

ウエイトトレーニングをしたり、レース形式の練習をしたりと、デビューに向けて考えて練習をした成果がでました」と競輪ルーキーシリーズ2022を振り返った。
「5月16日は母の誕生日。両親にはずっとお世話になっていた。高校卒業後、2浪までしてやっと競輪選手になれたので。母はずっと手荒れがひどくて、そんな母の手が少しでも良くなればと思い、初めてもらった賞金で食器洗浄機を買ってプレゼントしました。母は泣いて喜んでくれました」

予選2走は7着、6着のオンパレード、最終日の一般戦でようやく確定板に入るが、苦しい戦いが続いた。このままではクビになってしまうと思う時もあったそうだ。
新人選手にとって1番の高いハードルだ。
「点数を取ることも大事だけど、新人の今は脚を付けること、レースを動かすことがもっと大事」と小林にアドバイスを送った。
小林も師匠の言葉の意味はわかっていたが、体が動かなかった。消極的なレースが続いていた。

2日目の予選2で、橋本佳耶を叩いて先行勝負。最終バックを先頭で通過する積極策を披露。結果は6着だったが、インパクトを残した。
デビュー年の最終戦となった12月の名古屋では當銘直美の逃げを3番手からまくりで捕らえて予選初勝利。少しずつガールズケイリンに慣れてきた。
「次の期は絶対に47点以上を取るって気持ちで頑張れました」

「一般戦の鬼」と呼ばれる時期もあったが、しっかり動くレースを心がけて、少しずつ力を付けていった。最終的には47点もクリアした。
「先輩としての意地もあった。簡単に抜かれたくないし、いい刺激になりました」

小林と同県の宮西令奈(写真右)
「ミッドナイトだったので、まだ寝ていました。そうしたら同級生の田中月菜から『地震だよ』って言われて、慌ててテレビを見たんです。
そしたら地元の北陸が地震になっていてびっくり。緊急事態なので選手管理を通じて自宅に確認して、母の声を聞いた時はホッとしました。海に近いので、もしかしたら津波の被害にあっているかもとドキドキしていました。一通りの確認を終えた時にはもうグッタリ。泣き疲れました。
今私にできることはレースで頑張ることだけ。自分が弱気になったら、家族も心配するだけ。私にできることは元気に走ること」と気持ちを入れ直し開催に臨んだ。
「予選はダメだったけど、最終日はなんとか1着をプレゼントしたいと思っていた。展開は最悪の7番手だけど、諦めなかった。最後は脚じゃなくて気持ちで1着まで届いたって感じでした」
能登半島地震の被害は甚大だったが、不幸中の幸いで小林の練習拠点、石川県立自転車競技場は被害を受けなかった。

岐阜から流れを変えるんだと気持ちを入れていったらいきなり優勝。びっくりしました。
決勝の展開は又多(風緑)さんが何かするかなと思った。内が空いた時は瞬時の反応で突っ込めた。あとは突っ張りきればって感じ。最後も自分が何着かわからなかった。3着までに入れば自己ベストだなと思っていたら『1着、7番』って決定放送が入った。
一緒に決勝を戦った選手から『おめでとう』って声をかけてもらえたことがうれしかった。レース中はライバルだけど、自転車を降りたら、たたえあえる関係はすごく素敵だと思いました」

「私は成績の上がり下がりが大きい。これからはコンスタントに決勝に乗れて、決勝の着順も確定板に入れるようにしていきたい。車券に絡める選手を目指していきたい」と後半戦への意気込みを語る。
今年は地震からスタートして大変な思いもしたが、初優勝も経験して忘れられない1年になりそうだ。
2回目の優勝へ努力を続ける小林真矢香の挑戦はまだ始まったばかりだ。

身長:167.1cm
期別:122期
登録地:石川県


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)