【アルペンスキー選手からガールズケイリンへ】石井貴子選手(106期)

2024.01.26

競輪選手には“様々な過去”を持つ選手たちがいます。

プロ野球選手、Jリーガー、オリンピックメダリストだった“過去”を持つスポーツエリートから、学校の先生、会社員、公務員、美容師などの“過去”を持ち活躍している選手もいます。

 

競輪選手を目指した理由(わけ)

 

そんな“様々な過去”を持つ競輪選手がどんな人生を歩み、どんなことをキッカケに競輪選手になる決意をしたのかをインタビューで紹介します。

自転車とは無縁だった“過去”を経験したからこそ分かる「競輪選手という職業」の魅力について語ってもらいます。

 

石井貴子 Takako Ishii (千葉・106期)

 

 

岐阜県美濃加茂市生まれ。

両親の影響で2歳からアルペンスキーを始め、高校時代は全国高等学校選抜スキー大会の大回転で2位。早稲田大学に進学しました。

大学卒業後は商社の営業職として働いていましたが、通勤電車でふと「競輪選手になろう」と決意。それから約半年後には競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の試験に合格。

2014年にデビューし、翌年の『ガールズケイリンコレクション2015松戸ステージ』を制して『ガールズグランプリ』に初出場。

2018年・2019年は2年連続『ガールズグランプリ』で準優勝と順風満帆な選手生活を送っていましたが、その後2度も大ケガを経験。

現在は体調も戻りつつあり、2024年は再びビッグレースでの活躍が期待されています。

 

 

アルペンスキーに夢中でした

 

両親の趣味がアルペンスキーで、2歳の頃から私もスキーを履くようになり、小学生の頃から大会に出ていました。

それがきっかけでスキーが大好きになり、雪の上にいられるだけで幸せでしたね。楽しくてしょうがなかったです。

シーズンオフの夏はロードレーサーに乗ったり、陸上競技をトレーニングとして行い、冬はスキー場で練習をして大会に出ていました。

 

高校生になってからは、日本でまだ雪が降らない秋に、ヨーロッパなどの海外へトレーニングに行かせてもらい、帰国後にシーズンインする生活を送っていました。

私はナショナルチームに選ばれて、海外の大会に出場できるようなレベルの選手ではなかったので、道具代や遠征費などにとてもお金がかかったんです。

好きなことに挑戦させてくれた両親にはとても感謝していますし、自分で収入を得られるようになった今、「お父さん、お母さん、お金のかかる娘で本当にすみませんでした…」って感じています(苦笑)。

 

 

高校卒業後は、アルペンスキーの本場ヨーロッパで競技をやってみたいと思っていました。

実際にどのエリアに行くかを決めるために向かった高校3年生の遠征時、トレーニング中にひざの靭帯(じんたい)を断裂してしまったんです。

以前にも同じケガの手術とリハビリを経験して、その大変さは分かっていました。なので、海外への挑戦を諦め、国内の大学に進学してスキーを続けようと決めて、早稲田大学のスポーツ科学部に進学。

大学には有名なアスリートや優秀な学生がたくさんいて、毎日が刺激的でした。

また、先生の中にはオリンピック選手の手術を担当するような外科医もいて、そんな先生の授業も受けられる最高の環境で大学生活を送ることができました。

 

でも、スキーでは4年間の在学中もケガに悩まされて、苦しむシーズンがほとんどでした。

1年生の時は競技復帰までに時間がかかり、3年生の時には反対側のひざをケガ。海外遠征で肩を完全脱臼してしまったこともありました。

大学で体のことを勉強していく中で、自分の骨格や筋の付き方がアルペンスキーの競技特性に不向きだったことも分かりました。

 

この先、社会人になってスキーを続けていくことは現実的でないことも知れたので、就職活動をして興味があった商社に営業職として内定をもらうことができました。

でも、スパッと“社会人モード”に切り替えられたわけではありませんでしたね。

「スキーから離れたくないけど、どうしようもない。お仕事があるならそれを頑張ったらいいんじゃない?」と自分に言い聞かせる毎日でした。

 

 

 

突然浮かんだガールズケイリン

 

「仕事を一生懸命やりたい」と思えたら良かったのですが…。

毎日ぎゅうぎゅうの満員電車で通勤していると気持ちもさらにモヤモヤして。「道を間違えちゃったのかな」と、比較的早くから思ってしまいました。

そんな中で、ある朝ふと「競輪選手になろう」と思ったんです。

 

ガールズケイリンのことは始まる前から知っていましたし、スキーのオフシーズンのトレーニングにピストバイクを導入したいと思っていた時期があり、ガールズサマーキャンプの第1回に(現:トラックサイクリングキャンプに応募したこともありました。

(東京メトロ)日比谷線の電車の中、通勤中に押しつぶされながら、思い浮かんだのがガールズケイリンだったんです。

“心にストン”と落ちた気がして、即決でしたね。

 

それからは、仕事を続けながら早朝や休日に練習をして、競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の技能試験の1カ月前に会社へ辞表を提出。試験は一発合格できました。

 

 

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