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<後編>能登半島地震を乗り越え初優勝!122期・小林真矢香 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2024.08.23



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。




■前編はコチラ



小林真矢香のデビュー戦は2022年5月の松山。4、2着で予選を突破して決勝進出(決勝4着)。2戦目の四日市は予選敗退だったが、3戦目の大宮でも決勝進出し、3着と健闘。順調なスタートを決めた。


「まさかですよ。在所15位で影の存在の自分が決勝進出ですよ。びっくりしました。卒業してからこのままじゃダメ。落ちこぼれになってしまうと思って、デビュー戦に向けてがっつり練習をしました。

ウエイトトレーニングをしたり、レース形式の練習をしたりと、デビューに向けて考えて練習をした成果がでました」と競輪ルーキーシリーズ2022を振り返った。


初めてもらった賞金は食器洗浄機を購入して母へプレゼントしたそうだ。

「5月16日は母の誕生日。両親にはずっとお世話になっていた。高校卒業後、2浪までしてやっと競輪選手になれたので。母はずっと手荒れがひどくて、そんな母の手が少しでも良くなればと思い、初めてもらった賞金で食器洗浄機を買ってプレゼントしました。母は泣いて喜んでくれました」


写真上段左から畠山ひすい、小林、又多風緑

写真下段左から蛯原杏奈小泉夢菜野寺楓


7月からは先輩との対戦。同期同士で戦って、少しだけ持てた自信はすぐに打ち砕かれた。

予選2走は7着、6着のオンパレード、最終日の一般戦でようやく確定板に入るが、苦しい戦いが続いた。このままではクビになってしまうと思う時もあったそうだ。


「ルーキーシリーズとは全く違った。こんなにもうまく走れないのかと思いました。(競走得点で)47点も取れないし、このままだとストレートでクビになっちゃうってビビりました」


ガールズケイリン選手にとって47点は現役続行へのデッドライン。

新人選手にとって1番の高いハードルだ。


小林自身もなんとか47点確保へ着順をまとめる方向へ思考を変えようとしたが、師匠・坂上樹大の考え方は違った。

「点数を取ることも大事だけど、新人の今は脚を付けること、レースを動かすことがもっと大事」と小林にアドバイスを送った。

小林も師匠の言葉の意味はわかっていたが、体が動かなかった。消極的なレースが続いていた。



動くことへのきっかけは11月の別府。

2日目の予選2で、橋本佳耶を叩いて先行勝負。最終バックを先頭で通過する積極策を披露。結果は6着だったが、インパクトを残した。


直後の伊東温泉では最終日の一般戦で逃げて初勝利をゲット。

デビュー年の最終戦となった12月の名古屋では當銘直美の逃げを3番手からまくりで捕らえて予選初勝利。少しずつガールズケイリンに慣れてきた。


「別府の2日目は自分で先行して初めてバックを取れた。レース後に橋本佳耶さんから「力強いレースだったよ」って声をかけてもらえたし、いろいろアドバイスをもらえたのが大きかった。そのおかげで動いて頑張りたいと思った。伊東の1着は橋本佳耶さんのおかげですね」


デビュー期を46・80点で終えたが、ネガティブな気持ちにはならなかった。

「次の期は絶対に47点以上を取るって気持ちで頑張れました」



2023年の前半は予選で結果が残せなくても、きっちり最終日の一般戦で1着を取る。

「一般戦の鬼」と呼ばれる時期もあったが、しっかり動くレースを心がけて、少しずつ力を付けていった。最終的には47点もクリアした。


同年の夏には124期がデビュー。地元石川からも後輩の宮西令奈がデビューした。

「先輩としての意地もあった。簡単に抜かれたくないし、いい刺激になりました」


小林と同県の宮西令奈(写真右)


2024年は激動のスタートとなった。佐世保ミッドナイトに参加していたが、開催初日の1月1日、地元石川を含む北陸地方で地震が発生した。

「ミッドナイトだったので、まだ寝ていました。そうしたら同級生の田中月菜から『地震だよ』って言われて、慌ててテレビを見たんです。

そしたら地元の北陸が地震になっていてびっくり。緊急事態なので選手管理を通じて自宅に確認して、母の声を聞いた時はホッとしました。海に近いので、もしかしたら津波の被害にあっているかもとドキドキしていました。一通りの確認を終えた時にはもうグッタリ。泣き疲れました。

今私にできることはレースで頑張ることだけ。自分が弱気になったら、家族も心配するだけ。私にできることは元気に走ること」と気持ちを入れ直し開催に臨んだ。


予選2走は5、6着と結果は出なかったが最終日の一般戦で1着を取り、地元で見守る家族へエールを送った。

「予選はダメだったけど、最終日はなんとか1着をプレゼントしたいと思っていた。展開は最悪の7番手だけど、諦めなかった。最後は脚じゃなくて気持ちで1着まで届いたって感じでした」


佐世保終わりは無事石川へ帰宅。最終日の一般戦の賞金93,000円を寄付したそうだ。

能登半島地震の被害は甚大だったが、不幸中の幸いで小林の練習拠点、石川県立自転車競技場は被害を受けなかった。



その後も四日市、京王閣、岸和田と決勝進出。順調に成績が上向いたが、4月中旬、練習中に落車。5月川崎で復帰するも、結果は一息だったが、悪い流れは6月の京都向日町最終日の1着で断ち切ると、追加で参加した6月岐阜で初優勝をゲットした。


「練習中の落車から思うようなレースができなくなっていたんですけど、1着が取れて流れが変わった。負の連鎖を断ち切れたって感じでした。

岐阜から流れを変えるんだと気持ちを入れていったらいきなり優勝。びっくりしました。

決勝の展開は又多(風緑)さんが何かするかなと思った。内が空いた時は瞬時の反応で突っ込めた。あとは突っ張りきればって感じ。最後も自分が何着かわからなかった。3着までに入れば自己ベストだなと思っていたら『1着、7番』って決定放送が入った。

一緒に決勝を戦った選手から『おめでとう』って声をかけてもらえたことがうれしかった。レース中はライバルだけど、自転車を降りたら、たたえあえる関係はすごく素敵だと思いました」



初優勝後は決勝に乗ったり、乗れなかったりと成績が安定しない現状だ。小林自身も課題は見えている。

「私は成績の上がり下がりが大きい。これからはコンスタントに決勝に乗れて、決勝の着順も確定板に入れるようにしていきたい。車券に絡める選手を目指していきたい」と後半戦への意気込みを語る。


陸上競技から急に方向転換して競輪選手を目指すことになり、2浪までした。

今年は地震からスタートして大変な思いもしたが、初優勝も経験して忘れられない1年になりそうだ。


「2浪してやっとなれた競輪選手。息の長い選手になりたい。競輪選手はやりがいのある仕事。出会えて本当によかった」


遠回りをしたが、小林真矢香にとって競輪選手は天職なのかもしれない。

2回目の優勝へ努力を続ける小林真矢香の挑戦はまだ始まったばかりだ。



小林真矢香 Mayaka Kobayashi



誕生日:2001年3月18日

身長:167.1cm

期別:122期

登録地:石川県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)


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