ハマったのはバスケットボール。小学3年生のとき、幼なじみのお姉さんに誘われてバスケットボールの体験をしたことがきっかけ。
バスケットボールに馴染みはなかったけど、すごく楽しかった」
小学、中学は地元の学校に通ったが、高校はバスケットボールの特待生で大分県日田市にある藤蔭高校へ進学した。
大分県内の大会でベスト4には入る強豪校で練習はキツかったけど、楽しかった。
自分たちが3年生のときには県大会で優勝することができてインターハイにも行けたので良かった」
競輪場に飾られる横断幕もプレゼントしてくれた。
父が携わっていた硬式野球のチームに山崎岳志(佐賀・74期)がいたことだ。
そのころはバスケ一本の生活だったのであんまり考えていなかった。
ただ高校進学のころ、ガールズケイリンの仕事もありかなって感覚はありました。
でも家が裕福だったわけじゃないので、高校から自転車競技を始める考えはなかった。
自転車競技はお金が掛かる。
それなら高校まではバスケを目いっぱいやって、その後考えればいいかなって感じでした」
中学時代から縁があった江村優有(早稲田大学)※のお父さんにもインターハイの会場で会って『ガールズケイリンいいんじゃない』って言ってもらったこともあり、(日本競輪選手)養成所を適性試験で受けようと思いました」
※FIBA3x3ネーションズリーグファイナル2022 U21バスケットボール女子日本代表
寮の自分の部屋に置いて練習をしました。
ロードバイクも組んでくれたので、学校から自宅まで70キロくらい乗っていくこともやりました。
試験前は久留米大学の研究室にもお世話になりました。適性試験で合格できるように練習を見てもらった。
部活が終わったあと電車に乗って久留米まで行って練習。
練習が終わって、また日田に帰る。トレーニング漬けの毎日でした」
トレーニングの甲斐があり、日本競輪選手養成所118期の適性試験で合格。
晴れて競輪選手の第一歩を踏み込んだ。
自分の名前があったのを確認したときはうれしかった。でもすぐに練習に戻りました。
練習後、なんでかわからないけど同級生に自分がハンバーガーをごちそうしてみんなに合格を祝ってもらいました」
下条未悠、増田夕華、布居光や杉浦菜留と同学年の自転車競技者が多かった。
高校の寮より施設もよかったし、不自由はなかった。
携帯電話が使えないことも高校の部活のときから慣れていたので、不都合は感じることがなかった。
在所成績は13位。何をとっても平均だった。
ただ同期に追い付くことだけに一生懸命でした。
自転車経験がなかったし練習だけは欠かさなかった。
養成所に入る前、佐賀の先輩の立部楓真さんから『オレは朝の自主練習を毎日やった』と謎のマウントを取られたので、自分も朝の自主練習は欠かさずやりました。
そのおかげで自転車に慣れることもできたと思います」
身長:161.8cm
期別:118期
登録地:佐賀県
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)