元BMXトップライダーから転身/「力のミナモト」黒田淳選手

2018.11.08

黒田 淳  Kuroda Jun
[生年月日]1985.2.20  [ホームバンク]玉野   [ニックネーム]クロジュン
詳しい選手情報は こちら

元プロ野球選手や、元オリンピック代表選手など、他の競技から転向しプロの競輪選手として活躍している選手は数多くいます。

力のミナモト特別編では、様々な思いを胸に競輪の道へと進んだ彼らの原点を追いかけます。

第1回はBMXトップライダーから競輪選手に転向した黒田淳選手。
5才からBMX(バイシクルモトクロス)を始めた黒田選手は2005年、2007年と全日本チャンピオンの座に輝きました。

2008年の北京オリンピックよりBMXレースが正式種目として採用されたことで、レースの形態などBMX界の時代が大きく動く中、国内には世界基準を満たすコースはなく、選手たちは厳しい環境の中で世界と戦っていました。

そして、北京オリンピック出場権をかけて臨んだ世界選手権大会で予選敗退。この先も自転車を仕事にしたいと考えていた頃、小学生から共にBMXを走ってきた稲川翔選手の競輪界での活躍を目にして、競輪界へ進むことを決意しました。

待ち合わせは山梨県北杜市。
もう一度BMXに乗るならここで、と黒田選手が決めていた場所があります。

その場所「YBP」はBMX仲間である栗瀬裕太さんがゼロから作ったBMXコースです。

「久しぶり-!」

オリンピック正式種目になったことで、世界基準となった8mスタートヒル。しかしそれが国内に作られることはありませんでした。
海外でなければ経験できない高いスタートヒルに苦戦する日本選手の状況を何とかしたいと考えたのが、自身も黒田選手と同じ時代にトップライダーとして活躍していた栗瀬さんです。

国内に世界基準のBMXコースを作ることが日本選手が世界で活躍できる近道だと考えました。
最初はたった一人で自ら重機を操縦していたこのプロジェクトに、多くの賛同者が集まり国内初の8mスタートヒルが完成しました。

「当時国内にこのスタートヒルがあったら、また違っていたかもしれませんね。」とスタートヒルに登る黒田選手。

現在では企業の応援などもあり、BMX選手として活躍している選手もいる中、当時は支援なしで競技を続けて行くのが難しい時代にありました。黒田選手らのトップライダーが競輪界で活躍する姿を見せることで、「競輪がBMX競技者の選択肢の1つになれば」という想いがあったそうです。

写真の古性優作選手(大阪・100期)を始め、稲川翔選手(大阪・90期) 、西岡拓朗(広島・97期)、山本巨樹選手(大阪・100期) 、佐伯辰哉選手(広島・109期)と、BMXから競輪へ転向し、BMXで培った瞬発力とハンドルワークで活躍している選手は沢山います。

岡山から持ってきた当時乗っていた自転車を組み立てます。

いよいよ黒田選手がBMX実走!

いつもの競輪ヘルメットから!

チェーーーンジ!

本格的にコースで走るのは約10年ぶりだそうです。

「コーナーが曲がれない!!」

競輪の自転車とは身体の使い方がまるで違うBMX。久々のライディングに戸惑う黒田選手でしたが

数本ですっかり昔の調子を取り戻した様子でした。

ライディングを終えてこの笑顔!

――今日久しぶりにBMXに乗った感想は?

「気持ちよかったです。大満足です。競輪の練習では疲れないような所が疲れました笑。」

――昔の仲間と走ってどんな気持ちですか

「久しぶりに会っても昔遊んでいたように、楽しく走れていいですね。競輪の道へ進みましたけど、後々一緒にBMXを楽しめる仲間として応援してもらえたらなと思います。」

――黒田選手とってBMXとは

「BMXは自分の中心ですね。もともとBMXがあったから競輪にもいっているし、BMXがあったから今の友達もいる。BMXがあってこその自分だと思っています。」

久々にBMXに乗り子供のような純粋な笑顔をみせた黒田選手。そんな自転車を楽しむという土台を作ってくれたのがBMXであり、仲間のライダー達なのだそうです。
この気持ちが今の競輪にも活かされているのでしょう。

「YBP(Yuta’s Bike Park)」

コースの象徴とも言える8mのスタートヒルは、現在オリンピック等の世界大会で使用されているものと同等のもの。
また、世界クラスのコースの脇にはアマチュアコースがあり、初心者や中級者ライダーたちもステップアップを目指せます。

JR小海線 甲斐小泉駅から 徒歩20分

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