【バスケットボール大学日本一からガールズケイリンへ】岩崎ゆみこ選手
2023.09.20
競輪選手には“様々な過去”を持つ選手たちがいます。
プロ野球選手、Jリーガー、オリンピックメダリストだった“過去”を持つスポーツエリートから、学校の先生、会社員、公務員、美容師などの“過去”を持ち活躍している選手もいます。
競輪選手を目指した理由(わけ)
そんな“様々な過去”を持つ競輪選手がどんな人生を歩み、どんなことをキッカケに競輪選手になる決意をしたのかをインタビューで紹介します。
自転車とは無縁だった“過去”を経験したからこそ分かる「競輪選手という職業」の魅力について語ってもらいます。
◆ 岩崎ゆみこ Yumiko Iwasaki(茨城・116期)
埼玉県さいたま市出身。
小学1年生でバスケットボールを始め、大学卒業までの16年間続けました。
中学では学校の部活とクラブチームを両立。
高校は特待生で昌平高校(埼玉県北葛飾郡)へ進学し、県大会では準優勝だったそうです。
その後、東京医療大学へ進学。
岩崎選手は2017年の初優勝をレギュラー選手として出場しました。
兄の友人の父親が元競輪選手だったことから、ガールズケイリンの存在を知った岩崎選手。
大学卒業後の進路にガールズケイリンの道を選び、競輪学校(現:日本競輪選手養成所)は自転車競技未経験者対象の適性試験で合格。
2019年にデビューし、初優勝は2021年。
今年は5回目の優勝を果たし、今後さらなる飛躍が期待される選手です。
ずっとバスケットボールに熱中
両親と兄、姉、私、弟の6人家族で、大宮(埼玉県さいたま市)で育ちました。
小さい頃から活発で、負けず嫌いでした。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんに勝ちたい!」と、いつも張り合っていたそうです。
小学校1年生の時に、ミニバスケットボールのチームに入りました。
兄が野球をやっていたので、姉と私にも何かスポーツをさせたいという母の思いからでした。
近所の小学校を拠点に活動していたチームだったのですが、たまたま埼玉県内では強豪のチームだったんです。
毎週のように県外に遠征して、試合や合宿をしていました。
白の5番が岩崎選手
中学は地元の公立校で、バスケットボール部に入りました。
“ミニバス”の監督の勧めもあって、部活とは別に「ガウチョーズ」というクラブチームにも所属したんです。
放課後に部活で練習したあと、クラブチームの練習に参加していました。
クラブチームの練習は、部活とは比にならないくらいキツくて、レベルや質、量も全く違うものでした。
それもあって中学の部員の中では、上手かったと思います!笑
部活・クラブチームの両方で、キャプテンも務めました。
高校は特待生に選んでもらった昌平高校に進学しました。
高校3年生の最後の県大会で、怪我をしてしまって…。
試合には出たものの、使い物にならなくて、チームの皆んなに迷惑をかけてしまいました。
県大会2位という結果で終わってしまい、悔しかったし、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。
「バスケは高校まででいいかな」と思っていたんですが、最後の大会で悔しい思いをしたことや、同期の友人が「大学でも一緒にバスケしようよ」と誘ってくれたことで、大学でも続けることにしました。
そのキッカケを作ってくれた友人は、今も“バスケ”を続けています。
私の一番仲の良い友人の津村ゆり子は、東京羽田ヴィッキーズに所属している女子プロバスケットボール選手です。
ゆり子と私は、関東大学女子バスケットボール連盟の“二部リーグ”に所属している大学を探していたんです。
“一部リーグ”だとチームのレベルが高く、「試合に出られないかもしれない」と思っていました。
入学した東京医療保健大学は当時“二部”でしたし、監督さんが昌平高校にも練習を見に来てくれたことのある方だったので選びました。
でも、私たちの入学前に“一部”に昇格してしまって!
いざ入部すると、「日本一を目指しています」と言われて、「これはやばい…」って思いました。笑
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