妹と2人姉妹で、小さいころから外で遊ぶことが大好き。
習い事も水泳、サッカー、少林寺拳法と体を動かすことに熱中した。
「お母さんの弟が、プロサッカー選手の齋藤将基。
小さいころは試合を見に行きました。
その影響でサッカーはずっと続けていました」
叔父の齋藤将基と畠山
中学校は北海道の学校に行きたいっていう気持ちになり、両親がいろいろ探してくれて鹿追町の山村留学を見つけてきてくれました。
鹿追町は埼玉と違って自然が多い。多いというか、自然しかない所。
一年中体を動かしていましたね。
冬もスケートやスキーなどウィンタースポーツもやりました。
中学3年間で一度もホームシックになることはなかったです。
夏と冬の休み期間は埼玉へ帰らないといけないんですけど、帰りたくなかったくらい」と鹿追町の魅力にどっぷりハマっていた。
函館競輪場のマスコットキャラクター・りんりんと
函館市にある遺愛女子高校を選択した。
遺愛女子高校には英語科があり、大学受験のときに役立つと思った。
高校生のときは母と妹が函館に来てくれたので、3人で一緒に暮らしていました」
平日にやることがなくなってしまったとき、先輩から声をかけてもらいバスケットボールを始めました」
イベントを目当てに大宮競輪へ来場したとき、バンクでレースをしている選手を見て「こんなにスピードが出るの?すごい!」と脳裏に焼き付いた。
ふとした瞬間に競輪、ガールズケイリンのことを思い出した。
妹の同級生の父が競輪選手の盛田将人(92期・引退)であることを知ると、畠山は競輪選手のことを盛田からいろいろ教えてもらい、ガールズケイリンを目指すことを決めた。
将来を考えたときに、競輪の存在を思い出した。
妹の友だちの家族に競輪選手がいたこともあり、すんなり話が進んでいった。
初めて函館競輪場にいったとき、いきなりピストレーサーに乗せてもらったことは覚えています。
すごく難しかったけど、ガールズケイリンをやってみようと思いました」
鎖骨を骨折するアクシデントもあったが、ガールズケイリン挑戦を諦めることはなかった。
ただ落車をして鎖骨を折ってしまったので技能試験では間に合わないし厳しいと思い、適性試験で受けることにしました。
適性で一度受けてみて、ダメなら浪人してもう一度チャレンジするつもりでした」
垂直跳び、背筋力の測定、固定式自転車での脚力測定で合否が決まる。
小さなころから体を動かすことが大好きで、運動神経の良さに自信があった畠山は適性試験に合格。
122期の現役組として日本競輪選手養成所へ入学。
ガールズケイリンへの挑戦がスタートした。
試験に落ちていたら嫌だし1人で静かに見るつもりだったけど、同級生が『どうだった?』って一緒に見てくれた。
合格がわかったときは自分以上に周りの友だちたちが喜んでくれた。
うれしかったですね」
お楽しみに!
期別:122期
身長:164.1cm
登録地:北海道
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)