
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。

佐々木綾は福島県白河市の出身。4歳下の弟、7歳下の妹と3人きょうだいで育った。
小さい頃はボーイッシュな見た目で、男の子と間違えられることもあったそうだ。

部屋の中でゲームをするより外で遊ぶことが大好き。活発だったこともあり小学1年生から4年生まではサッカークラブに入っていた。
陸上競技は小学4年生の時にスタート。短距離やハードルで活躍した。
地元の中学校へ進学すると、陸上競技部に入部した。中学では走り高跳びを選択。
「地元の中学の陸上競技部は部員が多かった。どうやったら試合に出られるかを考えました。そしたら走り高跳びをやっている人が少なかったんです。『これなら試合に出られるかも』と思って走り高跳びをやることに決めました」

競技を始めた頃は苦戦したが、練習をしっかりすることと、天性の運動神経の良さが連動して、中学2年生の時には全国中学校陸上競技選手権大会に出場するまで成長した。
高校は自宅から通える(福島県立)白河旭高校へ進学。毎日自転車で片道30分かけて通学していた。
「高校時代も陸上競技の部活中心の生活でした。走り高跳びを続けて、記録はそこまで伸びなかったけど、インターハイにも出場できました」

高校卒業後の進路はいろいろ模索をしていた。
「小さい頃から憧れていた職業は編集者。中学・高校時代はジャニーズ(STARTO ENTERTAINMENT)のアイドルが大好きだったんです。雑誌の『Myojo』をずっと読んでいて、こういう雑誌の編集者になりたいって思っていました。高校生の頃はとりあえず勉強をして、大学に進んでから将来やりたい仕事を見つけようかなって漠然と考えていました」
明確な目標が見つからない高校生活を送っていた佐々木に、偶然ガールズケイリンとの出会いは訪れた。
「高校2年生か3年生の時、白河市のスポーツイベントがあって、手伝いをしていました。そこに自転車の速度を測る体験コーナーがあって、1位になると図書カード1000円が景品でもらえたので、やってみようとなったんです。高校時代はバイトが禁止されていたので、1000円の図書カードは欲しかったんです(笑)。挑戦したらまさかの1位になって景品をゲットできました」

この佐々木の自転車を漕ぐ姿を見たある男性から声をかけられたのだ。
声をかけたのは福島県の名伯楽・斑目秀雄(24期・引退)だった。
斑目秀雄と言えば自身も特別競輪で活躍。弟子の指導にも熱心で、岡部芳幸、伏見俊昭、新田祐大などタイトルホルダーを輩出。自転車競技でも長年日本代表のコーチングスタッフを務めるなど、競輪界の重鎮の1人だ。
「最初は図書カード欲しさで自転車に乗ってみたけど、斑目さんから『競輪やってみない?競輪選手はお金を稼げるよ!』と声をかけてもらった時、そういう道もあるのかって思いました。
当時は管理栄養士になろうかなと思ったりしていたけど、心のどこかに『周りの人と違う仕事をしてみたい』という気持ちもあったんです。競輪選手をしている人は自分の周りにはいなかったし、面白そうって思った。
自分の力でお金を稼ぐことができるし、活躍すればテレビにも出られて、ジャニーズの人に会えるかもって。『よし、やってみよう』と思いました」
少し動機は不純だったかもしれないが、やりたいことが見つからなかった時期にガールズケイリンと出会い、競輪選手を目指すこととなった。

競輪選手になると決めてからは師匠・斑目秀雄の自宅道場が練習場所だった。
自宅から高校へ行って授業を受けた後、放課後は道場に行って日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)合格への特別メニューを組んでもらい、練習を重ねる日々だった。
「自分は陸上競技出身。自転車競技の経験は無かった。116期の試験は適性試験で受けることになりました。同門の先輩・
藤巻絵里佳さんも適性試験で受けていたので。適性試験で合格するための練習メニューを毎日やっていましたね。自転車に乗る練習は無かったし、いわき平競輪場にレースを見に行くことも無かったですね。
でも今となっては、高校生の時に現場でレースを見たかった。2017年8月のオールスター競輪(優勝・渡邉一成)はチャンスだったんですよね。昨年5月の日本選手権競輪(優勝・平原康多)を現場で見させてもらったけど、雰囲気がすごかった。高校生の時に見てみたかったです」
師匠の熱心な指導のかいもあり、116期の適性試験は見事に合格。競輪選手への第一歩を踏み込んだ。
「受験は1回にしようと思っていたので、合格できてよかった。ガールズケイリン用のカーボンフレームに乗り始めたのは合格してから。泉崎の競技場(泉崎国際サイクルスタジアム)で初めてまたがった時はびっくりした。ローラーに乗れなかったし、大丈夫かなって感じでした」
日本競輪学校116期生として2018年5月に入学。1年間の寮生活は苦労が多かったと振り返る。

「自転車競技の経験が無かったので大変でした。落車を4回して、体重も落ちてしまったし、神経質になっていましたね。1人でタイムを出すことはできたけど、競輪競走の走り方が全く分からなかった。先行してもまくられてしまうし、1着を取る人はすごいなっていう感じで見ていた。
休みの日は外出することが多かった。三島で映画を見たりファミレスに行ったりして気分転換をして、月曜日からの練習に備えていました」
在校成績は0勝、116期21人中21位という順位を受け入れて、日本競輪学校を巣立ち、2019年7月のプロデビューに向けて練習に打ち込んだ。
■後編は
コチラ
佐々木綾 Aya Sasaki

誕生日:1999年6月27日
身長:171.5cm
期別:116期
登録地:東京都
松本直 Suguru Matsumoto


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)