
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。

細田愛未は埼玉県入間市出身。姉、兄と3人きょうだいの末っ子としてすくすく育った。
父と兄がトライアスロンをしていたこともあり、物心がついた頃から無意識のうちにトライアスロンに取り組んだ。


小学生の頃はスイミングスクールに通い、中学生の頃は陸上部に入ったが、全てはトライアスロンで良い結果を出すため。本人の意思よりも少々強制的にトライアスロン中心の生活を送っていた。ガールズケイリンへの第一歩はトライアスロンが大好きな父からの勧めだった。


「中学生の頃、平日は陸上部の練習に参加していたけど、土日はトライアスロンの大会に出ることが多かった。高校進学を考える時期になった時、父から急にガールズケイリンを勧められた。『女子の競輪が始まるぞ。お金を稼げるし、いいんじゃないか』って言われました。
自分もやりたいことがなかったし、興味はわきました。トライアスロンでも走る部分は苦手で、水泳と自転車は得意だったし、もしかしたら向いているのかなって。勉強も嫌いだったし、体を動かすことでお金が稼げるならいいなっていう感じでガールズケイリンに興味を持ちました」
高校は埼玉県立川越工業高校へ進学した。
先輩OBには後に師匠となるGP優勝1回の太田真一や、GⅠ9勝の平原康多などを輩出した名門高校だ。
「中学生の頃から大宮競輪場で練習をさせてもらうことが多かった。父の知り合いの人たちと一緒に大宮競輪場で練習をしている時に、川越工業高校の顧問から『うちの高校にくればいい』って言われていたんです。自転車競技部に入れば、大会や合宿が多いから勉強をしなくていいって言われたことも進学の決め手でしたね」と笑いながら話した。

高校時代はガールズケイリンの選手になることを目標にして日々の練習に打ち込んだ。
高校2年生の3月に行われた全国高等学校選抜自転車競技大会2kmインディヴィデュアルパーシュートで優勝。高校3年生の8月に行われたインターハイではスクラッチで優勝と輝かしい成績を残した。


「高校時代は中距離系の種目ばかりやっていたので、ケイリンを走ったことはなかったですね。でも父の勧めで遺伝子検査をしたら短距離に向いていると診断結果が出たんです。びっくりしました。自分では中距離のタイプだと思ったし、まさか短距離系とはって感じでした。
高校3年生の進路を決める時にはガールズケイリンの選手になることだけを考えていた。ただ試験は不安しかなかった。1000メートルとハロンのタイム測定は普段通りやれば心配することはなかったけど、2次試験の勉強は自信が全くなかった。一緒のタイミングで受けた同級生たちとも勉強が不安だよねって話をずっとしていた記憶があります」


実技の1次試験は無事突破。難題だった2次試験もマークシートを必死に全部埋めて、結果を待つと、無事合格。2014年春に108期生として日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に入学することとなった。
高校自転車競技の現役組(福田礼佳(2025年1月引退)、
元砂七夕美、
三宅玲奈、
日野友葵)や適性組の
尾崎睦、
児玉碧衣と個性派が揃った同期たちと1年間の学校生活は楽しかったと振り返る。
「仲間たちのおかげで楽しい1年間でした。最初の同部屋が(児玉)碧衣ちゃんと
板根(茜弥)さん。けんかとかもしたけど、それで仲良くなったし、苦しい練習にも耐えることができました。学校の練習は厳しかったけど途中からは慣れてしまいましたね。
在校成績にこだわりはなかった。あくまで学校の中の成績なので。それよりも一年間継続して体幹トレーニングができたことが大きかった。それまでは続ける練習が得意じゃなかったけど、学校にいる時は一年間体幹トレーニングだけはやり続けようと思って、休むことなく続けることができました」

細田、児玉碧衣、板根茜弥
練習の成果は実を結び、在校成績は3位。卒業記念レースでも3連勝で決勝進出。優勝&在校1位は適性組の尾崎睦だったが、細田愛未自身もテーマを持って学校生活に取り組み、きっちりやり遂げたことは大きな成果だった。
後編は、5月30日(金)に公開予定です。
お楽しみに!
細田愛未 Manami Hosoda

誕生日:1995年7月1日
身長:164.1cm
期別:108期
登録地:埼玉県
松本直 Suguru Matsumoto


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)