忙しい競輪選手同士だが、時間を作り、仲を深めていき、デビュー3年目の2014年4月に結婚。
男子選手と女子選手の結婚はガールズケイリンができてから初だった。
でも結婚して良かったなと思ったことは気軽に競輪の相談ができることだった。
彼は自力選手。自分はマーク選手。自力選手の考え方はすごくためになった。
彼は自転車競技歴も長いので、自転車のことも頼りになりました」
デビュー4年目の2015年1月岸和田で初優勝を達成した。
田口は荒牧聖未のまくりに乗って一気差し。3連単30万2710円の好配当をたたき出した。
彼のクランクに変えて岸和田に参加したら優勝できた。自転車のことは本当に頼りになりました」
その当時はまだ産休制度もなく、不安もあったが、家族のサポートもあり子供を産むことを決断した。
母も含めていろんな人が協力をしてくれると言ってくれたので。
制度も整っていなかったので復帰に関して不安もあったけど、子供を育てながらやってみようと思いました」
その後同年9月防府の出走後に第2子の妊娠がわかり、再度欠場。
18年4月に第2子を出産。19年7月佐世保で再復帰を果たした。
1人目を産んだ後はすぐレースの流れに乗れたけど、2人目を産んだ後は全然感覚が戻らなかった。
アマチュア時代にやっていた100キロの乗り込みから開始して、渡口まりあが一緒に練習してくれるようになり、少しずつ戻っていった。
復帰戦の佐世保はダメダメだったけど、レースに参加することが一番感覚が戻る。
その時の自分に足りないことが明確にわかるので、走りながら戻していく方法をとっています」
その後もガールズケイリンと母親の二刀流をきっちりさばいた。
成績も出産前と同様にコンスタントに決勝に乗るところまで戻していった。
旦那や子どもたち、両親に祖父母。周りのサポートがあるおかげで今の自分がある。恵まれているんですよ。
松山の優勝も1着がなかなか取れず悩んでいるときに、旦那がセッティングを見てくれた。
5年ぶりにセッティングをごっそり変えていったら優勝することができた。
防府で練習を一緒にしてくれる仲間もいるし、周りのおかげで選手を続けることができています」
まだまだ足りない部分はあるが、女性の職業として認知されてきている。
育児もあるので1日中練習するってわけにはいかないけど、やれることをやって、選手としての結果を残したい。
今からガールズグランプリやGⅠレースの出場を目指すことは厳しいけど、目の前のレースを一生懸命走って、車券に貢献する。この気持ちは変わらない。
あとはもう1回優勝をしたいですね。娘たちの記憶にも残してあげたいですね。
1期生の自分だからできることもあると思う。後輩のガールズケイリンレーサーたちが結婚しても働きやすい環境を作ってあげたい」と語ってくれた。
同級生には初代ガールズグランプリチャンピオンの小林莉子やガールズケイリンコレクション優勝実績のある山原さくら、遅咲きの野口諭実可、異色の経歴を持つ日野未来、ガールズグランプリ初出場を果たした吉川美穂といろんな選手がいる。
期別:102期
身長:156.0cm
登録地:山口県
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)