松本記者しか知らないガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。
2つ下の弟、5つ下の妹と3人きょうだいで育った。
今でもこの性格は変わっていない。
検車場では同期や仲の良い選手と話している場面は見かけるが、誰とでも話しているイメージはない。
小学生の後半まで続けたが、進学した中学校に水泳部がなかったため、陸上部を選択。
小学生のころから背の順で並ぶと一番後ろで体も大きかった。
陸上なら体の大きさを生かせるかなと思った。
どうせ始めるならスタートラインが一緒の競技がいいかなと思い、投てき競技を選びました」
高校は自宅から通える県立駿河総合高校へ進学した。
スクールライフは陸上部中心。
ガールズケイリンとの出会いは家族からの勧めだった。
簿記や秘書、商品開発などに進む友達が多かった。
自分もそういう人生を歩むのかなと思ったんですが、一日中パソコンの前で作業するのが無理だった。
体を動かす仕事がしたいって思った時期に、家族からガールズケイリン選手を勧めてもらった。
最初はボートレーサーにしたかったみたいだけど、自分のふとももが太かったこともあり、ガールズケイリン選手がいいかなとなりました」
高校時代の吉村(写真中央)
どうやったら選手になれるかを探していくうちに、自転車競技未経験でも試験を受けられる適性試験制度を見つけた。
師匠の村本大輔氏(写真左)と吉村
大師匠の伊藤勝也さんの自宅にあいさつに行ったんです。
そこでガールズケイリン選手になりたいことを伝えて弟子にしてもらえたんですが、2人の目力が強くて、当時はとにかくビビりました」
休みの日は朝から師匠や師匠の練習仲間と乗り込み練習に混ぜてもらいました」
日本競輪学校112期生として一歩目を踏み込んだ。
競輪学校時代
家が裕福ではなかったし、浪人はできないと思っていた。
師匠に練習を見てもらっていたおかげで競輪学校に合格することができました。
試験結果は高校の授業中に携帯電話で確認した。
合格できたことにホッとしたのと、これからがスタートだなといろんな感情が芽生えました」
実家を出て、集団生活の環境も初めてだったし、自転車の扱い方も全く知らなかったし、練習についていくことも必死でした。
でも同期のおかげで乗り切れましたね。
特に仲が良かったのは梅川風子さんと大久保花梨さん。
写真左から大久保花梨、吉村、梅川風子
物覚えの悪かった自分が何度同じことを聞いても教えてくれました。
競輪学校時代はT教場(滝澤正光校長が自ら練習を見る教場)で一緒だったこの2人と、自分と同じ適性出身だった太田りゆさんのおかげで厳しい学校生活を乗り切れたと思います」
卒業記念レース
生年月日:1997年7月28日
期別:112期
身長:163.0cm
登録地:静岡県
詳しいプロフィールはこちら
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)