【プロキックボクサーから競輪へ】鈴木裕選手

2024.01.19

練習方法を模索

 

競輪学校での生活は、かなり快適でした。

92期はみんな仲が良くて、ずっと修学旅行みたいな感じで、すごく楽しかったです(笑)。

 

僕は他の人より自転車経験が浅いから、「とにかく乗らないと」という思いでした。

先生からは「毎日200km以上、サドルから火が出るくらい乗れ」と言われていたので、デビュー後もその距離を乗り続けていたんですが、結果は全然ダメで。“ダメだから、また乗る”。

乗りすぎてレースでもがく前に足がいっぱいになってしまって、これが負の連鎖だったんですよね。

 

その頃、師匠(酢崎良雄さん)の紹介で、中村浩士さんのもとで練習させてもらうようになりました。

“中村道場”では、1本もがいて、1周休憩を10本やるような練習で、僕がやっていた長い距離を乗る練習よりもずっとキツかったです。

それから成績も上がり、どんどんやりがいも感じていくようになりました。

※日本競輪選手会千葉支部長も務める中村浩士選手(千葉・79期)が率いる練習グループ

 

 

S級にはデビューから2年半で上がれましたが、それからは“波”だらけでした。

トップの選手は、調子が悪い時でも一定の高いレベルを保てるのですが、僕の場合は調子の良い時と悪い時の差がはっきりと出てしまいました。

 

その原因は“練習のやりすぎ”だったのかもしれません。

僕は10年以上、1日14時間以上自転車に乗っていたんです。他の選手と練習したりすると歯止めがきかなくなって、さらに自分を追い込んでいました。

あまりにも自分を追い込みすぎて、喘息(ぜんそく)になったり、尿酸値も上がって痛風になってしまったり…。

 

そんなこともあって、4年前ほど前から“一人練習”にシフトし、体がラクでも“8割まで”と決めて、練習量も10分の1に減らしたんです。

かなり勇気がいる選択でしたが、体も成績も良い状態を保てるようになりました。

 

今はあまり先の目標は考えずに、目の前の一本一本を大切に走っています。

死ぬまで競輪選手を続けられるよう、これからも頑張っていきたと思います!

 

 

競輪選手の魅力

 

プロキックボクサーの場合は、世界チャンピオンなどのトッププロにならない限り、“専業”としてやっていくのは無理なんじゃないでしょうか。

日本チャンピオンくらいじゃ食っていけないと思います。

 

それに比べて、たくさん稼げる競輪は職業として魅力しか無いです!

キックボクシングは負けると試合が組まれなくなって終わりですが、競輪は負けても次のレースがあります。そこもすごく良いところです。

 

他のスポーツをやっていて“くすぶっている人”は、競輪に来たらいいと思います。

競輪というスポーツは、練習量や考え方でどうにでもなる気がするんですよね。

僕も自分では“競輪の素質”があるとは思いませんが、S級1班で戦えています。

 

セカンドキャリアの選択肢として、ぜひ『競輪選手』という道も知ってほしいです。

僕は競輪選手になって、間違いなく良かったです!

 

 

いつでも1着を目指して走る競走を心がけています。

最近は人の後ろにつくようになり、責任が変わって難しい面もありますが、毎レース全力で取り組んでいきます。

 

 

鈴木裕 Hiroshi Suzuki

 

1984年12月9日生まれ、埼玉県三郷市市出身。

身長178.6cm、88.0kg。

登録地は千葉県。

2007年7月6日に92期としてデビュー。

 

ヒップホップが大好きだという鈴木選手。

「ラッパーのKEN THE 390とは友達なんです。キックボクシングをやっていた頃に『入場曲を作ってあげる』と言われていたんですが、作ってもらう前に引退することになってしまって。もったいないことしました」

 

◆詳しいプロフィールと出走情報はこちら

 

<経歴>

1984年 埼玉県三郷市で誕生

1986年 キックボクシングを始める

2002年 プロキックボクサーとしてデビュー戦で、1R KO勝ち

2002年 2戦目は、3R判定3-0で勝利

2006年 競輪学校(現:日本競輪選手養成所)入学

2007年 競輪選手としてプロデビュー

2011年 『松戸記念(GⅢ)』優勝

2012年 『日本選手権競輪』で初のGⅠ決勝進出

2020年 通算300勝達成

 

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