KEIRIN報知 元巨人の青山誠さん、競輪選手を目指し必死の奮闘

2020.12.02

※この記事は2020年11月20日付けのスポーツ報知に掲載されたコラム「KEIRIN報知」です。

 

プロ野球元巨人の青山誠さん(29)が、競輪選手を目指して奮闘している。
日本競輪選手養成所(静岡・伊豆市)第121期生を適性(自転車経験なし)で受験。
1次試験は他競技での実績が考慮され、免除。
2次試験は12月2、3日の2日間、同養成所で行われる。
最終試験を前に必死にもがく青山さんを取材した。(永井順一郎)

 

◆いきなり故障18年に戦力外

滴り落ちる汗。
もうろうとする意識の中、青山さんは必死の形相でペダルをこぎ続ける。
もう後がない。
自分には競輪しかない。
その気持ちが体全体から出ている。
横浜市内にある自転車ナショナルチーム・佐々木龍也コーチの自宅。
そのトレーニングルームで青山さんは夢を追いかけている。

 

13年のプロ野球ドラフト会議。
日大4年の青山さんは、巨人から育成1位で指名された。
兵庫・育英高時代、甲子園には届かず、進学した日大でも4年生になるまでは目立った存在ではなかった。
4年秋、東都大学リーグ2部で3割1分9厘の高打率を残し、ドラフト候補に。支度金100万円。
背番号は「008」。
夢への第一歩を踏み出した。

 

翌年5月、悪夢が襲った。
試合中、右翼の守備についていた青山さんは、打球を追ってフェンスに激突。
「右膝大腿四頭筋筋断裂の大けがでした。手術、そしてリハビリ。プロ1年目から挫折を味わいました」。
15年5月には、同じ箇所を再手術。
この年も出番はなかった。
グラウンドに立てたのは16年。
そして17年、ついに支配下登録を勝ち取り、背番号も「99」に。
「うれしかったですね。これからが本当の勝負だと思いました」。
この時一緒に支配下登録されたのは足のスペシャリスト・増田大輝。

 

プロとしてのスタートは散々だったが、やっと勝負できるステージに立てた。
支配下の次は1軍。
が、そんなに甘い世界ではなかった。
スポットライトを浴びることなく、18年に戦力外通告。
社会人野球のJX―ENEOSに入団したが、結果を残せず1年で退団。
野球から離れた。
「やることはやったし、悔いはない」と振り返った。

 

競輪との出会いは偶然だった。
知人の紹介で(株)ワイズエンターテインメントファクトリーに就職。
そこで競輪のネット投票などを無料で楽しめるサービス、TIPSTARの製作進行管理を行っている。
そして通っていた接骨院に元ヤクルトで、現在はS級のトップで活躍する松谷秀幸(38)がいて紹介された。
「もう一度、スポーツで勝負したい」。
6月、松谷の師匠である佐々木氏に弟子入りした。

 

まだ、競技用の自転車には乗っていない。
適性で受験したため、その対策として毎日、固定式の自転車でパワーアップを図っている。
45秒間、全力でこぐと「寝転べないし、立つこともできない。乳酸がたまって本当にしんどい」。
佐々木氏に言わせれば、立つことができないのは、競輪選手として恥ずかしいことだそうだ。
それでも日々、青山さんの体は進化している。
「足が太くなったと言われます」。
一歩一歩、着実に野球選手から競輪選手への道をたどっている。

 

2次試験まであとわずか。
佐々木氏は「努力を怠らないし言ったことをすぐ理解できる。学習能力はあるし楽しみ」と評した。
過去、プロ野球から競輪に転向した選手は何人もいるが、大成したのは松谷くらい。
「苦闘こそ己の自信に」を胸に、人生をかけて2次試験に挑む。
合格発表は来年1月14日。

 

 

◆小林田口同期
<青山誠>(あおやま・まこと)1991年11月1日、神戸市生まれ。29歳。
育英高から日大に進み、13年ドラフト育成1位で巨人に入団。
この時の1位は小林誠司、3位は田口麗斗。
座右の銘は「苦闘こそ己の自信に」。
趣味、特技はなし。
肉が好きで嫌いな食べ物はない。
185センチ、83キロ。血液型O

 

◆S級は1軍
◇競輪選手の人数とランク

競輪選手は約2200人。
ランクはS級S班、S級1班、S級2班、A級1班、A級2班、A級3班。
S級S班は、前年のKEIRINグランプリに出場した9人。
S級1班は約220人、同2班は約450人。
A級1、2班はそれぞれ約550人。同3班は約450人。

プロ野球に例えるならS級S班はスーパースターで、1班は1軍のレギュラークラス。
2班は1軍だがレギュラーではない。A級1、2班は2軍。3班は育成といったところ。

◇日本競輪選手養成所の適性2次試験

固定式自転車における最大、平均パワーの測定。
面接、作文、人物考査、身体検査

受験後押し…元ヤクルト松谷はS級で活躍中

 

 

◆プロ野球から競輪に転向した主な選手

西野忠臣(静岡・20期、引退)=1959年巨人

石本龍臣(岡山・60期、引退)=83年広島ドラフト5位

塚本善之(広島・72期、引退)=87年広島ドラフト5位

川口正(山口・76期、引退)=88年大洋(横浜DeNA)ドラフト外

兵動秀治(広島・97期、A級3班)=97年広島ドラフト2位

宮崎一彰(高知・99期、A級1班)=99年巨人ドラフト7位

松谷秀幸(神奈川・96期、S級1班)=2000年ヤクルトドラフト3位

北野良栄(愛知・95期、S級2班)=01年ダイエー(ソフトバンク)ドラフト5位

萱島大介(大分・99期、S級2班)=02年阪神ドラフト11位

伊代野貴照(奈良・101期、S級2班)=02年阪神ドラフト10位

 

 

◆選手になったら車券買います

青山を指導した川相昌弘氏(スポーツ報知評論家)

野球を諦めて競輪に挑戦する青山のチャレンジ精神はすごい。大けがから復活したガッツマンで根性もある。
集中力はあるし努力家でもある。
苦しいことを喜んでやるタイプ。
当時、チャンスに青山まで回せば、何とかしてくれると思っていたほど、信頼度は高かった。

年齢も30歳前後だし、まだまだ。応援しているし、青山が選手になったら車券を買うよ

 

 

師匠の佐々木コーチ(右)、元ヤクルトで兄デシの松谷(左)

 

 

 

巨人時代の青山さん。

期待されていたがケガに泣いた。

 

 

 

 

鋼の肉体 をさらに鍛えあげる

 

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