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<前編>悲願の地元初白星&地元初優勝へ!122期・安東莉奈 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2024.09.06



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。




安東莉奈は大分県出身。3歳上の姉、6歳下の弟と3人きょうだい。自然の多い安心院町(あじむまち)で育ち、外で男子と遊ぶことの大好きな活発ガールだった。



体を動かすことが大好きで、姉が先にやっていたバレーボールを小学1年生のときから開始した。身長はチームの中で低いほうだったが、運動神経の良さは抜群。ジャンプ力にも自信があり、チームではキャプテンでエースを務めていた。

小学生時代の夢は春高バレーに出場して、オリンピックに出ることだった。



中学はバレーボールの強豪校への進学を希望したが、地元から通学に時間がかかることがネックになり、かなわなかった。

地元の公立中学でバレーボール部は続けたが、小さなころに思い描いた理想とはかけ離れていき、バレーボールへの熱意は低下してしまった。


バレーボールを続けることに意欲がなくなりかけていたとき、近所の知り合いが「自転車競技はどうだい?」と声をかけてくれた。

最初は気持ちが乗らなかった。「自転車競技って足が太くなるし嫌だな」と先入観を持っていたが、別府競輪場で日出総合高校の自転車競技部の練習を見学すると、一気にときめいた。


「イヤイヤで別府競輪場に行って自転車競技部の練習を見学したんです。見た瞬間に、コレやりたい!ってなりました。

女子で自転車競技をやっているのは格好良い。日出総合高校に行って自転車競技をやるってなりました」


日出総合高校へは推薦入学。中学卒業までは楽しく過ごすつもりだったが、父は違ったそうだ。

「高校に入学する4月から自転車を一生懸命やろうと思っていたんですが、父は違いました(笑)。ロードバイクを買ってくれて、自宅にローラーまで用意してくれた。『ローラーには毎日乗りなさい』と言われてやっていました」


122期の同期と。写真左から又多風緑渡部遥松本詩乃、安東


高校入学と同時に実家を出て、高校の近くにある祖父母が住む家で暮らすこととなった。

「両親からは祖父母が日出に住んでいなかったら、日出総合高校に通わせていなかったって言われました。恵まれています。家のことも全部おばあちゃんがやってくれた。部活のお弁当も毎日作ってくれたし本当に助かりました。

高校生活が始まってからは自転車競技部の練習はキツかったし楽しくなかったんですよ。3年生に自分がなったとき、是永ゆうきちゃんが1年生で入ってきたけど、それまでは女子1人だったんです。部活の練習はキツかったけど、部活の仲間と過ごす時間は楽しかったんです。それでなんとか続いていた感じでした。

部活を始めたときはガールズケイリン選手になることは考えていなかったんですが、高校2年生のときにはガールズケイリン選手になりたい。日本競輪選手養成所を受けようと思いました。

でも試験は自信がなかったですね。高校時代に大した成績も残せなかったし、高校3年生のときはインターハイにも行けなかったし、同級生で日本競輪選手養成所を目指す人も多くて、レベルが高かった(飯田風音内野艶和など)ので不安でした。

1次試験はなんとかクリアできたんですが、2次試験はダメだった。試験結果の発表は高校の授業中でした。携帯を見てはいけない状況だったけどこっそり見て『落ちてしまったか』って感じ。

高校の友だちも心配して一緒に結果を気にしてくれていたので、その場はなんとか乗り切ったけど、家に帰ったらおばあちゃんがお母さんと電話をしていたんです。おばあちゃんから『これからどうするの?』って言われて…。自分の部屋に入ってから涙が止まらなくなってしまいました」



高校卒業から養成所入所と思い描いた通りのステップを踏むことはできなかったが、ガールズケイリン選手になることへの挑戦は続けた。

挑戦を後押ししてくれたのは地元の先輩・大塚健一郎だった。


「自分がアマチュアのとき、大塚健一郎さんに面倒を見てもらいました。大塚さんから養成所の試験に落ちてしまったあとラインがきて「1次試験を通ったならここで諦めるのはもったいない。競輪は実技だから。ここで辞めるのは違うだろう」ってメッセージをもらいました。

そのときまではこれからどうしようか迷っていたけど、大塚さんから連絡をもらってガールズケイリン選手を目指してもう1年頑張ろうって思いました」



■後編はコチラ



安東莉奈 Rina Ando


誕生日:2001年4月20日

身長:153.0cm

期別:122期

登録地:大分県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)


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