


小学生時代の夢は春高バレーに出場して、オリンピックに出ることだった。

地元の公立中学でバレーボール部は続けたが、小さなころに思い描いた理想とはかけ離れていき、バレーボールへの熱意は低下してしまった。
最初は気持ちが乗らなかった。「自転車競技って足が太くなるし嫌だな」と先入観を持っていたが、別府競輪場で日出総合高校の自転車競技部の練習を見学すると、一気にときめいた。
女子で自転車競技をやっているのは格好良い。日出総合高校に行って自転車競技をやるってなりました」
「高校に入学する4月から自転車を一生懸命やろうと思っていたんですが、父は違いました(笑)。ロードバイクを買ってくれて、自宅にローラーまで用意してくれた。『ローラーには毎日乗りなさい』と言われてやっていました」

122期の同期と。写真左から又多風緑、渡部遥、松本詩乃、安東
「両親からは祖父母が日出に住んでいなかったら、日出総合高校に通わせていなかったって言われました。恵まれています。家のことも全部おばあちゃんがやってくれた。部活のお弁当も毎日作ってくれたし本当に助かりました。
高校生活が始まってからは自転車競技部の練習はキツかったし楽しくなかったんですよ。3年生に自分がなったとき、是永ゆうきちゃんが1年生で入ってきたけど、それまでは女子1人だったんです。部活の練習はキツかったけど、部活の仲間と過ごす時間は楽しかったんです。それでなんとか続いていた感じでした。
部活を始めたときはガールズケイリン選手になることは考えていなかったんですが、高校2年生のときにはガールズケイリン選手になりたい。日本競輪選手養成所を受けようと思いました。
でも試験は自信がなかったですね。高校時代に大した成績も残せなかったし、高校3年生のときはインターハイにも行けなかったし、同級生で日本競輪選手養成所を目指す人も多くて、レベルが高かった(飯田風音、内野艶和など)ので不安でした。
1次試験はなんとかクリアできたんですが、2次試験はダメだった。試験結果の発表は高校の授業中でした。携帯を見てはいけない状況だったけどこっそり見て『落ちてしまったか』って感じ。
高校の友だちも心配して一緒に結果を気にしてくれていたので、その場はなんとか乗り切ったけど、家に帰ったらおばあちゃんがお母さんと電話をしていたんです。おばあちゃんから『これからどうするの?』って言われて…。自分の部屋に入ってから涙が止まらなくなってしまいました」

挑戦を後押ししてくれたのは地元の先輩・大塚健一郎だった。
そのときまではこれからどうしようか迷っていたけど、大塚さんから連絡をもらってガールズケイリン選手を目指してもう1年頑張ろうって思いました」

誕生日:2001年4月20日
身長:153.0cm
期別:122期
登録地:大分県


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)