SS経験もある“イケオジ”の趣味はツーリング 石丸寛之選手(岡山・76期)
2025.01.22

男女合わせて約2,400名いる競輪選手には、さまざまな経歴や趣味を持った選手がいます。『推すスメ!選手インタビュー』では選手個々のプロフィールを、インタビューを通してひもといていきます。
今回は岡山県・76期、石丸寛之選手にインタビュー。
幼い頃から自他共に認める俊足。高3のインターハイでは4×400mリレーで優勝も経験しました。“プロスポーツ選手”として稼いでいけることに魅力を感じて競輪の道に進み、1995年にデビュー。
2008年にGⅠ『読売新聞社杯全日本選抜競輪』で準優勝、2009年には『KEIRINグランプリ』に出場しました。50歳に突入した現在もS級で戦うベテラン選手です。ちなみに50代のS級選手は2025年1月22日現在35名しかいません。
選手生活31年目になった今でもトップレーサーとして活躍している石丸選手。プライベートでは夫婦でツーリングを楽しんでいるそうです。
“エイジング”を楽しみたい
妻と一緒にツーリングをするのが最近の趣味です。数年前に大型二輪免許を取って、トライアンフの1000ccと1200ccのバイクを買いました。
ツーリングは2〜3時間かけて岡山県の奥地にある蕎麦(そば)屋へ行ったり、朝食を食べにホテルへ行ったりと食事に出かけることが多いですね。
バイクに乗るようになってから、革ジャンやジーンズにもこだわるようになりました。僕は新品を買って“エイジング”を楽しみたい派です。
地元の倉敷は国産ジーンズ発祥の地(児島地区)。デニム製品を取り扱う店も多いですし、“行きつけの店”もあります。レザーも奥が深くて面白いですね。
今のうちに良いモノをそろえて、老後は“エイジング”を楽しんでいきたいと思います。
取材日のジャケットは、イギリス最古のモーターサイクルウェアメーカー・Leiws Leathers(ルイスレザーズ)の1着
5年くらい前からスキーを始めたんです。それまでは他のスポーツをすることはなかったのですが、自分に刺激を与えるためにも今までやったことのないことに挑戦するようになりました。夫婦でいろいろと楽しんでいます。
柴犬と3匹の猫を飼っています。
猫はロシアンブルーとシンガプーラ、昨年に保護猫が1匹仲間入りしました。犬は高齢になり、少し元気が無くなってきたんです…。そんな姿が自分と重なって寂しくなりますが、長生きしてほしいです。
“赤パン”を履いた時の気持ちの良さ
小さい頃は運動会で大活躍する“異常に足が速い子”でした(笑)。なので、運動会が楽しみで、いつも張り切っていましたね。
中学までは野球をしていて、足の速さを生かしたプレーでレギュラーを勝ち取ったのですが、あまりにも打球が飛ばなくて(笑)。自分にはセンスが無いと気付き、高校からは陸上競技部に入って短距離を中心にやっていました。高校3年生のインターハイでは4×400mリレーで優勝。個人種目は400mで3位になりました。
子どもの頃から夢は“スポーツ選手”でしたが、陸上競技で食べていくのは現実的ではありません。
競輪との出会いは、陸上競技部の先輩で競輪選手になられた方がいて、その先輩から直接話を聞き、“プロスポーツ選手”として稼いでいけることに魅力を感じて、自分も目指そうと決意しました。
高校卒業前から本田晴美さんに弟子入りして練習を始めて、競輪学校(現・日本競輪選手養成所)には4回目の受験で合格しました。
簡単に合格できるとは思っていませんでしたし、僕には“この道”しかなかったので、辞めたいと思ったことはありませんでしたね。
デビュー後は、『ルーキーチャンピオンレース』や『競輪祭新人王戦(GⅠ・2000年で終了)』など、“若手の登竜門”と言われるレースには出場できていましたが、とにかく強くなるために必死でした。
世界選手権のケイリンで優勝した師匠のもとで行う練習環境は抜群だったのですが、なかなか“陸上選手の体つき”から抜け出せず悩んでいました。そんな時に出会ったトレーナーさんと体を作り直したことで自転車がどんどん進むようになってきたんです。
2001年頃からはビッグレースにコンスタントに出られるようになりました。
「なんでも“捲(まく)れる”」という自信がついてきて、2008年には『読売新聞社杯全日本選抜競輪(GⅠ)』で“ライン”を組んだ同県の三宅伸さんが優勝し、僕は準優勝でした。
2009年には初めてS級S班になり、今までやってきたことが実を結んだ気がしてすごくうれしかったですし、“赤パン※”を履いた時の気持ち良さはなんとも言えなかったです。
※競輪界最上位ランク・S級S班の選手だけが履くことのできるレーサーパンツ
2009年末には『KEIRINグランプリ』に出場しました。直前に鎖骨骨折をしてしまったのが心残りですが…。他のレースにはない熱気と緊張感、そして独特の空気感の中で走れて最高の気分でした。
今は徐々に力が落ちてくる中でどう対応していくかなど、試行錯誤する毎日です。
年を取るごとにケガの治りは遅くなるし、ほんの少しのズレが調子を大きく左右します。しっかりとケアをして、体の柔軟性を保つことなど年齢相応のトレーニングを考えながら行っています。
自分の体は“研究室”みたいなものですね。
気付けば選手生活も31年目。同期は半分以上が引退しました。
記念(GⅢ)に行っても話し相手が少なくなり、宿舎のサウナには水を弾くような肌の若い選手ばかり。嫌になりますよ(笑)。そんな中でも香川雄介をはじめ、頑張っている同期の存在が刺激になっています。
3000走・500勝を達成したい、孫ができておじいちゃんになっても走り続けたい!なんて、目標はいろいろとあります。
自分なりの夢を持ち続け、これからも頑張っていきたいと思います。
石丸寛之 Hiroyuki Ishimaru
1974年4月30日生まれ、岡山県倉敷市出身
身長175.0cm
登録地は岡山県、ホームバンクは玉野競輪場
1992年 インターハイの4×400mリレーで優勝、400mでは3位
1995年 76期としてデビュー
2005年 観音寺競輪(2012年3月に廃止)開設55周年記念でGⅢ初優勝
2009年 KEIRINグランプリ出場
2021年 400勝を達成
■詳しいプロフィールと出走情報はコチラ
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