戦してみたい」という思いが上回りましたね。
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