
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。

■前編は
コチラ
枝光美奈は日本競輪選手養成所の120期の試験合格に向けて、ガールズサマーキャンプ(現在はトラックサイクリングキャンプ)に参加。その後120期で合格する
山本さくらや
刈込奈那、126期で合格する
伊藤優里と仲良くなり、よりガールズケイリン選手になりたい思いを強くした。
120期の試験は1次試験で不合格。悔しい気持ちはあったが、122期の試験合格に向けて気持ちを入れ直した。
「120期の試験は1次試験で落ちました。直前の練習で養成所合格のタイムが出ていなかったし、自信はなかった。結果が出たあと『やっぱりな』って感じ。120期の試験はとりあえず試験現場の空気を感じたかったのでショックはあまりなかったです」

122期の試験合格に向けて枝光自身は山梨に残って練習することも考えたが、周りのアドバイスもあり、実家のある福岡県に戻り、久留米競輪場で練習をして試験合格を目指すこととなった。
「自分は大学卒業後も山梨で練習しようかなと思っていたんです。でも山梨の選手が実家から通えるところで練習したほうがいいとアドバイスしてくれました。
渡辺ゆかりさんが当時の支部長だった藤田剣次さん(85期)とつないでくれて、大学卒業後は福岡に帰って浪人生活をすることになりました」
ガールズケイリンの名選手を何人も指導してきた藤田剣次のもとで練習することは枝光にとって大きな財産となる。当時福岡支部に所属していた
寺崎舞織(112期)は特に面倒を見てくれたそうだ。
「藤田さんのもとで練習すると周りにガールズケイリンの選手が多かったので刺激になりました。(寺崎)舞織とは年齢が一緒。高校の頃、練習をしたこともあったのですごく心強かったです」

124期の同期と。写真左から枝光、横山愛海(引退)、戸邉香奈実
抜群の練習環境でメキメキと力を付けていったが、なぜかタイムだけは伸び悩んだ。
2回目の122期の試験当日。500メートルタイムトライアルと200メートルフライングタイムトライアルの手応えはあった。しかし、1次試験の結果は不合格。どうして落ちたか分からず悔しさがこみ上げてきた。
「122期の試験前、毎回ではないけど試験合格レベルのタイムは出せていた。試験当日も手応えがあったけど、結局ダメだった。1回目の試験は記念受験だったからあまり落ち込むことはなかったけど、2回目の試験で落ちたときは凹みました。大学も卒業していたし、年齢も重ねていた。高校卒業後のアマチュアじゃないし、3回目の試験を受けるかどうかはものすごく悩みました」
実家から久留米競輪場へ通って練習をしていたこともあり、まずは親に相談した。次に親身になって練習を見てくれていた寺崎舞織に相談をすると「アマチュアが午後の練習だけじゃ試験は受からないよ。もっと練習をしないと」とアドバイスをくれた。そこから午前中に練習している稲吉悠大(92期)のもとで乗り込みを開始。練習量が増えたこともあり、課題だったタイムも上昇。3回目の試験へ向けて視界が開けてきた。
「2回目の試験に落ちた時は本当に悩みました。でも稲吉さんの練習グループに混ぜてもらって一緒に練習を始めたらタイムがよくなった。稲吉さんから藤田さんに『枝光の面倒を見たい』と話してくれたこともあり、稲吉さんのもとで練習をして124期の試験での合格を目指そうと決めました」

稲吉悠大
新天地での挑戦は覚悟を持って臨んだ。
124期の試験で落ちた時にはガールズケイリン挑戦は終わりにしようと決めた。
大好きな自転車から離れる、乗れなくなると覚悟を決めると自然と練習に熱は入った。
練習への熱量が上がればタイムは上昇。124期の試験前には少しだけ自信が沸いてきた。
1次試験は自分のベストを出し切って、見事合格。念願のガールズケイリン選手への道の扉がようやく開いた。
「今思えば覚悟が足りなかった。2回目に受験した122期の時は甘かったんでしょうね。3回目は覚悟を持って臨んだ。大好きな自転車に乗れなくなると思ったら、自然と練習にも熱が入った。やっぱり覚悟って大事だなと改めて思いました」
課題だった1次試験をクリア。絶対に2次試験でつまずくことはできなかった。
学科試験突破に向けて久留米の先輩たちからのアドバイスで東大卒の家庭教師のもと、必死で勉強。その甲斐もあり2次試験も突破。124期として日本競輪選手養成所に合格したのだ。
「本当にうれしかった。自分に携わってくれた人がみんな『おめでとう』って言ってくれてようやく受かりましたって感じでした」
3回目の挑戦でようやく受かった日本競輪選手養成所。
順調に訓練をこなして、無事卒業とはいかなかったと振り返る。

「師匠から特に指示はなかったけど、養成所の生活に慣れてきたら朝練習も始めた。でも2回目の記録会で事件が起きました。記録会のタイムが悪くてクビになりかけたんです」
日本競輪選手養成所に名称が変わり、カリキュラムが変更。記録会の数値が卒業認定に関わるため、記録会の数値が規定を下回ると追試。追試の結果次第では強制退所となるのだ。
「第2回の記録会でハロンのタイムが悪くて規定のタイムを切れなかったんです…。このままじゃクビになるって本当に思いました。記録会でタイムが切れなかった時は師匠にも連絡をして。稲吉さんは『はあ?マジ?まあ大丈夫だろう』って言われたけど、自分は不安しかなかった。その後は教官が付きっきりで練習に付き合ってくれました。特に久米(康徳)教官はバイクで引っ張ってくれました。124期で追試になったのは自分だけ。
吉村美有紀と
宮西令奈は何かを感じたのか泣いてくれた。その後も同期みんなが寄せ書きをくれたりして。同期や教官に支えられて練習をして、追試で規定タイムをクリアすることができた。何とかみんなと一緒に124期で卒業することができました」
追試のタイム測定をクリアすれば枝光美奈にとっては不安がなかった。
タイム測定は苦手でもレースに関しては自信があった。
アマチュア時代はJKAのアルバイトを経験。久留米競輪場の審判業務の手伝いをしていたこともあり「審判業務の補助をしていた。とにかくレースはよく見ていましたね」と話す。
トライアスロンの経験があるのでレースに関してはある程度の自信はある。
124期の卒業記念レースでも白星をゲット。
追試でクビの危機に直面したが、最終的には1着8回、在所成績11位で無事卒業までたどり着いた。

124期の同期と。写真左から東美月、枝光、山口優依
2023年4月30日、宇都宮競輪場の競輪ルーキーシリーズでデビュー。
いきなり3着、3着で決勝進出を決めると決勝も竹野百香マークで準優勝。
6月福井では宇野紅音を追走から差し脚を発揮して初白星をゲット。
順調な滑り出しを切った。
ルーキーシリーズ後は7月の地元久留米から。練習で何度も走った慣れたバンクだったが、先輩と一緒に走る実戦は全く違った。見せ場を作ることができず6着、4着、4着と歯が立たなかった。
8月の静岡最終日の一般戦でデビュー後初1着。9月の佐世保でデビュー後、初の決勝進出。
一つずつ課題をクリアしていき、11月の京王閣、12月の豊橋で連続決勝進出を果たしたが、直後の大垣で落車。波瀾万丈の選手生活1年目は落車で終了した。
「ルーキーシリーズは養成所の延長。同期のみんなの走り方が頭の中に入っているから、うまく走ることができました。でも先輩とのレースは全く違った。流れに隙がなかった。だから1年目は着順にこだわらなかった。とにかくレースの流れや先輩の走り方を覚えようと思ってやっていました。12月の大垣は前検日の指定練習でも落車。ケガは大したことなかったけど、前検日の時点でヘルメット、クランク、サドル、ハンドルといろいろ買い直して出費。そうしたら今度は初日に落車。賞金も少なかったし、財布には3000円しかなかった思い出があります」
2024年は着順にこだわってレースに臨んだ。
その代償は大きく、6月の小田原、10月の函館と続けて失格。12月の熊本でも落車と、成績に漢字が多い1年となってしまった。12月の熊本の落車は左肩鎖関節の亜脱臼。手術はせず安静にして治した。
「2年目は浮かれていたのかもしれない。強引なレースが多かったかもですね。レースに慣れてマークでやっていこう。着順にこだわって走っていこうと思って走っていました。でも失格が続き、最後に落車。反省しましたね。特に10月函館の落車は3人もこかしてしまったし良くないなと。レーススタイルを考え直すきっかけになりました。転んでもいいや、転んでも大丈夫では絶対にない。まずはレースを走っている選手が無事ゴールすることが大前提。落車は車券もパーになる。公正安全に走って、その中で力を出し切るレースをしようと意識を変えました」

122期の小林真矢香と
今年は1月の京王閣から復帰。
意識を変えてレースに臨み、少しずつスタイルは変化をしている。
「久留米のガールズから『自力を出さないとキツいよ』って言われている。自分でも分かっているけどレースになると動けない。でも今年に入ってから少しずついい方向に変わっている。いきなりガンガン先行はないけど、常に人の後ろではなく、自分でレースを動かすことをしている。でもいざという時にまだ勝ちを狙いに行きすぎて失敗する。こういう失敗レースを減らしていきたい。まずは予選で1着を取れるように力を付けていって、今年は年内に優勝をしたい」と気合を入れる。
目標を失い、進路に迷っていた時、コーチの助言から切り開いたガールズケイリンの道。3回目の挑戦でようやく手にして競輪選手という職業。
ゼロからのスタートで遠回りをしたが、今は最高の職業に就けたと笑顔で話す。
「めちゃくちゃいい仕事だと思います。小さな頃から体を動かすことが大好きだった。普通の仕事に就いていたら、つまらなかったと思います。自分次第でいろんな夢を叶えることができますしね。私、福岡ソフトバンクホークスが大好きなので、夢は始球式をすること。ガールズケイリンはガールズグランプリで優勝すればみずほPayPayドーム福岡で始球式ができますよね?いつかはやってみたいです」
ここまでの枝光美奈の人生は回り道をしながらも一歩ずつ前進している。悔しい思い、痛い思いをしながら自分のレーススタイルを確立している。
今年は飛躍の一年にするための大事な年になりそうだ。
枝光美奈 Mina Edamitsu

誕生日:1998年2月8日
身長:158.0cm
期別:124期
登録地:福岡県
松本直 Suguru Matsumoto


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ