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<前編>今年初優勝の田中月菜 自力を繰り出しゴールを決める! 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2023.07.12



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。





田中月菜は佐賀県佐賀市生まれの一人っ子。



小さなころから活発で保育園から三輪車を使って脱走したり、木に登っては滑って落ちて骨折したりとエピソードに事欠かない女の子だったそうだ。




体を動かすことが大好きで運動はいろいろチャレンジした。


「水泳、ダンス、空手。他にもいろいろやりました。

ハマったのはバスケットボール。小学3年生のとき、幼なじみのお姉さんに誘われてバスケットボールの体験をしたことがきっかけ。

バスケットボールに馴染みはなかったけど、すごく楽しかった」



バスケットボールの楽しさにハマってからは生活の中心はバスケットボール。

小学、中学は地元の学校に通ったが、高校はバスケットボールの特待生で大分県日田市にある藤蔭高校へ進学した。


「高校は全寮制。バスケ部みんなで共同生活。バスケ漬けの学生生活でした。

大分県内の大会でベスト4には入る強豪校で練習はキツかったけど、楽しかった。

自分たちが3年生のときには県大会で優勝することができてインターハイにも行けたので良かった」


前記の幼なじみは病気の影響でバスケットボールを辞めてしまったが、高校時代の大会やガールズケイリンの応援もし続けてくれている。

競輪場に飾られる横断幕もプレゼントしてくれた。



ガールズケイリンとの出会いは少しさかのぼり、中学時代のこと。

父が携わっていた硬式野球のチームに山崎岳志(佐賀・74期)がいたことだ。


「父に付いて硬式野球の練習に行ったとき、山崎(岳志)さんから『ガールズケイリンって職業があるよ』と言われたことがきっかけ。

そのころはバスケ一本の生活だったのであんまり考えていなかった。

ただ高校進学のころ、ガールズケイリンの仕事もありかなって感覚はありました。

でも家が裕福だったわけじゃないので、高校から自転車競技を始める考えはなかった。

自転車競技はお金が掛かる。

それなら高校まではバスケを目いっぱいやって、その後考えればいいかなって感じでした」



本格的にガールズケイリンを目指すことを決めたのは高校3年の夏だった。


「インターハイが終わってからガールズサマーキャンプ(現:トラックサイクリングキャンプ)に参加したことで、競輪選手を目指そうって気持ちになりました。

中学時代から縁があった江村優有(早稲田大学)※のお父さんにもインターハイの会場で会って『ガールズケイリンいいんじゃない』って言ってもらったこともあり、(日本競輪選手)養成所を適性試験で受けようと思いました」

※FIBA3x3ネーションズリーグファイナル2022 U21バスケットボール女子日本代表


適性試験で受けると決めてからは師匠の好永晃が全面的に協力をしてくれたそうだ。


「好永さんが適性試験で使うパワーマックスを貸してくれたんです。

寮の自分の部屋に置いて練習をしました。

ロードバイクも組んでくれたので、学校から自宅まで70キロくらい乗っていくこともやりました。

試験前は久留米大学の研究室にもお世話になりました。適性試験で合格できるように練習を見てもらった。

部活が終わったあと電車に乗って久留米まで行って練習。

練習が終わって、また日田に帰る。トレーニング漬けの毎日でした」



試験に向けた準備は高校の部活動と並行してやり切った。

トレーニングの甲斐があり、日本競輪選手養成所118期の適性試験で合格。

晴れて競輪選手の第一歩を踏み込んだ。


「合格の知らせは高校3年の1月。部活の練習の最中、顧問の先生に『試験の結果を確認してきます』って声をかけて、携帯を見に行った。

自分の名前があったのを確認したときはうれしかった。でもすぐに練習に戻りました。

練習後、なんでかわからないけど同級生に自分がハンバーガーをごちそうしてみんなに合格を祝ってもらいました」



118期は高校時代から自転車競技で活躍した現役組が多い期だった。

下条未悠増田夕華布居光杉浦菜留と同学年の自転車競技者が多かった。


在所1位の永塚祐子、卒業記念チャンプの尾方真生と逸材そろいの期だったが、自転車未経験の田中にとっては追いかける存在が多くて励みになったと振り返る。


「養成所はよかったです。自転車のことだけに集中できる環境だったので。

高校の寮より施設もよかったし、不自由はなかった。

携帯電話が使えないことも高校の部活のときから慣れていたので、不都合は感じることがなかった。

在所成績は13位。何をとっても平均だった。

ただ同期に追い付くことだけに一生懸命でした。

自転車経験がなかったし練習だけは欠かさなかった。

養成所に入る前、佐賀の先輩の立部楓真さんから『オレは朝の自主練習を毎日やった』と謎のマウントを取られたので、自分も朝の自主練習は欠かさずやりました。

そのおかげで自転車に慣れることもできたと思います」




後編はこちら



田中月菜 Runa Tanaka



誕生日:2000年10月13日

身長:161.8cm

期別:118期

登録地:佐賀県



松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)


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