東大より偏差値の高い大学で修士を取得!アイアンマンレースで日本代表も経験! 豊富な人生経験を持つオールドルーキー 中原恭恵選手(広島・126期)
2025.05.28

男女合わせて約2,400名いる競輪選手には、さまざまな経歴や趣味を持った選手がいます。『推すスメ!選手インタビュー』では選手個々のプロフィールを、インタビューを通してひもといていきます。
今回は広島県・126期、現在38歳の中原恭恵選手にインタビューしました。
国立・千葉大学を卒業し、建設コンサルタント会社への就職を経て、千葉大学大学院へ進学。
その後には、現在『世界大学ランキング』12位の中国・清華大学(東京大学は28位)へ留学し、修士を取得するという“超”の付くエリート。
大学からトライアスロンに熱中し、水泳3.8km・自転車180km・ラン42.195kmを17時間以内に完走しなければならないという“超”過酷な競技『アイアンマンレース』の日本代表にも選出されました。
トライアスロンでは自転車が得意だったため、ロードレースで東京オリンピックを目指し、30歳で単身オランダへ。しかし、“不慮の事故”でその夢は叶いませんでした。
最後の挑戦で飛び込んだガールズケイリン。これまでの経歴や今後の目標を語ってくれました。
オフの過ごし方
オフに同期や大学の友人、トライアスロンの仲間などに会いに行くのが楽しみになっています。大学時代にアルバイトをしていたディズニーランドに最近、1人で行ってきました(笑)。
同期の(普久原)美海と(片岡)美奈がいる宇都宮にも2週間ほど滞在しました。美海と練習が終わった後に温泉へ行って、お湯に浸かりながら3時間くらい喋ったり、いちご狩りに行ったり。17年ぶりにプリクラも撮りました(笑)。
楽しい時間を過ごせましたし、年齢が離れているのに仲良くしてくれて本当にうれしいです。
ロードレース選手の新城幸也さんにも仲良くしてもらっていて、毎年タイで一緒に合宿をしているんです。幸也さんをはじめ、仲間たちと過ごす時間も楽しみの一つですね。
ロードレース仲間と
家では海外ドラマを英語と中国語で見て過ごしています。せっかく身につけた“言葉”が使えなくなってしまわないように、ドラマで触れるようにしています。
東京オリンピックへの夢と挫折
広島県東広島市出身です。高校は進学校だったのですが、将来やりたいことも特になくて。造園業を営む父の勧めもあり、千葉大学の園芸学部に進学して庭園デザイン学を専門に学びました。スポーツは、高校まで陸上部で短距離や七種競技をしていました。
高校3年生の時、アテネオリンピックのトライアスロンをテレビで見て、「こんな競技があるんだ!」と興味を持ったんです。
千葉大学のトライアスロン部に入部して、学校の近くにあるオリンピック選手も輩出しているクラブチームで練習させてもらっていました。
トライアスロンは『完走すれば、みんなが勇者!』。選手たちのこの温かい雰囲気が大好きになり、「努力すれば上を目指せるのではないか」という思いもあって、すごく楽しかったです。
大学卒業後は、千葉県にある建設コンサルタント会社に就職しました。河川の周辺や公園の設計を中心に担当していたので、施工計画を立てて図面を作成したりしていました。
仕事をやっていく中で、「もっと深く勉強したい」という気持ちになったので、1年で退職して千葉大学の大学院に入り直したんです。
その後に、中国の清華大学建築学院にも3年半ほど留学し、そこで修士課程を修了しました。
修士論文/制作のテーマとした『ランドスケープ模型』と(写真右上)
就職した後や留学中もトライアスロンは続けていました。距離の長い『アイアンマンレース』の日本代表に選ばれて、ナショナルチームの合宿に呼んでもらったこともありました。
日本代表チームが中国遠征した時には通訳を担当させてもらい、国際大会の雰囲気に心が躍ったことを覚えています。
ちょうどその頃(2013年頃)、2020年のオリンピック開催地が東京に決まったんです。「出たい!」という気持ちは強かったのですが、トライアスロンでは難しいことは分かっていました。
「“バイク”が強いんだから、(自転車競技の)ロードレースで目指したら?」という仲間の言葉をキッカケに、東京オリンピック出場を本気で目指すようになりました。
『マスランドスター・インターナショナル』に在籍し、2018年からはオリンピックの出場権獲得につながるUCIポイントを稼ぐために、オランダに渡って現地のUCI女子チームで活動していました。
ロードレースはチームの“エース” 1人が勝てば全員の勝利になります。私は“エース”にはなれず、アシスト役しか担えないけれど、チームメイトから「Good job!! Yasue! 」とハグされた時はとてもうれしくて、やりがいも感じました。
東京オリンピック代表を選考する全日本選手権の4日前、脇見運転をしていた車に突っ込まれてしまって…。複雑骨折してしまい、レースには出場できませんでした…。「ここまで来るのに何年かかったことか…」と、しばらく病みました。
リハビリのためにトライアスロンを再開し、国体に出場した時に『パラトライアスロン』の関係者の方から、選手と伴走する“ガイド”として東京パラリンピックを目指さないかと声をかけてもらったんです。「チャンスが回ってきた!!」と即決でしたね。
しかし、最終的には補欠となってしまい、パラリンピックへの出場も叶いませんでした。
長年追い続けてきた夢を実現できずに終わりました。「結果として、何も恩返しできなかった。こんなの自己満足で終わりだ」とかなり落ち込みました。
でも同時に、「このまま終わるのは絶対に後悔する」とも思ったんです。
今までやってきたことを生かし『最後の挑戦』と位置づけたのが競輪選手になることでした。最後は自分が“エース”として輝きたいという思いにもピッタリだったんです。3回目の受験で合格して2024年にデビューしました。
今、毎日がすごく充実していて、すごく幸せです。競輪選手になったことが、人生で一番良い選択だったと思います。
目標は「1日でも長く走り続けること」です。
まずは競走得点を上げていけるように、一歩一歩、前進していきたいと思います。稼いだ賞金をお世話になった人たちや団体に寄付することも目標の一つです。
競輪を楽しんでもらえるように頑張りますので、応援してもらえるとうれしいです!
中原恭恵選手のプライベートQ&A
Q:自分の性格を一言で表すと
A:マイペース、正直者
Q:チャームポイント
A:歯並びがキレイ
Q:自慢
A:30分間のいちご狩りで212個食べたこと!
Q:好きな色
A:ブルーとオレンジ
Q:好きな映画
A:『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』
Q:好きな本、漫画
A:本は『場のデザイン』、漫画は『キングダム』
Q:好きな芸能人
A:どぶろっく
Q:行ってみたい場所
A:北海道の美瑛にある『白金青い池』。
中原恭恵 Yasue Nakahara
1986年8月5日生まれ、広島県東広島市出身
身長159.5cm
登録地は広島県、ホームバンクは広島競輪場
2005年 千葉大学園芸学部に入学
2009年 土木系の建設コンサルタントに就職
2010年 千葉大学大学院に入学
2011年 中国・清華大学に留学
2014年 修士課程を修了し帰国
2017年 全日本選手権ロードレース女子エリート5位
2024年 126期としてデビュー
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