けいりんマルシェ研修生・太田理恵のケイリンぶるぶるvol.2
2020.03.01
けいりんマルシェ×東京スポーツのコラボ企画!
第3弾「けいりんマルシェ研修生・太田理恵のケイリンぶるぶる」が2月某日、大宮競輪場にて行われた。
競輪勉強中のタレント・太田理恵さんが競輪場を訪れ、怪しさとアンニュイな雰囲気を身にまとう人気急上昇中の若手・植原琢也選手と初対面。
東京大学大学院修了の才媛と海外留学経験もある輪界の革命児。
〝なんとなく〟似ている二人が、ロングインタビューとオリジナルTシャツ作成、そして太田さんと東スポ競輪記者による車券バトルなど、心を〝ぶるぶる〟させる競輪の楽しさを5回に分けて伝えます。
博学で知識の塊、植原選手にインタビュー。
植原選手のかもし出す、ゆるやかでファニー、それでいて超ロジカルな世界に太田さんもぐいぐいと引き込まれ、“植原沼„にどっぷりと浸かります。
理恵 植原選手は学生時代に海外留学していたと聞きました。それに、たくさん本も読まれるみたいですね。
植原 大学の時に自転車部を辞めて、クロアチアにいる親類のところに2年間、留学していました。
と、いってもただ遊びに行っていたんですけど(笑い)。
理恵 その経験がのちに役に立ったなとか、つながったとか思うことはありますか。
植原 文化が全然違くて…。
自分たちの考え方がそんなに間違ってもないけど、正しくもなくて。
1つだけじゃなくてもいいんだって思いました。
これは良い、あれは悪いって考えるよりは10個の意見があれば10個を聞いてみて、自分の中の1つをつくればいいと考えるようになりました。
自転車にも活きていて、選手にいろいろ聞いてその中で自分の目安をつくろうと。
本を読んでいたのは、単純に情報って強いじゃないですか。
知識量とか。
知らないと、知らないままだけど、ある程度知っておいて、その上で取捨選択できる方が強い生き方かなというのがあって。
競輪だけじゃなく、どんな仕事をする時でもそうなのかなって思うんです。
「お尻を拭けるけど日本語しかしゃべれない!」
理恵 異国の地でどんなことをして過ごしていたのですか。
植原 ほとんど遊んでいたんですけど…
親類の仕事を手伝ったりとかして、いろんな所へ行っていろんなことをやってました。
その中でも考える時間があったというか…。
何もない時は、家でいとこ2人の子守りをしていたり(笑い)。
そのいとこたち、めちゃくちゃ頭が良くって。
3、4歳の子はキャッシュフローのゲームとかやってましたもん。
まだお尻を拭いてあげてた子に「タクヤ、このダイヤでこの土地売ってよ」って言われて。
そんな事いうなよ、子供はもっとワチャワチャしてろよって。
その子、お尻は自分で拭けないけど、英語と日本語とクロアチア語はしゃべれる。
俺はお尻を拭けるけど日本語しかしゃべれない。世の中、間違ってる!(笑い)。
植原、アメリカ海軍に入隊!?
理恵 私も大学時代は一年、留学していました。
親たちは就職をどうするのって言ってきて。
英語を使った職種とか、大手の企業を受けてとかを望んでいた部分があったみたいで…。
でも私は進学して大学院に行く事にしました。
そうしたら今の事務所ので芸能活動もできますし、自由を手に入れるためと思って(笑い)。
植原 自分も選手になるのがダメだったら、アメリカ辺りに何も持たずに行こうと思ってて。
その辺に貼ってあるじゃないですか、ほらっ。
理恵 え?
ワーホリ(ワーキングホリデー)ですか?
植原 いや違います、海軍の募集とか。
理恵 (爆笑)。
――それって国籍を変えるって事になりますよね。良かったんですか
植原 そうなりますよね。
まあ、何も考えていなかったんですけど。
先をどうしようって考えなくても海外にフラっと行って、そこに貼ってあるものとかで決めようって軽い気持ちでした。
――ちなみに軍隊とかに興味があるのですか
植原 え、無いっす、無いっす、全然(笑い)。
2人は似ている?
――何となく2人は似ている感じがありますよ
植原 いやぁ、太田さんはこんな適当に考えていないと思いますよ。
理恵 事前に植原選手がどんな方かとツイッターとかで見ていて、似ているところがあるなって思っていたんです。
イメージとしては人と関わるのが苦手みたいな(笑い)。
植原 ああ本当です、それ。
普段は猫被っているって仲のいい人には言われます。
理恵 じゃあ一緒ですね、私もそうなんです(笑い)。
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