学校が終わると練習。そんな日々が続いた。
特にやりたいこと、将来の夢もなかったので、陸上競技部に入部。
勉強に部活、放課後に友だちと遊ぶ。普通の中学生の生活を送っていた。
商業高校を選んだ理由は「自立」だった。
高校を選ぶときも、商業高校に行けば早く仕事ができるかなと思った。
大学にも行くつもりがなかったし、高校で資格を取れば就職に役立つかなと思って商業高校を選びました」
競輪選手だった父・直弘(66期・引退)が開催中に「女子復活」の話を聞いてきたことだった。
レースを見に行ったことも数えるくらい。
そんな父から女子による競輪が始まるよって話を聞いた。
同じくらいのタイミングで祖母からも女子の競輪が復活するよって教えてもらった。
体を動かすことは小さいときから好きだったし、とくに将来やりたいこともなかった。
このままなら自衛隊に入るのかな、、、くらいの感じ。
進路を考えるタイミングでもあったし、とりあえず競輪選手を目指してみるかって感じでスタートしました」
父にはとりあえず自転車に乗ってみなさいと言われた。
当時、弟と一緒に高校のそばに住んでいた。実家から高校のある岩国まで片道40キロ、毎朝、自宅から自転車に乗って1時間通学して、学校で授業を受けて、放課後自宅まで自転車に乗って帰る。
朝は山を下るので楽なのですが、夕方の帰りは山登り。
キツかったけど、その練習を見て父がガールズケイリンに挑戦することを許してくれました。
選手を目指すと決まってから、父が齋藤勝さんを紹介してくれました。
父の師匠が勝さん。父は『自分が師匠だと甘えが出てしまうから』と勝さんのもとで選手を目指して練習することになりました。
土、日は勝さんの練習グループに混ぜてもらい街道練習。
とにかくキツかったけど、選手としてのベースがこのときに作られたんだと思います」
戸田みよ子と一緒に広島から参加すると、後にガールズケイリン1期生になるメンバーが大勢いたと振り返った。
ガールズケイリンのルールも決まっていない、ユニホームもどうなるかわからない。
そんな状況の中での生活だったからか、今と比べると規則も緩かったのかもしれないですね」
ガールズケイリン1期生(102期)の選手と。
写真上段・左から荒牧聖未、中村由香里、増茂るるこ、白井美早子、加瀬加奈子
デビュー戦は2012年7月の京王閣。ガールズケイリン2戦目だった。
3、3で勝ち上がり決勝は4着(優勝は中村由香里)。
優勝こそできなかったが、追走のうまさが目を引いた。
そつない走りが三輪梓乃の持ち味とファンに印象付けた。
だからこそ、その場その場でうまく走るしかなかったんです。そのスタイルはデビューしたときから今まで変わりません」
でも金額を確認して、このままじゃやばいって思いましたよ。全然稼げないって。
当時は今みたいに開催も多くなかった。7月の京王閣の次走が8月アタマの京王閣だった。
そのときに『優勝したい』ってすぐに思ったし、地元に帰ってから練習をしないとって気持ちになりました」
9月の松戸から12月の西武園まで6場所連続で決勝進出と安定した成績を残した。
期別:102期
身長:156.0cm
登録地:山口県
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)