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<後編>スノーボードから転向、妊娠・出産を経て復帰したママさんレーサー・猪頭香緒里【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2025.05.09



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。



■前編はコチラ



猪頭香緒里は2012年5月から伊豆修善寺にある日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)へ入学。

まだまだ厳しい校則があった時代。35歳での全寮制の生活。まったく触れたことのない自転車漬けの毎日。10歳以上年の離れた同期たちとの集団生活。大変なことが多かったと振り返る。



「35歳、いい大人ですよ。高校卒業したばかりの子と一緒に生活。時間の管理や、髪の毛の長さなどルールも多くてしんどかった。

自転車の練習もまったくついていけなかった。記録会や競走訓練はいつも下位。ランクを決めるヘルメットキャップの色は青。(金―白―黒―赤―青の順)。

競走訓練でちぎれていたので、心配して師匠の大前(寛則)さんが岡山から修善寺まで見に来てくれたこともありました。このままじゃ卒業できないって本気で思いましたよ。

そんな状況だったし、勉強だけは一生懸命やりました。おかげさまで学業優秀賞をもらえました。あとは自転車で速く走ることはできなかったけど、自転車の整備は大好きでした。それは今でも変わらないですね」



未経験から飛び込んだガールズケイリン。1年間の競輪学校生活で好結果を残すことはできなかったが地道な努力を積み重ねて、在校成績11位で無事卒業した。

2013年5月京王閣でデビュー。5着、5着、7着と車券に貢献することはできなかったが、まずはプロの競輪選手としてスタート。


同年8月には地元玉野で6着、3着で初めて予選突破して初の決勝進出を決めた。2年目の2014年2月には伊東温泉の最終日一般戦で初白星をゲットした。

「競輪学校を卒業して地元に戻ってからもバタバタでした。競輪選手としてのスタートと、新婚生活も同時にスタートで大変でしたね。伊東温泉での初勝利はうれしかった。実況の方が『伊東で猪頭が初勝利!』って言ってくれたことがすごく記憶に残っています」



2年目は少しずつレースの流れに乗れるようにもなり、車券への貢献が増えていった。決勝に行けない時は最終日の一般戦で1着を取ることもあった。

しかし同年7月の平塚で落車、肩鎖関節を脱臼する大けがを負い、3カ月の戦線離脱を経験した。

「平塚は選手になって初めての落車。肩鎖関節の脱臼で患部にワイヤーを入れる手術をしたけど、痛かったですね。復帰まで時間もかかってしまったし大変でした。でも、けがに関してはスノーボード時代も多かったですね。ドクターヘリで運ばれたこともありましたから」


10月の武雄で復帰すると、少しずつ結果を出していった。3年目、4年目は堅実な成績をきっちり残した。

「この頃は谷尾佳昭さんが朝練習でバイクを使って引っ張ってくれていました。いい練習ができていたので、結果を出すことができました」


同期の石井寛子


猪頭香緒里の転機は2016年6月。大垣終了後のタイミングだ。

「競輪選手も続けていきたいけど、ずっと子どもが欲しかったんです。40歳になる前にって思っていたので、体外受精をすることにしました。自然に妊娠となるとタイミングもあるし難しい部分もある。それならば体外受精のほうが確実かなと思いました。

ちょうど(田口)梓乃ちゃんがガールズケイリンで初めて妊娠、出産のタイミングだったこともあり、自分もここでやるしかないって感じでした」


体外受精はうまくいき、2017年3月に長女のことりちゃん、2018年7月に長男の稜央君を出産。競輪選手を続けながらでも産休制度を活用して、現場復帰へ動き出した。


「(田口)梓乃ちゃんが最初に選手をやりながらでも妊娠、出産を乗り越えてくれた。おかげでガールズケイリン選手の産休制度もできた。子どもを産んでから3期(1年半)は産休が取れるのでありがたかった。

自分は子どもを産んでもできる限りアスリートでいたいと思っていたので、そのまま引退することは考えていませんでした。だからこそ2人続けて産んで、計画的に復帰しようと思っていました。3カ月から預かってくれる保育所を探して、子どもたちを預けて復帰に向けて練習を再開した。

自分たちママさんレーサーが増えていけば、ガールズケイリン選手を目指したいと思う女子も増えてくれると思う。結婚、出産を、選手を続けたい気持ちで諦めてほしくないんです。ママさんレーサーが増えることで選択肢も多くなると思うので」


同じくママさんレーサーの加瀬加奈子


産休明けのタイミングが2020年になることもアスリート・猪頭香緒里の気持ちを後押しした。

「2020年の夏に東京でオリンピック開催が決まっていた。結局コロナで2021年の開催になってしまったけど、自分としてはオリンピックに出場するアスリートと同じ気持ちになっていたので復帰に向けての練習を頑張れた。

産休から復帰する時は1000メートルとハロンのタイム測定がありました。走行能力試験を突破できないと、レースに復帰できないですからね。タイム測定の日は雨と風が強くてコンディションが悪かったけど、なんとかクリアすることができて、レースに復帰することができました」


同じ時期には師匠の大前寛則が落車から復帰に向けて努力している姿も間近で見て、絶対に諦めないと思ったそうだ。

「大前さんも2019年4月に落車。頭蓋骨の骨折やくも膜下出血で入院生活が続いていた。それでも絶対に諦めないで現役復帰を目指していた。自分も産休から復帰を目指している時期だったし、自分も諦めないで頑張ろうと思いました」


筒井敦史、猪頭、師匠の大前寛則


2020年1月の玉野からガールズケイリンへ復帰。43歳になっていたが、最終日の一般戦では3着に入り車券に貢献。以降も決勝進出はなかったが、3月の名古屋最終日の一般戦では復帰後初の白星をゲット。8月の松阪では決勝進出と奮闘した。


近況は更年期やギックリ腰の影響もあり、思うような戦歴を残せていないが闘志はまったく衰えることはない。

「ここ数年はいろいろ考えて練習に取り組んでいます。若い時と同じ練習をしても体がついていかないし、成績も上がっていかない。もどかしいことも多いけど、今の自分に合っている練習を模索しながら1日1日ベストを尽くしています」


家族の存在や、練習仲間の存在も現役を長く続けるためのモチベーションにもなっている。

「産休から復帰した時は子どもたちが小学校に入学するまでは現役でと思っていましたが、今年の春、下の子が小学校へ入学した。今度は2人の子どもたちが小学校を卒業するまで選手を続けたいですね。

子どもたちは最初の頃、自分が仕事に行く時に泣いていたりしたけど、最近は私の仕事が分かってきて「〇番車だったね」とか言ってくれます。

私が小倉で1着を取った時、旦那が動画を撮ってくれたんですけど、子どもたちがはしゃいで側転をして喜んでくれたんです。そういう動画を見るともっと頑張ろう。1日でも長く選手を続けたいって思います。

宿舎で若い子と一緒の部屋になっていろいろ話をしていると、『猪頭さん、うちのお母さんと同じ年ですよ』って話になることもあるんですよ。今一緒に練習をさせてもらっている筒井敦史さんは同学年なんですけど、55歳まで選手を続けようって話をしているんです。頑張らないとですね」


126期の伊藤優里


スノーボードからガールズケイリンに転向。妊娠、出産を経て現役復帰。

猪頭香緒里だからこそ分かるガールズケイリンのいい所は金銭面だと教えてくれた。

「スノーボード時代はお金が大変でした。道具代、遠征費など、とにかくお金がかかった。ガールズケイリンは働きながら賞金がもらえる。全てにおいて自分の成績次第になるけどやりがいのある仕事だと思います。

結婚、妊娠、出産に対してもガールズケイリン初期の頃と比べるといろいろ改善されている。やりがいのある仕事だと思うし、ガールズケイリンを目指す人が少しでも増えてくれるといいですね」


ガールズケイリンは2012年に始まって、今年で13年目に突入。働きやすい環境も少しずつ整ってきている。

ママさんレーサー猪頭香緒里は1日でも長くガールズケイリン生活続けていく。子どもたちの笑顔を見るために。



猪頭香緒里 Kaori Ito



誕生日:1976年12月12日

身長:165.0cm

期別:104期

登録地:岡山県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)


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