
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。
藤田まりあは埼玉県川口市の出身。5歳上の姉、2歳上の兄(藤田周磨・117期)と3人きょうだい。小さなころから活発で、男の子と外で遊ぶことが大好きな女の子だったそうだ。
両親は姉と一緒に習えるピアノに通わせたり、水泳クラブに通わせたりとしてみたものの、本人には全く刺さらず、遊ぶことに全力投球の小学生だった。
中学に進学してもやりたいことは見つからず、なんとなく足が速かったという理由だけで陸上部に入部したが、熱中するまでには至らなかった。
「中学でもとくにやりたいことはなかった。このころの将来の夢は子どもに関わる保育の仕事か、栄養士さんになること。高校進学も保育か栄養士につながるところかなと考えていました」
転機は中学3年生の夏。父親が「ガールズサマーキャンプ(現・トラックサイクリングキャンプ)に行ってみないか?」と教えてくれたときだった。
兄の周磨が栄北高校で自転車競技を始めたこともあり、勧めてくれたのだろう。
藤田まりあも最初は興味がなかったが、「夏休みだし行ってみるか」くらいの気持ちでガールズサマーキャンプに参加することを決めた。
日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)で行われたガールズサマーキャンプ。将来の夢が定まっていなかった藤田まりあにとっては衝撃的だったと振り返る。
「ガールズケイリンの選手になることに興味はなかったし、行ってみるかくらいの軽い感じで参加したけど、ゲストで来ていた加瀬加奈子さんを見てビックリした。
カーボンフレームでハロンを披露してくれたんですけど、スピードがすごかったし、格好良かった。一瞬で『ガールズケイリンやってみたい』って気持ちになりました」
ガールズケイリンのトップで活躍する加瀬加奈子のスピードに魅了されると、一気に将来の夢が定まった。
「ガールズケイリン選手になる」と心に誓うと、進学する高校選びも自転車競技部がある学校に絞った。
「自転車競技をやるなら強くなりたいって思いました。最初は兄がいる栄北高校に行きたいなって思ったけど、当時の栄北高校自転車競技部は女子がいなかった。その次に浦和工業高校がいいなと思った。いい顧問の先生もいるし、行きたいと思った。
工業高校で女子は少ないけど、『ガールズケイリンの選手になる。自転車競技で強くなる』って割り切って受験することを決めました」
浦和工業高校の自転車競技部には1学年上に小泉夢菜がいて、勉強になることが多かったと振り返る。高校生活は自転車、部活漬けの3年間だったそうだ。
小泉夢菜(写真右)
「勉強もせず、自転車に乗っている3年間でしたね(笑)。とにかく練習が厳しい部活だった。平日は学校近くのサイクリングロードで乗り込みからウエイトトレーニング。土日は大宮競輪場か、山登りの乗り込み。基礎の練習をしっかりやりましたね。
高校3年生の夏のインターハイは500メートルタイムトライアルとケイリンで優勝することを目標に頑張りました。高校2年生の終わりの選抜大会で悔しい思いをしたので、3年生のインターハイでは結果を出したいと思って練習していました。
このころは同学年の松井優佳ちゃんと励まし合っていましたね。出場種目が違ったので『夏のインターハイはお互いに優勝しようね』って話していました。自分は500メートルタイムトライアルとケイリン、松井優佳ちゃんはポイントレースでそれぞれ優勝ができてうれしかったですね」
松井優佳(写真左)と藤田
放課後の遊びやバイトなどはできなかったが、青春を全て自転車競技にぶつけた3年間は2冠制覇と結果を残せた。
「大変だったけど楽しかった。大会とかで授業を休んで全国に行けたこともなかなか味わえない経験でした」
高校3年生のインターハイが終わると、次はガールズケイリン選手への第一歩のスタート。
日本競輪学校116期の試験が迫っていた。
「高校2年生のときにガールズケイリン選手になりたいって気持ちは決まっていた。埼玉県の愛好会に参加したときの指導員が細沼健治さん。細沼さんから『もし選手を目指すなら練習みてあげるよ』って声を掛けてもらい、そこから一緒に練習をさせてもらうようになりました。
そのころから高校に行く前に大宮競輪場に朝練習へ行って、そこから高校へ。夜の9時くらいまで目いっぱい練習。そんな生活を続けていました。
でも試験は不安だったんです。116期までは1次試験が1000メートルのタイムトライアルだったんです。118期からは500メートルに短縮されたけど、自分のときは1000メートルだった。
高校時代から長い距離になると後半が得意ではなかった。1次試験の1000メートルは緊張したし、全然覚えていない。自信は全くなかったし、1次試験が合格していたときはものすごくうれしかった。
でも安心はできなかった。2次試験はSPIの試験。勉強は本当に苦手。絶対に競輪学校は1回で受かるんだって決めていたから、人生で一番勉強しました。高校の先生の協力もあり、2次試験はなんとか全問埋めることができました。でも結果発表は年明け。高校3年生の年末年始は長く感じましたね」
大嫌いな勉強に全力投球した成果は実り、116期で見事合格。現役での競輪学校入学を自分の努力でつかみとった。
116期の同期と。写真左から、藤田、岩崎ゆみこ、加藤舞、神澤瑛菜
■後編はコチラ
藤田まりあ Maria Fujita
誕生日:2000年3月21日
身長:156.0cm
期別:116期
登録地:埼玉
松本直 Suguru Matsumoto
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)