小さいころから活発で野球好きの祖父と一緒にキャッチボール、4歳から12歳までは新極真空手に打ち込んだそうだ。
中学の茨城県選抜に選ばれ、県代表として全国大会を経験。
高校でも全国大会を目指したいと思い、茨城県のソフトボール強豪校・水戸商業高校を選択した。
中学は家の近所だったので普通の部活動だったけど、高校は大変でした。
強豪校だったこともあり練習はキツかった。
家から電車に乗って水戸駅まで行き、自転車に乗って学校へ。
学校に着くと朝練習。授業を受けて放課後も練習。
土日も練習や試合だったので、遊ぶ時間もないし、アルバイトをしたこともない。
でも練習のおかげで自分たちが3年生になったときは県内で負けなしでした」と教えてくれた。
中学時代の戸田
ありとあらゆる全国大会が中止となり、悔しい思いをしたそうだ。
チームメイトとはいまでも仲良し。
自分も時間があると地元に帰ってよく遊んでいます」
戸田の父は大の競輪ファン。
とくにガールズケイリンが好きで、推し選手は高木真備(引退)だった。
海外旅行をはじめ、とにかくいろいろな場所に連れて行ってくれました。
取手やいわき平。西武園まで行ったこともあります。
父は高木真備さんの大ファン。
自然と自分もガールズケイリンの存在に染まっていきました」
父と撮影
その時の思い出を振り返ってもらうと「とにかくキツかった。競輪用の自転車に乗るのも初めて。お尻も足も痛かった」そうだ。
同期(122期)の選手と。写真左から渡邉栞奈、戸田、塩田日海
ガールズケイリン選手になるためのステップを一歩ずつ進めた。
そのときにいたのが河野通孝さんと中川昌久さん。
いろんな話を聞かせてもらい、河野さんが自分の師匠になってくれることになりました」
水戸から取手まで電車で通うことは大変だったけど、師匠を含めてみんな良くしてくれたので練習は楽しかった。
自転車競技の経験がないので自分は適性試験。垂直跳びや固定式自転車での最大パワー等が試験科目。
師匠が合格できるようにメニューを組んでくれたので、毎日頑張って練習しました」
122期として養成所への入学が決まった。
うれしかったですね。練習は付いていくだけで精いっぱいだった」
お楽しみに!
期別:122期
身長:159.0cm
登録地:茨城県
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)