【Jリーグから競輪へ】北井佑季選手
2023.08.23
競輪選手には“様々な過去”を持つ選手たちがいます。
プロ野球選手、Jリーガー、オリンピックメダリストだった“過去”を持つスポーツエリートから、学校の先生、会社員、公務員、美容師などの“過去”を持ち活躍している選手もいます。
競輪選手を目指した理由(わけ)
そんな“様々な過去”を持つ競輪選手がどんな人生を歩み、どんなことをキッカケに競輪選手になる決意をしたのかをインタビューで紹介します。
自転車とは無縁だった“過去”を経験したからこそ分かる「競輪選手という職業」の魅力について語ってもらいます。
◆ 北井佑季 Yuki Kitai(神奈川・119期)
北井選手は元プロサッカー選手。いわゆるJリーガーでした。
小学5年生から中学3年生までは、横浜F・マリノスのジュニアユースに所属。
高校から元日本代表の中村俊輔選手も輩出した神奈川県のサッカー強豪校・桐光学園高校に進学。2年生の時に出場した全国高校サッカー選手権大会ではベスト8になりました。
近畿大学に進学後、2年生の時にスカウトされてFC町田ゼルビアに加入。
その後は松本山雅FC、カターレ富山、SC相模原でプレーをし、2018年にプロサッカー選手を引退しました。
競輪選手への転向を決意すると、約半年間の練習で日本競輪選手養成所の技能試験に合格。
2021年に119期としてデビューしました。
翌年にはS級へ特別昇級。今年はGⅠ開催に初出場し、いきなりの準決勝進出。
抜群の先行力でレースを盛り上げる、現在33歳の“オールドルーキー”です。
ジュニアユースと高校サッカー
神奈川県横浜市で生まれて、3歳から地元のチームでサッカーを始め、自然と将来はプロサッカー選手になるもんだと思うようになりました。
小学5年生の時に横浜F・マリノスのジュニアユースのセレクションを受けて、合格しました。
中学生は1学年15人くらい居ましたが、その中から高校生のユースに上がれるのは3、4人だったんです。
僕はそのセレクションで落ちてしまい、高校サッカーをやるために桐光学園へ進学しました。
部活に入るのは初めてでしたが、ユースには無かった“根性論”で頑張る雰囲気が僕には向いていましたね。笑
高校2年生の時からレギュラーに選ばれて、全国大会ではベスト8まで行きました。
高校卒業後にプロサッカー選手になることが目標でしたが、声が掛からなくて…。
親に大学の学費を出してもらうことは気が引けたので、サッカー推薦の話をいただいた中から学費も寮費も全額免除と言ってくださった近畿大学に進学しました。
でも、大学2年生の時にFC町田ゼルビアからスカウトしてもらったんです。
すぐに「行こう」と決意しました。
Jリーグデビュー
プロの練習は2時間ほどで、身体のキツさはあまりありませんでした。
でも、その短い時間の中で次の試合に出るメンバーが決まるので、毎回の練習がセレクションのようでした。
試合に勝てば勝利給をもらえることや、「お金を払って見に来てくれたお客さんのために頑張りたい」と思うようになって、プロになったことを実感しましたね。
“町田”には3年間在籍して、松本山雅FCに移籍しました。
松本での2年目にはチームがJ1へ昇格して、すごく嬉しかったです。
松本山雅FCでプレーする北井選手
J1に昇格すると資金も増えるので、チームは強い選手を補強します。
それで「このまま居ても、今後試合に出るのは厳しい」と言われたんです。
契約は1年残っていましたが「試合に出ていたほうが次に声が掛かりやすい」と思い、カターレ富山への移籍を決めました。
“富山”では3年間、常に試合に出してもらっていました。
だから契約は更新されるものだと思っていたんですが…。
翌年の契約交渉時に出された提示額は“0円”。
J3残留が続き、スポンサーからの出資が減ったので、年俸の高い選手を手放して若手選手を育成する方針になったことを説明されました。
クビになる時は書面に“0円”と書いてあると聞いてはいたんです。
「これが噂の…」とか「わざわざ書かなくてもいいのに」と思いましたね。笑
悔しい思いはしましたが、僕はあまり落ち込むタイプじゃないんです。
すぐに気持ちを切り替えて、SC相模原に移籍しました。
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