
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。

當銘沙恵美は静岡県の磐田市出身で2歳上の
直美と2人姉妹。
家の周りは田んぼが広がる自然豊かな土地。小さい頃から活発で、体を動かすことが大好きな女の子だった。
運動とは縁がなく、中学時代は吹奏楽部でクラリネットを担当。スポーツ選手になる選択肢は1ミリもない生活を送っていた。

状況が変わったのは姉の存在。姉がテレビでガールズケイリンの特集を見たことで興味を持ち、高校から自転車競技部に入ったことだった。
「私は中学から浜松学院へ通っていたのですが、姉がテレビでガールズケイリンに興味を持って、高校から浜松学院へ入学した。姉が自転車競技を始めたことで、自転車が身近なものになり、家で乗らせてもらったら楽しかった。そこで自分もやってみたいってスイッチが入り、高校生になったタイミングで自転車競技部に入りました」

自宅のある磐田市から姉妹が通っていた浜松学院までは約20キロメートル。自転車で1時間の距離だった。登下校は姉、姉の同級生だった鈴木陸来(117期・静岡)と自転車で通っていた。
「陸来さんが先頭で引っ張ってくれるから、楽しく学校へ自転車で通っていました。地道な練習にもなったんでしょうね。高校時代は部活動の思い出がほとんどでした。大会で良い成績を残せたわけではないけれど、一生懸命やっていました。高校時代からガールズケイリンの選手になりたいと思っていた。姉が挑戦している姿も見ていたし、自分の努力次第で結果が出る職業に魅力を感じていました」

高校3年生の時、進路として競輪選手を志望。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)114期を受験。1次試験は突破するも、2次試験で落ちてしまった。
「師匠の新田康仁さんにパワーマックスを借りて試験への対策はしていたけれど、114期の試験は不安しかなかった。静岡のバンクで練習する機会も少なかったし、自信はなかったんです。1000メートルよりも200メートルのハロン測定でタイムが出るイメージがなくて。でも1次試験は合格。びっくりしました。2次試験に向けて準備はしたけれど、うまくいかなかった。114期で合格していたら姉と同期になっていたんですけどね」
114期の試験での合格は叶わなかったが、競輪選手への夢は諦めることがなかった。116期の試験に向けてすぐに動き出した。

「競輪選手になりたい気持ちはずっとあったので浪人してでも続けようと思いました。高校を卒業していたので、練習とアルバイトの日々。回転寿司のキッチンでアルバイトしていました」
練習は休まずやっていたが、原因不明の不調になってしまい、タイムは全く伸びなかった。116期の試験も不合格。それでも競輪選手になることは諦めなかった。
3度目の正直で臨む118期の試験に向けては環境の変化を求めた。
「116期の試験で落ちた時、姉に相談をしたら『豊橋に行くのがいいんじゃない?』って勧めてくれました。これで受からなかったら最後にしようっていう気持ちで豊橋に行きました。実家も出て豊橋に住んで、バイトも辞めて1年練習に打ち込もうと決めました」

加瀬加奈子、姉・直美と
豊橋競輪には未来のガールズケイリン選手の発掘、育成を行う『
T-GUP(豊橋ガールズケイリン育成プロジェクト ※現・豊橋グランプリレーサー育成プロジェクト)』という制度がある。姉の直美もT-GUPの制度を使って競輪学校へ入学。そのほかにも大勢のガールズケイリンレーサーを輩出しているプロジェクトだ。
豊橋では姉の直美に世話になりながら、練習に打ち込んだ。豊橋競輪場を使えるT-GUPに参加したことで、バンクでの乗り込み量が格段に増えた。
T-GUPでは競輪学校の試験合格に向けた練習が計画通りにできた。その効果はてきめんで持ちタイムが一気に伸びて、3回目の試験に向けて自信を付けた。
「豊橋の練習でダメだったら仕方ないって思えるくらい抜群の環境で試験に向けて練習することができました。試験に向けて弱点だったダッシュ系の練習もするようになり、3回目の試験は自信を持っていきました」
118期の試験は3回目ということもあり、落ち着いて臨むと、1次も2次も無事突破。ようやくガールズケイリン選手へのスタート地点に立つことができた。
「118期の合格発表はT-GUPのみなさんと一緒に確認しました。自分の名前があった時は本当にうれしかった。いろんな人にお世話になったおかげでようやく合格できました」

118期は日本競輪学校の転換期。名称が日本競輪選手養成所へ変わり、練習や生活面での変化が大きかった。
「姉からは競輪学校は厳しいよって聞いていたので、ビビりながら入学したのですが、養成所に変わったことで、いろいろと変わっていました。毎日楽しく練習できたし、生活も自由な面もあったのでそこまで苦労はなかった。競輪学校時代は携帯電話を使えなかったけれど、養成所になってからは休みの日の外出の時は使えたので、不自由はなかったです。
競走訓練は力を出していくことを心がけた。姉からも『競走訓練は自力を使って動いたほうがいいよ』と言われていたので。このアドバイスはすごく役に立ちました」
在所成績は21人中14位と好成績とは言えないが、やるべきことをやって満足のいく養成所生活を送り、プロデビューを迎えた。
■後編は
コチラ
當銘沙恵美 Saemi Tome

誕生日:1998年9月18日
身長:160.0cm
期別:118期
登録地:愛知県
松本直 Suguru Matsumoto


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)