


「中学時代にはまだやりたいことが見つからなかった。どこの高校に行きたいとかも決まっていない時期に防府商工の陸上競技部の顧問から『防府商工で陸上競技をやりませんか』って声を掛けてもらいました。そのことがきっかけで防府商工へ行こうと決めました」
「自宅から高校まではママチャリで通っていました。今考えると周りと比べて自転車をこぐスピードは速かったかもしれないですね。でもまさか競輪選手になるなんて、この頃は1ミリも思っていませんでした」
「朝練をして授業を受けて、放課後も練習。遊びに行ったりバイトとは無縁の生活を送っていました」

その中で消防士は向いているかなと。消防士になるための進学準備もしていたんですが、高校時代は部活に熱中し過ぎて、勉強時間が取れなかった。そのタイミングで消防士以外の選択肢もあるかなって考えていました。
どうしようかなって悩んでいる時期に高校の体育の先生に声を掛けられたんです。その体育の先生は自転車競技部の顧問もしていて『自転車競技、やってみないか』と言われた。その時は『陸上部だし、無理です』って返事をしました。でも興味は湧いたんです。
家に帰ってから自転車競技を調べてみたら競輪が出てきた。競輪について調べていくと、伊豆の(日本競輪選手)養成所の入所試験に合格して、1年後に資格が取れれば競輪選手になれるって書いてあった。『これ楽しそう!』ってピンときたんです。ずっと自宅から学校へ通う生活だったので、寮生活への憧れがありました。
競輪について何も知らなかったし、両親に話をしたら父が『防府競輪でレースをやっているから見に行ってみよう』ってすぐに動いてくれた。父と2人で防府競輪場へレースを見に行って『競輪やりたい!』と思い、高校に行って自転車競技部の顧問にその思いを伝えてガールズケイリンを目指すことになりました」
将来の進路で迷っていた磯村光舞は一気に競輪選手に向かって走り出した。

顧問から日本競輪選手会山口支部の支部長・井山和裕を紹介されて弟子入り。秋の試験に向けて動き出した。
夏休み期間には名古屋競輪場でのトレーニングキャンプ(入所試験体験)にも参加しました。その時に知り合った伊澤茉那さんとは養成所でも同期になり、今でも仲良しなんです」

磯村と伊澤茉那
雨が降る厳しいコンディションで500メートルのタイムトライアル。持てる力の限りを出したが、寒さのせいで足が動かなかった。
タイム測定が終わった瞬間に「あ、これ落ちたわ」と思うくらい手応えはなかった。
1次試験後に、山口に帰ってからは師匠や練習仲間には「試験、落ちたかもしれないです。準備不足でした」と伝えていた。
1次試験の合格発表日。磯村は合格の手応えが全くなかったため、試験結果の発表を意識していなかった。
そうしたら親からラインの連絡が来て『1次試験の合格者の中に受験番号があったよ。おめでとう』って。先輩選手からもラインがいっぱい来て『あ、自分、合格したんだ』って感じでした。人生の中で過去イチうれしかったです(笑)」

山口支部の同期と。左から原田峻治、角宗哉、磯村、野村賢、藤井優希
2次試験に向けては山口支部の選手が親身になって協力してくれた。
自分の名前を見つけると師匠にラインをして、競輪場に向かい、お世話になった先輩選手へあいさつに行ったそうだ。

身長:165.0cm
期別:126期
登録地:山口県


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)