【デイリースポーツ・KEIRIN屋】ここからが太田りゆの第2章スタート

2024.10.13

2024年10月11日 デイリースポーツ掲載記事

 

今回のKEIRIN屋は太田りゆ(30)=埼玉・112期・L1=を特集する。

今夏のパリ五輪では自転車競技トラック種目のケイリンとスプリントに出場。メダルには届かなかったが、ケイリンでは日本勢過去最高の9位に入った。

9月に自転車競技の日本代表を引退して今後はガールズケイリン一本で勝負することを宣言した人気レーサーを直撃した。

(聞き手・松本 直)

 

ファンからの人気も高い太田りゆ

太田りゆ 一問一答

―まずはパリ五輪の振り返りを。

「2021年の東京五輪はリザーブメンバーでした。そこから3年間、パリ五輪出場を目指してナショナルチームの活動を頑張ってきたのでパリ五輪の代表に選ばれてうれしかった。ナショナルチームのサポートがあり、いい状態でオリンピックに臨むことができました。やるべきことはやれた。全力を出し切れました。メダルを取るという形ではなかったですが、素晴らしい景色を見られたし、すてきな経験ができました」

 

―ここからは自転車競技を引退してガールズケイリン一本の活動になる。

「日本競輪学校在学中にブノワ・ベトゥコーチに見つけてもらい、デビューしてからもナショナルチームでの活動が中心だった。その中でも、競輪選手として賞金を稼いで、ガールズグランプリに出場したいという気持ちはありました。それでも、パリ五輪に出場して持っているものを全て出し切れたし、8月に30歳になったタイミングもあり、ここが区切りかなと思いました」

 

自転車競技からの引退を発表してセレモニーで観客の声援に応える太田りゆ

 

―パリ五輪終了後に中0日の強行日程で参加した女子オールスター(8月・平塚)は準優勝だった。

「昨年11月の競輪祭女子王座戦(小倉)からレースに走っていなかったのに、ファン投票5位に選んでもらえたことはうれしかった。フランスから日本に戻る時も関係者の皆さんのサポートもあり、ストレスなく移動ができました。ファンの皆さんのおかげで決勝に乗れたと思っています」

 

―女子オールスターが終わってから約1カ月レースから離れた。

「ナショナルチームの活動が終わったので、リフレッシュしていました。今まではナショナルチームの練習が中心で、あまり自由な時間が取れなかった。この期間でいろんな人に会い、遊びに行ったり、会食をしたりして心身ともにリフレッシュできました。講演会やトークショーのお仕事をいただく機会もありました。日本競輪選手養成所では滝澤(正光)所長に会うこともできました。競輪学校に入ってすぐのとき、滝澤所長に乗り込みの大事さを教わったことを思い出しました。競輪選手の基礎は滝澤所長の指導で作られました」

 

―9月の川崎は3連勝の完全優勝。11月の競輪祭女子王座戦で優勝なら12月29日のガールズグランプリ(静岡)に出場できる。

「もちろん競輪祭女子王座戦を優勝してグランプリに出場したい気持ちはあります。でも今年は来年活躍するための大事な時間だと思っています。今まではナショナルチームのコーチが作った練習メニューをやって、レースや大会に臨んでいたが、ここからは全て自分で考えてやらないといけない。新しい練習拠点も探していかないといけないし、年内はいろいろチャレンジして競輪選手としての土台を作りたい」

 

―最後に今後の目標を。

「オリンピックが終わって、ここからが太田りゆの第2章のスタートだと思っている。来年はガールズケイリンの全てのGⅠレースに出場したいし、優勝も狙っていきたい。賞金争いもしてグランプリ出場も目指したい。いろんな形でも勝てる選手を目指していきたい」

太田りゆ プロフィール

太田りゆ(おおた・りゆ)1994年8月17日生まれ、30歳。

埼玉県上尾市出身。県立伊奈学園総合高卒。165センチ、68キロ。

日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)112期として2017年7月高松でデビュー。2024年パリ五輪日本代表。

通算成績は152走85勝、2着22回、3着15回。通算獲得賞金額は3003万7000円。(8日現在)

滝澤正光所長コメント

日本競輪選手養成所・滝澤正光所長「入所当初は自転車に慣れてもらうためにも、結構厳しい乗り込み練習を課したと思います。ナショナルチームで活躍した経験は今後のガールズケイリンでも生きてくると思う。GⅠタイトルを取れる選手だと思うので頑張ってもらいたい」

 

太田りゆ(左)を激励する日本競輪選手養成所・滝澤正光所長

 

記者メモ

太田のガールズケイリン専念は非常に楽しみだ。

競輪学校在籍中からナショナルチームに所属していたため出走経験のない競輪場も多い。今後は太田目当てで来場するファンも増えるはずだ。

「今まではナショナルチームがチケットやホテルの手配などしてくれたけど、これからは自分でやらないと(笑)。海外の移動には慣れているけど、日本国内の移動には慣れていないので大変です」と苦笑いを浮かべていたが「今までは(ガールズケイリンを)月1本走るかどうかだった。これからは競輪選手として月2本のあっせんをしっかり走りたい」と意気込んでした。

彼女は間違いなく新しいシンボルになれる存在。ナショナルチームで鍛えたスピードとダッシュ力を生かして今後のガールズケイリンをリードするはずだ。

(関東競輪担当・松本 直)

 

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