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<後編>病気を経験し再起を図る神戸暖稀羽・1周駆けて1着に残れる選手に! 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2025.02.21



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。




■前編はコチラ



神戸暖稀羽は2023年5月四日市の競輪ルーキーシリーズでデビュー。

小学6年生の時に金網の外から見たガールズケイリン。いよいよ選手として走る舞台に立った。


初日の予選1は最終2コーナー5番手からまくりを仕掛けて1着。デビュー戦を白星で飾った。2日目の予選2は好位確保から最終3角過ぎに踏み込んで外を一気に伸びて1着。連勝で決勝へと勝ち上がった。

決勝は竹野百香の後ろから踏み上げるも、差し脚が届かず3着(優勝は東美月)。まずまずの戦歴でシリーズを終えた。


「四日市は感動しました。北海道から遠く離れた土地でのデビューだったし、自分のことは誰も知らないと思っていました。そしたら選手紹介から「神戸」とか「暖稀羽」とかいっぱい呼んでもらえました。レースが終わったあとは涙が出てきましたね。小学生の頃から憧れていた競輪選手にやっとなれたんだなと。いろんな思いがあふれて感動しました」



四日市、松戸の競輪ルーキーシリーズが終わると7月からはいよいよ本格デビュー。

デビュー戦は大宮だった。先輩たちの壁は予想以上に高く、7、7、7着。1人も先着できず、悔しいデビューとなった。

それでも神戸暖稀羽のやりたいことは伝わる3日間だった。

予選1は先行タイプの石井貴子(104期・東京)と逃げ争い。予選2は最後方の7番手からカマシ先行。最終日の一般戦は前受けから突っ張り先行と積極果敢な姿勢をアピールした。

続く青森では最終ホームからロングまくりで1着。上々の滑り出しを決めた。

9月には京都向日町で行われた競輪ルーキーシリーズの成績上位者で競う競輪ルーキーシリーズプラスにも参加して、2着と健闘した。


124期の同期と


「自分は目標がある。まずは1周駆けて1着に残れる選手になること。それができるようになったら優勝を目指す。その先にGⅠ出場を目指していきたい。レースの中で流れ込みで着順をまとめるレースはしたくないと思っていました。

ただ、今振り返ると本格デビューしてからは不器用なレースが多かったですね。結果が出なくて落ち込んでいる時間も多かった。練習は好きだったけれど、結果につながらない。1年目は真っ暗なトンネルの中にいるみたいでした」



11月の福井で初めて決勝進出。年明けの西武園、松山で連続して決勝進出と波に乗りだしたように見えたが、この時期あたりから神戸の体に異変が現れ始めた。


「最初は足が痛かったんです。年明けくらいからです。そのあとは具合も悪くなってきて…。少し練習を休めば体調が良くなるかと思ったけど、全然良くならない。マッサージに行っても足の痛みが全くとれない。春になってベッドから起き上がることもできなくなって、これはまずいと思って病院に行きました。

最初は足が痛かったし整形外科に行った。そのあとはいろんな病院に行っていろんな検査をしてもらった。それでも原因が分からなかった。開催には行っていたけど、体がしんどかった。

7月の武雄を走ったあと、函館の自宅に帰った時、家の階段も上がれず、動悸(どうき)が止まらなかった。そこで入院になりました。いろんな検査をした結果、脳にコロナの菌がいて、その菌のせいで体調が悪くなっていたんです。

デビューした年の9月の平塚でコロナになって途中欠場したんですが、その時の影響で体調が悪くなってしまいました」


小学生の時に競輪を見て、選手になると決めて、脇目も振らず突き進んできた。

ようやくスタートラインに立てたのに、病気で選手生活を諦めないといけない状況まで追い込まれてしまったのだ。


「入院している時は体も心もつらかった。体はベッドから起き上がることもできない。横になって寝ていることしかできない。倦怠(けんたい)感がずっとあって、食欲も全くなくなり、1日かけてうどんを1本食べているような状態でした。心も何もしたくない無気力状態。このまま選手を辞めないとダメなのかなと思いました」



復帰のメドが全く立たない状況が変わったのは秋頃だった。

「検査をして薬を試す状況が続いていたんですが、ようやく自分の症状に合う薬が見つかりました。10月の初めくらいに復帰できるかもっていうくらいまで体が回復しました」


復帰に向けてホワイトガールズプロジェクトの先輩・伊藤のぞみ(116期)が近くにいたことも大きかった。

伊藤も神戸が体調を崩していた時期に落車(7月伊東)。10月の函館で復帰したが、その開催でまた落車。神戸と同じタイミングで復帰を目指してリハビリを続けていた。


「伊藤さんがいて本当に良かった。1人で復帰を目指すのは気持ちが続かなかったと思う。伊藤さんが一緒だったから、2人で手を取り合って、復帰に向けて練習を頑張れたと思います」



「伊藤さんと同じく函館の先輩の蛯原杏奈さんにもめちゃくちゃお世話になっている。(日本競輪選手)養成所の時はマッサージ機をプレゼントしてくれたり、思ったような成績を残せなかった時もアドバイスをくれる。本当に親身になってくれて、いつも助けられています」


蛯原杏奈と


体と心が整ってから復帰に向けて練習を再開。

11月の奈良からレースへ復帰。復帰2場所の西武園最終日で2着に入り車券に貢献。

今年2025年は1月から四日市、川崎とレースの中で存在感を発揮するまで復調している。


「四日市最終日は復帰して初めて1着が取れた。川崎は自分らしいレースができたけど、車券に絡むことができなかった。やっぱり自分は残り1周で仕掛けて残れる選手になりたいと思っている。その気持ちは変わらないし、病気になってからより強くなりました。

病気の時はベッドから起き上がることもできなかった。でも今は大好きな自転車の練習ができる。病気になったことで初心を思い出すことができました」



体の状態は波がある。体調が良い日も悪い日もある。

今大事なのは無理をしないことだ。


「今は練習が楽しい。無理はできないけど、自転車に乗ることを続けていきたい。この冬は木下宙さん、松井優佳さんがいる大阪へ練習をしに行こうと思っている。先日の川崎で一緒になった藤田まりあさんにも「一緒に練習してください」ってお願いしました。

病気をしたことで幸せを感じるハードルが下がったのかもしれない。今をできることを楽しくやりたい。朝、元気に起きて、練習をして、レースを走る。これが今の幸せです」


宇野紅音、木下宙、神戸


小学生の時、父から勧められた競輪選手。初めて見た瞬間、「競輪選手になりたい」と思った憧れの職業。小さな頃から大好きだったチョコレートを「選手になるまでは食べない」と断ち切ることで願いを叶えた。

体調を崩してしまい回り道をしたけど、ここからが本番。

自転車が大好き、ガールズケイリンが大好きな神戸暖稀羽の挑戦は始まったばかりだ。



神戸暖稀羽 Nonoha Kanbe



誕生日:2003年11月5日

身長:154.0cm

期別:124期

登録地:北海道


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)


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