【市役所職員から競輪へ】皿屋豊選手
2024.03.15

競輪選手には“様々な過去”を持つ選手たちがいます。
プロ野球選手、Jリーガー、オリンピックメダリストだった“過去”を持つスポーツエリートから、学校の先生、会社員、公務員、美容師などの“過去”を持ち活躍している選手もいます。
競輪選手を目指した理由(わけ)
そんな“様々な過去”を持つ競輪選手がどんな人生を歩み、どんなことをキッカケに競輪選手になる決意をしたのかをインタビューで紹介します。
自転車とは無縁だった“過去”を経験したからこそ分かる「競輪選手という職業」の魅力について語ってもらいます。
◆ 皿屋豊 Yutaka Saraya(三重・111期)
三重県明和町出身、現在41歳の皿屋選手。
高校卒業後に現在の伊勢市役所へ就職。15年間、公務員として勤務しました。
競輪選手になったきっかけは、ダイエット目的で始めたロードバイク。自転車が大好きになり、全国各地のロードレースの大会にも参加すると、“アマチュアでは敵なし”となりました。
トレーニングの一環としてトラック種目を取り入れたことで、競輪選手への道を歩み始めました。
2017年に34歳でデビューし、1年半でS 級に昇級。今ではビッグレースの常連選手です。
30代の劇的転身からトップ選手となった皿屋選手にインタビューしました。
内向的なインドア派
(三重県)伊勢市の隣にある明和町の出身です。
父は中学校の先生で、日本体育大学野球部出身のバリバリの体育教師。生徒指導もしてジャージで校門に立っているような、典型的なタイプです(笑)。
僕は内向的な子どもでした。運動も好きではなくて、どちらかというとインドア派でゲームをやっているような少年時代でしたね。
中学は野球部に入ってみましたが、センスが全くなくて…。恥ずかしいし、半分くらいはサボりました(笑)。
そんな僕がプロの競輪(スポーツ)選手をやっているのって、小学校や中学校の同級生からすると「正反対だったあいつが!?」って驚くと思いますよ(笑)。
高校は帰宅部でしたが、自宅から学校までの15kmくらいを自転車で通っていたんです。朝も得意じゃなくて、毎日遅刻しないように全力で山道を漕いでいたのが、ベースになったのかもしれないですね。
高校は土木技術を専門的に勉強できる学校で、僕は道路などの設計を学んでいました。
その専門性から企業からも採用されやすく、父からも勧められていた公務員になろうと思い、卒業後は小俣町役場、現在の伊勢市役所で仕事を始めました。
市役所では下水道の設計、その後は都市整備と言って河川の堤防や公園などの設計を担当。競輪選手になる前はそれらを維持管理する部署にいました。今でも僕が設計した伊勢神宮の駐車場や市内の公園などが残っています。
最初は“就職のために入った”のであまり興味はありませんでしたが、さまざまなプロジェクトに参加して形になっていくとやりがいもあり、仕事は楽しかったです。
競輪という道が無ければ、ずっと勤め続けたいと思っていました。
休日はテニスやゴルフなど色々とかじってみましたが、球技は軒並みダメでしたね(笑)。小さい頃から車が好きだったのでドライブをしたり、鈴鹿サーキットへF1を見に行ったりするのも楽しみでした。
ダイエット目的で始めたロードバイク
24歳の頃、残業続きで全く運動をしてなくて…。60kgくらいだった体重が70kgまで太ってしまい、ダイエットとして始めたのが、市役所の先輩が勧めてくれたロードバイクでした。
ちょうど実家に使っていないロードバイクがあったので、試しに乗ってみたら、結構楽しかったんです。
先輩と一緒に乗りに行くようになったのですが、往復200km、心拍計を付けてペースを測りながら乗る感じで、趣味というよりはもはやトレーニングでした(笑)。
だんだん走れるようになってくると「力を試したい」と思い、ロードレースの大会に出るようになりました。参加費や交通費を払って、道具も全て自分の持ち出しでやっていたので、結構お金も掛かりましたね。
アマチュアのレースでは優勝できるようになり、プロと走るところまで行ったのですが「やっぱりプロには敵わない」という挫折も味わいました。
その頃、『イナーメ信濃山形』という長野県のチームに声をかけてもらって。みんな仕事をしながらレースを楽しんでいるチームだったので「ほどほどにやろう」という思いで所属したんです。
肩の力を抜いてレースに出始めると逆に成績が上がってきて、プロに混じって準優勝できたこともありました。
また、地元の友達から松阪競輪場の愛好会に誘ってもらい、トレーニングの一環として参加しました。バンクを走ることも新鮮で楽しかったです。
それで、トラック種目でも大会に出るようになり、国体にも出場しました。2回目の出場で、1kmタイムトライアルで8位入賞。そのタイムが競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の試験に合格できるタイムをクリアしていたので、「競輪選手になりたい」という気持ちが膨らんでいきました。
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