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<前編>困難を“ひらり”と乗り越えた先には輝く未来が待っている! 防府の新人・磯村光舞【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2024.11.08



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。




磯村光舞(いそむら・ひらり)は山口県防府市の出身。7歳下の妹と2人姉妹。両親からは「よく動き回っている子」と言われる活発な女の子だった。



運動は泳ぐことが好きだったこともあり、水泳を小学生時代の6年間続けた。陸上は小学6年生から始めると、中学、高校と打ち込んだ。


「小学生の頃から走ることが速かったし好きだった。体育の成績も全教科の中で一番良かったんです。自分の得意なことをやりたいって思ったので、陸上競技を始めました」


中学校で陸上競技を始めると最初は長距離走に挑戦したが、顧問から「短距離走のほうが向いているよ」と言われ4種競技(100mハードル、走高跳、砲丸投、200m走)に転向。山口の県大会で入賞と運動神経の良さを遺憾なく発揮した。


中学時代は部活動に熱中。高校は山口県立防府商工高等学校へ進学した。

「中学時代にはまだやりたいことが見つからなかった。どこの高校に行きたいとかも決まっていない時期に防府商工の陸上競技部の顧問から『防府商工で陸上競技をやりませんか』って声を掛けてもらいました。そのことがきっかけで防府商工へ行こうと決めました」


山口県立防府商工高等学校へは自宅から自転車通学。

「自宅から高校まではママチャリで通っていました。今考えると周りと比べて自転車をこぐスピードは速かったかもしれないですね。でもまさか競輪選手になるなんて、この頃は1ミリも思っていませんでした」


高校でも陸上競技中心のスクールライフを送った。

「朝練をして授業を受けて、放課後も練習。遊びに行ったりバイトとは無縁の生活を送っていました」



転機は進路を決めるタイミングで訪れた。


「高校に入ってずっと消防士になりたいと思っていたんです。自分は体がすごく丈夫だった。ケガも病気もしない頑丈な体だったので、この体を生かして人を助ける仕事をしたいと思っていました。

その中で消防士は向いているかなと。消防士になるための進学準備もしていたんですが、高校時代は部活に熱中し過ぎて、勉強時間が取れなかった。そのタイミングで消防士以外の選択肢もあるかなって考えていました。

どうしようかなって悩んでいる時期に高校の体育の先生に声を掛けられたんです。その体育の先生は自転車競技部の顧問もしていて『自転車競技、やってみないか』と言われた。その時は『陸上部だし、無理です』って返事をしました。でも興味は湧いたんです。

家に帰ってから自転車競技を調べてみたら競輪が出てきた。競輪について調べていくと、伊豆の(日本競輪選手)養成所の入所試験に合格して、1年後に資格が取れれば競輪選手になれるって書いてあった。『これ楽しそう!』ってピンときたんです。ずっと自宅から学校へ通う生活だったので、寮生活への憧れがありました。

競輪について何も知らなかったし、両親に話をしたら父が『防府競輪でレースをやっているから見に行ってみよう』ってすぐに動いてくれた。父と2人で防府競輪場へレースを見に行って『競輪やりたい!』と思い、高校に行って自転車競技部の顧問にその思いを伝えてガールズケイリンを目指すことになりました」


初めて見た競輪のかっこよさに一目惚れ。

将来の進路で迷っていた磯村光舞は一気に競輪選手に向かって走り出した。



高校3年生の夏に進路が決まると、とんとん拍子で話が進んだ。

顧問から日本競輪選手会山口支部の支部長・井山和裕を紹介されて弟子入り。秋の試験に向けて動き出した。


「山口支部の選手のみなさんのおかげで練習は順調に進みました。最初は自転車競技の経験もないし、適性試験で受験するつもりだったけど、周りのみなさんのおかげで練習のタイムが良くなっていったので、技能で受ける方向になった。

夏休み期間には名古屋競輪場でのトレーニングキャンプ(入所試験体験)にも参加しました。その時に知り合った伊澤茉那さんとは養成所でも同期になり、今でも仲良しなんです」


磯村と伊澤茉那


自転車経験3カ月で迎えた126期の1次試験。

雨が降る厳しいコンディションで500メートルのタイムトライアル。持てる力の限りを出したが、寒さのせいで足が動かなかった。

タイム測定が終わった瞬間に「あ、これ落ちたわ」と思うくらい手応えはなかった。

1次試験後に、山口に帰ってからは師匠や練習仲間には「試験、落ちたかもしれないです。準備不足でした」と伝えていた。


落ち込む気持ちは全くなく、来年の128期の試験に向けてすぐに練習を再開。養成所の試験を1回で辞めるつもりはなかったそうだ。

1次試験の合格発表日。磯村は合格の手応えが全くなかったため、試験結果の発表を意識していなかった。


「絶対にダメだと思っていたし、もう来年の試験で絶対に合格するって気持ちに切り替えて練習をしていた。だから126期の1次試験の結果発表は全く意識していなかった。

そうしたら親からラインの連絡が来て『1次試験の合格者の中に受験番号があったよ。おめでとう』って。先輩選手からもラインがいっぱい来て『あ、自分、合格したんだ』って感じでした。人生の中で過去イチうれしかったです(笑)」


山口支部の同期と。左から原田峻治、角宗哉、磯村、野村賢、藤井優希


落ちたと思った1次試験を通過したからには、2次試験は絶対に失敗はしたくなかった。

2次試験に向けては山口支部の選手が親身になって協力してくれた。


「勉強はある程度していたので自信はありました。面接は支部のみなさんのおかげの一言。先輩が面接官役になってくれて、実際に行うような面接をしてくれました。みんな養成所の試験をやってきているので、どういう質問がくるか知っている。その練習のおかげで、本番では全く緊張することなく面接できました。質問内容も山口でやっていたものと同じ感じで、本当に先輩たちのおかげで2次試験もクリアできました」


2次試験の合格発表は自信を持って3分前からスマホを握っていた。

自分の名前を見つけると師匠にラインをして、競輪場に向かい、お世話になった先輩選手へあいさつに行ったそうだ。



■後編はコチラ



磯村光舞 Hirari Isomura



誕生日:2004年9月15日

身長:165.0cm

期別:126期

登録地:山口県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)


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