大手不動産会社で10年間の勤務を経て、34歳でガールズケイリン選手となりました。
永塚選手が感じた、ガールズケイリンの魅力とは?
父がバスケットボールのコーチで、兄もやっていた影響からです。
将来は実業団に入ることが夢でした。
克服できず夢は諦めましたが「怪我の原因を探りたい」という思いで、スポーツトレーナーの勉強をするために東海大学に進学しました。
大学時代はリハビリの実習に授業と、寝る間も惜しんで勉強していました。
大学卒業後、三菱地所レジデンスに就職。
OL時代は、ほとんどが営業職でした。
忙しくて残業も多かったですが、同時にやりがいも感じていました。
ピストバイク専門店で働いている友達がいて、「カッコいいな」と思ったことがキッカケです。
移動手段としてはもちろん、ストリートでいろんな技の練習もしていました。
競輪のことは全然知りませんでしたが、テレビでたまたまガールズケイリンを見たことがあったんです。
その時は何とも思わなかったんですが、翌年もまたテレビで目にする機会があり、興味を持った感じでした。
周囲からは冷やかし半分ですが「やりなよ」とも言われて笑
「バンクで乗ってみたいな」と思い、川崎競輪場のイベントに参加しました。
それで「これがやりたい!」と競輪にトキメキを感じました。
私も当時32歳でしたが「やりたいことは今やらないとダメだ」と思い、ガールズケイリンへの挑戦を決めました。
当時だと、ガールズケイリンの「ベスト15」以上の選手が賞金1,000万円を超えていて。
目標達成のためには「1位の成績で養成所に入る」くらいじゃないといけないと思いました。
順調に練習をしていたのですが、試験の1ヶ月前に事故に遭ってしまって…
なんとか合格はできましたが、その時はすごくキツかったです。
でも、(日本競輪選手)養成所時代は予想以上に上手くいき、ゴールデンキャップを2回獲得することもできました。
当時直属の上司だった部長が、現在は社長(宮島正治さん)になって「私を探している」と元同期から連絡をもらったんです。
まず私のことを覚えてくださっていたことが、本当に嬉しかったです。
選手になって、会社の名前を背負えるなんて…
夢が叶ったような気持ちでした。
それでありながら、収入も上がりました。
賞金は美味しいゴハンに使っています!
綺麗な格好をして、レストランやホテルディナーに行くのが、リフレッシュになります。
プレッシャーや自分自身に勝つことができれば、より強くなれます。
自分を磨ける場所だし、自分に集中できるところが、すごくいいなと思います。
だから走りを見て「めっちゃ感動した、明日から頑張れるよ」と言ってもらえるとすごく嬉しいです。
人を元気にさせられるような走りをしたいですね。
志を高く、夢を持ってガールズケイリンに入ってきてほしいです。
見てくれる方々に「明日も頑張るぞ」と思ってもらえるような競輪界にしたいなと思っています。
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