

小さい頃から活発で水泳、フットサル、合気道といろいろなスポーツに挑戦した。
母がピアノの先生をやっていたこともあり、バイオリンにも挑戦。4歳から始めると中学卒業まで続けたそうだ。
今後、第5の人生くらいの時、バイオリンを弾くような優雅な時間を過ごしてみたいですね」


勉強に部活、友だちとの遊びと中学生活を楽しんだ。
部活では100メートル走と幅跳びをやっていた。市内ではだいたい1位か2位で、埼玉県大会に出るレベルでした」
「青木美保ちゃんはバレーボール部。うちの中学校の女子バレーボール部は格好良くてキラキラしていたんです。
当時は青木美保ちゃんとそんなにお話をしたことはなかったけど、今同じガールズケイリン選手をやっているのはすごい偶然ですよね」

「高校は公立の行きたい学校があったので一生懸命勉強をしたんです。でも私立の埼玉栄高校にも興味があり、学校見学に行った時、『この高校に行きたい』って思ったんです。
高校でも陸上競技を頑張りたいと思っていた。埼玉栄は埼玉県内で陸上競技の強豪校。県内大会レベルの自分でも、日本一になる努力をしている人たちと過ごす高校生活は、その先に得られるものがあるんじゃないかと思って、この高校に入りたいと思いました」
高校1年生の冬から400メートル走に転向して、その後、高校2年生の時には400メートルハードル。高校3年生のインターハイでは400メートルハードルと4×400メートルリレーと2つの種目で準決勝まで行くことができました」


当時の順天堂大学はAO入試があり、ペーパーテストとは違い、出願書類や面接、小論文が合否を分けた。
そしたら受験票の下2桁が『53』だったんです(笑)。53=五味。これ受かるじゃんって思って試験に臨んだら合格。こんなことあるんだなってびっくりしました」


大学でも陸上競技を続けるつもりだったが、高校3年生の1月、大学の事前研修が大きなターニングポイントになった。
自転車競技部の顧問の勧誘で自転車への興味が湧いてきた。
高校の恩師に相談をしたら『新しいことを始めてみるのもいいんじゃない』と言われました。
迷っている時期に大学の自転車競技部の先輩たちから連絡をもらうこともありました。『大会、見に来てください』とか、すごく対応がよかったんです。家も金銭的に少し余裕があったこともあり自転車も用意することができた。
いろんなことが重なって、神様から『自転車をやってみなさい』って言われているような気もしたので、やってみることにしました」

写真上段左から高橋美沙紀、五味田、松井優佳、下段左から宇野紅音、神戸暖稀羽
それでも辞めようという気持ちにはならなかったそうだ。

大学4年生のインカレも昨年と同様に3キロインディヴィデュアルパーシュートとチームスプリントで3位。
大学で日本一になるという目標は達成することはできなかった。
陸上競技は6年間やってようやく最後の1年で成績を残せた。自転車競技も4年間で成績を残せるわけがないって思ったんです。大学院に行って競技を続けようと思いました」


誕生日:1997年10月14日
身長:165.1cm
期別:124期
登録地:千葉


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)