姉と2人姉妹。
小さなころは本が好きな母の影響もあり家で本を読むことが好きだった。
ジャンルは問わず、漫画、文庫本、小説といろいろ読んでいたそうだ。
学生時代は勉強中心の生活だった。
「進学校だったので勉強漬けの毎日。
毎週末にテストがあったし、高校時代の思い出は勉強していたって感じでした」
体育祭や文化祭の裏方や、ラジオドラマの制作など、スポーツとは縁のない生活を送っていた。
小さなころから絵を描くことが好きで、パソコンを使ったイラスト作りも好きだったこともあり、美術系の仕事に就くことも考えていたそうだが、大学卒業後は一般職に落ち着いた。
仕事場への往復で自転車が必要になり、ロードバイクに乗り始めると楽しくなった。
日々の中で自転車に触れることが多くなり、自然と魅力にハマっていったそうだ。
2016年4月に地元熊本を襲った災害は競輪場にも大きな被害が出た。
スタンドのガラスは大きく割れてバンクに突き刺さった。
バンクにはヒビも入り、レース開催ができる状況ではなくなってしまった。
そんなタイミングでバンクが一般開放されるイベントがあり、ロードバイクに乗っていた村田はバンク走行会へ参加したのだ。
熊本競輪場
熊本で生まれ育ったけど、競輪場がどこにあるのかも知らなかった。
初めて競輪場に行ってバンクを走ったときの感覚はいまでも覚えています。
すごく楽しかった。
そのあと何回か一般開放されているときにバンク走行会に参加していたら、元選手の伊木憲治さん(43期)がピストレーサーを組むのを手伝ってくれたんです。
ピストレーサーはロードバイクと違ってグングン進んでいく。
ダイレクトに力が伝わる感覚に感動したんです。
ガールズケイリンがあることも聞いたので、これはやってみたいって気持ちになりました」
1人で練習を続けて日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の合格を目指したが、伸び悩む時期に突入してしまった。
そんなときに声を掛けてくれたのは伊木憲治だった。
境さんに練習を見てもらうようになって練習の幅が広がりました。
バイクで引っ張ってもらったり、競輪学校の試験と同じ400メートルバンクのある久留米競輪場に連れて行ってくれたりして、ハロンも1000メートルのタイムも良くなった。
おかげ様で116期の試験に受かることができました」
競輪学校に入ると熱を出してしまい、第1回記録会2日目の記録(2000mタイムトライアル)が取れませんでした。
116期の中でも年齢が上から2番目。
高校卒業から現役で競輪学校に入った人も多かった。
環境に慣れるまでは大変でした」
「最初は周回練習でちぎれることもあり一番下の青帽だったけど、最終的には黒帽※まで上がることができた。
卒業間近には滝澤(正光)校長が直接指導するT教場に呼ばれた。
いろいろ大変だったけど、成長できた1年でした」
村田(左)と同期の伊藤のぞみ(右)
お楽しみに!
誕生日:1991年11月11日
身長:156.9cm
期別:116期
登録地:熊本県
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)