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<前編>ガールズケイリン初のママさんレーサー田口梓乃 堅実なレースで車券に貢献 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2023.12.06



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。



ガールズケイリン1期生の田口梓乃(旧姓・三輪)は2つ下の弟と2人きょうだい。



3歳のときに近所の人のすすめでクラシックバレエを始めると、中学2年生までクラシックバレエ一直線の生活を送っていた。

学校が終わると練習。そんな日々が続いた。



しかし中学生特有の思春期に入り「普通の学生生活を送りたい」と10年以上続けたクラシックバレエをいきなり辞めてしまった。

特にやりたいこと、将来の夢もなかったので、陸上競技部に入部。

勉強に部活、放課後に友だちと遊ぶ。普通の中学生の生活を送っていた。


高校は岩国商業高校へ進学。

商業高校を選んだ理由は「自立」だった。


「小さいころの夢はバレリーナだったけれど、バレエを辞めたことで夢が全くなくなってしまった。

高校を選ぶときも、商業高校に行けば早く仕事ができるかなと思った。

大学にも行くつもりがなかったし、高校で資格を取れば就職に役立つかなと思って商業高校を選びました」


高校でも陸上競技部には所属したが、部活に熱中というよりはスクールライフを楽しんでいたそうだ。



ガールズケイリンとの出会いは高校3年生の春。

競輪選手だった父・直弘(66期・引退)が開催中に「女子復活」の話を聞いてきたことだった。


「父は家に仕事を持ち込む人ではなかったので、競輪への知識はほとんどなかった。

レースを見に行ったことも数えるくらい。

そんな父から女子による競輪が始まるよって話を聞いた。

同じくらいのタイミングで祖母からも女子の競輪が復活するよって教えてもらった。

体を動かすことは小さいときから好きだったし、とくに将来やりたいこともなかった。

このままなら自衛隊に入るのかな、、、くらいの感じ。

進路を考えるタイミングでもあったし、とりあえず競輪選手を目指してみるかって感じでスタートしました」



競輪選手だった父は娘がガールズケイリン選手を目指すことを最初は反対したそうだ。


「覚悟がなかったんでしょうね。軽いノリで始めたいって伝えたから。

父にはとりあえず自転車に乗ってみなさいと言われた。

当時、弟と一緒に高校のそばに住んでいた。実家から高校のある岩国まで片道40キロ、毎朝、自宅から自転車に乗って1時間通学して、学校で授業を受けて、放課後自宅まで自転車に乗って帰る。

朝は山を下るので楽なのですが、夕方の帰りは山登り。

キツかったけど、その練習を見て父がガールズケイリンに挑戦することを許してくれました。

選手を目指すと決まってから、父が齋藤勝さんを紹介してくれました。

父の師匠が勝さん。父は『自分が師匠だと甘えが出てしまうから』と勝さんのもとで選手を目指して練習することになりました。

土、日は勝さんの練習グループに混ぜてもらい街道練習。

とにかくキツかったけど、選手としてのベースがこのときに作られたんだと思います」



高校3年生の夏にはガールズサマーキャンプ(現・トラックサイクリングキャンプ)にも参加した。

戸田みよ子と一緒に広島から参加すると、後にガールズケイリン1期生になるメンバーが大勢いたと振り返った。


地道な練習の成果は実り、ガールズケイリン1期生として合格すると、2011年5月、静岡伊豆にある日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)へ入学した。


ガールズケイリン1期生ということで苦労も多かったそうだ。


「自分たちも大変だったけど、先生たちも大変だったと思う。

ガールズケイリンのルールも決まっていない、ユニホームもどうなるかわからない。

そんな状況の中での生活だったからか、今と比べると規則も緩かったのかもしれないですね」


ガールズケイリン1期生(102期)の選手と。

写真上段・左から荒牧聖未中村由香里増茂るるこ白井美早子加瀬加奈子

下段・左から小林莉子大和久保美、田口


競輪学校時代は1着が9回。在校成績は9位で卒業した。

デビュー戦は2012年7月の京王閣。ガールズケイリン2戦目だった。

3、3で勝ち上がり決勝は4着(優勝は中村由香里)。

優勝こそできなかったが、追走のうまさが目を引いた。

そつない走りが三輪梓乃の持ち味とファンに印象付けた。


「脚力がないことは学校時代からわかっていましたよ。加瀬(加奈子)さんとかが出すタイムと自分のタイムを比べればすぐにわかること。

だからこそ、その場その場でうまく走るしかなかったんです。そのスタイルはデビューしたときから今まで変わりません」


初めての賞金は親にそのまま渡したそうだ。


「京王閣の賞金はそのまま親に渡しました。

でも金額を確認して、このままじゃやばいって思いましたよ。全然稼げないって。

当時は今みたいに開催も多くなかった。7月の京王閣の次走が8月アタマの京王閣だった。

そのときに『優勝したい』ってすぐに思ったし、地元に帰ってから練習をしないとって気持ちになりました」


コツコツ練習をすることで8月平塚最終日に初白星。

9月の松戸から12月の西武園まで6場所連続で決勝進出と安定した成績を残した。




後編はコチラ



田口梓乃 Shino Taguchi



生年月日:1992年8月18日

期別:102期

身長:156.0cm

登録地:山口県



松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)


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