

2つ上の姉と2つ下の弟と3人きょうだいで育った。
競輪が身近にある環境で大きくなった。
小さい頃は外で体を動かすことも、家の中でままごとをするのも好きな普通の女の子だったそうだ。

小学生の頃、仲のいい友だちに誘われたことがきっかけでバレーボールを始めると、中学、高校、大学とずっとバレーボール部に所属。
中学、高校は学校に行って勉強して、部活をして普通の日常を過ごした。
ポジションはアタッカー。強豪校ではなかったけど、毎日楽しくやっていました」

大学は亜細亜大学へ進学。
大学に進んで教員の免許を取る。そんな人生設計をしていたが、大学3年の春、就職活動が始まると気持ちに変化が起きた。
その時、高校2年生の頃に参加したガールズサマーキャンプ(現:トラックサイクリングキャンプ)のことを思い出しました」


板根茜弥(写真左)と青木
ガールズサマーキャンプに行くことを勧めてくれたが、選手になることはそんなに甘くないと伝えたかったのかもしれない。
なかなか首を縦に振らない父に対して、協力してくれたのは母だったそうだ。
父にも『やりたいことをやらせてあげれば』と話をしてくれました。
そのおかげで父も納得してくれて適性試験で受験することになりました」と感謝を口にする。
自転車競技の経験がないので、適性試験で受けることになり、父が練習メニューを組んでくれました。
小さい頃、家にパワーマックスがあることは覚えていたけど、まさか自分が選手を目指して、パワーマックスで練習することになるとは思わなかったです。
でも父の練習メニューのおかげで日本競輪選手養成所118期の適性1次試験に合格。
選手への挑戦は1回だけと決めていたので、2次試験のSPIと面接に絶対合格するって決めて頑張りました。
大学の方にも面接試験の協力をしてもらって、なんとか2次試験も合格することができました」

父と茨木は練習仲間だったこともあり、弟子入りし、練習を見てもらうこととなったそうだ。
分からないことだらけだったが、生活は楽しかったそうだ。
とにかく練習は一生懸命やりました」
家から最寄り駅までママチャリで通学していただけの青木美保にとって、1年間の養成所生活は選手としての土台作りの期間となった。
118期はレベルが高くて付いていくだけで必死でした。
周りに追い付きたくて、自主練習だけは欠かさずやっていました」
自主練習を欠かさずやり続けることで、少しずつ前進。
養成所生活の集大成となる卒業記念レースでは2、2着で決勝進出。決勝も4着。
在所成績は11位で卒業した。

118期の同期と。写真左から増田夕華、國村美留莉、西島叶子、青木

身長:161.0cm
期別:118期
登録地:埼玉県


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)