【Jリーグから競輪へ】北井佑季選手
2023.08.23

———競輪選手の道はいつから考えられていたのですか?
松本に居た頃から考えていました。
幼馴染のお兄さんが小菅誠さん(神奈川・90期)で、競輪選手が身近な存在だったからです。
平塚競輪場にレースを見に行った時、ゴリゴリの体をした競輪選手の中で、1人だけ細いのに強い選手が居たんです。
当時の僕も62kgくらいと細かったので「何かコツがある?」「それを掴めば、自分にもできるんじゃないか」と思ったキッカケでした。
その選手は近藤龍徳(愛知・101期)で、今ではすっかり仲良くなりました。
“相模原”が1年でクビになり、それから2ヶ月ほどタイへ行っていたんです。
当時のタイは、サッカー人気が出始めた頃で、数チームの練習に参加しましたが契約には至らず、競輪選手への転向を決意しました。
帰国後すぐに小菅さんに連絡をして、サッカーから転向した河野淳吾さん(神奈川・99期)を紹介してもらい、淳吾さんの師匠の高木隆弘さん(神奈川・64期)に弟子入りすることになりました。
初めて競輪用の自転車(ピスト)に乗った時は、ブレーキも付いてないし、足も止まらないし、「これ、本当に自転車?」と思いましたね。笑
もう子どもが居たので、養成所の受験は1回だけと決めていたんです。
はじめは自転車競技未経験者向けの適性試験を受けようと思っていましたが、師匠の勧めもあり(試験科目に自転車走行時間がある)技能試験を受けて、合格することができました。
養成所に入り、同期とは年齢差がありましたがみんな慕ってくれましたし、僕も若かった頃を思い出して一緒に全力で楽しみました。笑
在所順位は70人中55位でしたが、デビューに向けての不安は無く、「やることをやってダメだったら仕方ない」という思いでした。
2年目でS級に上がり、今年2月に初めてGⅠ『読売新聞社杯全日本選抜競輪』に出場して「やっとここで走れるようになった」と感じました。
一流選手が集まるGⅠは他と違う雰囲気がありましたし、常に上位にいる選手の“うまさ”を見て、自分の課題も見つかりました。
目標はデビュー当初から変わらない「KEIRINグランプリで逃げ切ること」です。
なかなかできることではありませんが、成し遂げたいです。
職業・競輪選手の良さ
競輪は努力が報われやすく、ほぼ100%自分に返ってくるところが良いですね。
上に行けば行くほど、“根性論”だけではどうにもなりませんが、それが無いとダメな部分も大きいと思うので、競輪選手が自分に向いている職業だと感じています。
やってきた競技で悔しい思いや大変な思いをしてきた。
でも、まだアスリートとしての気持ちは燃え尽きていない。
そんな人も、競輪選手に向いていると思います。
競輪はライン戦で、自分のことだけを考えて走っているわけではありません。
その面白さを感じてもらいたいです。
北井佑季 Yuki Kitai
1990年1月27日生まれ、神奈川県横浜市出身。
身長169.0cm、体重78.0kg。
登録地は神奈川県、ホームバンクは平塚競輪場。
2021年5月1日に119期としてデビュー。
◆詳しいプロフィールと出走情報はこちら
<経歴>
1990年 神奈川県横浜市で誕生
1999年 横浜F・マリノスのジュニアユースに加入
2006年 桐光学園高校(神奈川県川崎市)入学
2009年 近畿大学(大阪府東大阪市)入学
2010年 FC町田ゼルビアに加入
2013年 松本山雅FCに移籍
2015年 カターレ富山に移籍
2018年 SC相模原に移籍、プロサッカー選手を引退
2019年 日本競輪選手養成所 第119回生入所試験を受験
2020年 日本競輪選手養成所入学
2021年 競輪選手デビュー
2022年 S級へ特別昇級
2023年 GⅠ初出場で準決勝進出
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