

両親は姉と一緒に習えるピアノに通わせたり、水泳クラブに通わせたりとしてみたものの、本人には全く刺さらず、遊ぶことに全力投球の小学生だった。


「中学でもとくにやりたいことはなかった。このころの将来の夢は子どもに関わる保育の仕事か、栄養士さんになること。高校進学も保育か栄養士につながるところかなと考えていました」
兄の周磨が栄北高校で自転車競技を始めたこともあり、勧めてくれたのだろう。
藤田まりあも最初は興味がなかったが、「夏休みだし行ってみるか」くらいの気持ちでガールズサマーキャンプに参加することを決めた。

カーボンフレームでハロンを披露してくれたんですけど、スピードがすごかったし、格好良かった。一瞬で『ガールズケイリンやってみたい』って気持ちになりました」
「ガールズケイリン選手になる」と心に誓うと、進学する高校選びも自転車競技部がある学校に絞った。
工業高校で女子は少ないけど、『ガールズケイリンの選手になる。自転車競技で強くなる』って割り切って受験することを決めました」

小泉夢菜(写真右)
高校3年生の夏のインターハイは500メートルタイムトライアルとケイリンで優勝することを目標に頑張りました。高校2年生の終わりの選抜大会で悔しい思いをしたので、3年生のインターハイでは結果を出したいと思って練習していました。
このころは同学年の松井優佳ちゃんと励まし合っていましたね。出場種目が違ったので『夏のインターハイはお互いに優勝しようね』って話していました。自分は500メートルタイムトライアルとケイリン、松井優佳ちゃんはポイントレースでそれぞれ優勝ができてうれしかったですね」


松井優佳(写真左)と藤田
「大変だったけど楽しかった。大会とかで授業を休んで全国に行けたこともなかなか味わえない経験でした」
日本競輪学校116期の試験が迫っていた。
そのころから高校に行く前に大宮競輪場に朝練習へ行って、そこから高校へ。夜の9時くらいまで目いっぱい練習。そんな生活を続けていました。
でも試験は不安だったんです。116期までは1次試験が1000メートルのタイムトライアルだったんです。118期からは500メートルに短縮されたけど、自分のときは1000メートルだった。
高校時代から長い距離になると後半が得意ではなかった。1次試験の1000メートルは緊張したし、全然覚えていない。自信は全くなかったし、1次試験が合格していたときはものすごくうれしかった。
でも安心はできなかった。2次試験はSPIの試験。勉強は本当に苦手。絶対に競輪学校は1回で受かるんだって決めていたから、人生で一番勉強しました。高校の先生の協力もあり、2次試験はなんとか全問埋めることができました。でも結果発表は年明け。高校3年生の年末年始は長く感じましたね」

116期の同期と。写真左から、藤田、岩崎ゆみこ、加藤舞、神澤瑛菜

身長:156.0cm
期別:116期
登録地:埼玉


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)