NEWS ニュース

<後編>9年連続ファン投票1位!ガールズケイリンのシンボル・児玉碧衣 女子オールスター競輪優勝で恩返しを 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2025.08.07



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。



■前編はコチラ



デビュー当時、ガールズケイリンに大きな旋風を巻き起こした児玉碧衣だが、2年目、3年目と年を重ねると「普通開催では勝てるのにビッグレースで勝てない」、そんなレッテルを貼られることも多くなった。

児玉自身も新聞などで「もう取るぞ児玉!そろそろコレクション優勝」など期待感あふれる見出しを目にするとプレッシャーが襲い掛かり、優勝しなきゃと焦ることが多かった。

競輪場に入って、発走前に出走表を見れば「私が一番弱い」と思ってしまい、レースでは勝てないことが続いた。


初めてファン投票1位に選ばれた2017年


転機となったのは2018年8月にいわき平で行われたガールズケイリンコレクション・ガールズドリームレースだ。前年の2017年に続き2年連続のファン投票1位での選出。

明確な理由はなかったが前検日から開き直ってレースに臨めた。


「なるようになれ。負けたらしょうがない」と、今までと違う気持ちで臨んだ一戦。勝負所の最終ホームで6番手と苦しい展開だったが、焦ることなく最終2角から外に自転車を持ち出して踏み込むと、一気に前団をまくり切り1着でゴール。念願のガールズケイリンコレクション初優勝を達成したのだ。


「うれしかった。ようやくガールズケイリンコレクションを勝つことができてホッとしました」


振り返ればいろいろ考え過ぎていたのかもしれない。

考えることが苦手なはずなのに、プレッシャーにより自分のカタチを崩していたのだろう。

ノープランで「なるようになれ!」で走った結果がガールズケイリンコレクション初優勝につながった。



ビッグレース初優勝の効果はてきめん。レースに臨む姿勢、レースの勝ち方を手に入れた児玉は11月のガールズグランプリトライアルを優勝、3回目の挑戦となった12月のガールズグランプリ(静岡)も優勝した。


師匠の藤田剣次と


勢いは止まらず、2019年は5月松戸のガールズケイリンコレクションを優勝、12月の立川でガールズグランプリ2連覇を達成。 2020年も3月福井のガールズケイリンコレクションを優勝、12月の平塚でガールズグランプリ3連覇の偉業を成し遂げた。


「開き直ってからですね。いわき平のガールズケイリンコレクションで『周りが強い、自分が弱い』とか考えず、『どうでもいいや』で走って優勝できたら、『こんなに勝てるのか』って感じ。レースに臨む姿勢、リズムをつかめました。バレーボールをやっていた時の話なんですけど、他校の監督から『児玉碧衣をリズムに乗せるな。1回リズムをつかむと止められなくなる』って言われている話を聞いたことがありました。自分では意識していないけど、そういうタイプなのかなって思いました」


2018年8月のガールズケイリンコレクション優勝からは名実ともにガールズケイリンのシンボルとして先頭に立ってガールズケイリンを盛り上げている。

1年を通してレースに参加。モーニング、デイ、ナイター、ミッドナイト。異なる時間帯のレースでも走り続けて、勝ち続けた。 特にナショナルチーム勢に対しては闘志を前面に出してぶつかりあった。

その根底にはガールズケイリンを守っているプライドが誰よりもあるからだろう。


ガールズグランプリ3年連続優勝達成時


ガールズグランプリ3年連続優勝はまだ歴史の浅いガールズケイリンの中でも偉大な大記録だ。


「競輪は気持ちだと思うんですよね。もちろん脚力が同じくらいの時ですけど。2018年から2020年までガールズグランプリを3連覇できていた時は、気持ちも含めて全てがうまくはまっていたと思う。気持ちだけじゃなく、体も脚も自転車も日頃の行いも全てうまくはまって走れていた。

ガールズグランプリ、2回目の立川、3回目の平塚は、今だから話せるけど勝てるとは思っていなかったですからね。特に3回目は。『どうせ勝てないなら先行しよう』って気持ちで走っていたら前を走っていた(高木)真備さんが動いてきて、『あれあれあれ』って感じでいい位置が取れちゃった感じ。

勝ちたい気持ちが大事な時もあるし、開き直りも大事。これはレースの流れによって変わるから一概には言えないですけどね。自分は開き直りがうまくはまった感じでしたね」



3連覇後は目標がなくなり、たびたびモチベーションの低下に襲われた。


「3連覇の2020年の時は、まだGⅠができるって話はなかったし、何を目標にするのか難しかった。現に(高木)真備さんもガールズグランプリを優勝したあと選手を辞めているし、気持ちは分かりますよ。でも私は辞めてもやることがないし、『ここで稼ぐしかない』って思って走り続けていた。

若い頃は賞金、賞金って頑張っていたけど、その頃のハングリーさがなかった。それよりも、『辞めても、やることもやりたいこともないし、ここで稼ぐしかないかな』って感じで過ごしていましたね」


2021年の3月松阪、8月いわき平のガールズケイリンコレクションで優勝すると、その後はビッグレースでの優勝から遠ざかってしまった。

2022年12月に平塚で行われたガールズグランプリでは落車。人生初の骨折を体験。それも左鎖骨の粉砕骨折。筋肉に骨が刺さり、骨折の中でも痛みのレベルが強いケガを負ってしまった。


「めちゃくちゃ痛かった。落車は久しぶりだったし、骨折は初めて。いたねー(板根茜弥)が病院に付き添いで来てくれたけど、『痛い、痛い』って言っていたら『大げさだよ』って。でもお医者さんに聞いたら『骨が筋肉に刺さっているし、これは痛い』って言ってもらえて安心しました」


板根茜弥と


大きいレースは勝てなくなっていく。落車による大ケガ。このタイミングで引退を考えたことがあったのかと尋ねると「それはなかった」と答えた。


「引退を考えるのはこのタイミングではなかったですね。もっと後。この時は『ケガしている自分、格好いいかな』って思ったんです。私、アニメが好きなんです。アニメの主人公がケガをしてそこから復帰するとか、物語として良くないですか? ケガをして早く復帰したいって思ったし、ケガから復帰しても周りがあんまり期待していなかったから走りやすかった。ケガをしてから周りの見方も変わって走りやすかった。

今までは勝たなくてはいけなかったけど、ケガをして調子を戻していく中では負けても応援してもらえた。そのおかげで先行とかもしたし、少しずつ調子を上げていくことができました」


写真左から、尾崎睦加藤恵、児玉


モチベーションになったことがもうひとつある。

2023年6月からガールズケイリンにGⅠレースが新設されたことだ。

GⅠレースができたことにより、GⅠ優勝ならガールズグランプリ出場が確定する。

1月から11月まで賞金を積み重ねる気の抜けない日々がガールズケイリントップレーサーたちの日常だったが、GⅠレースができたことで変わったのだ。


児玉も「GⅠができたことはモチベーションになりました。私はそんなにレースを走りたいほうじゃないし、今まではコレクションを勝ったとしても11月のガールズグランプリトライアルが終わるまで気が抜けない。この状況がしんどかったし、すごいストレスになっていました。GⅠができたことで集中できるし、短い期間で目標を立てることができるし、いいモチベーションになった。2023年のこの時は落車をしてケガしていたので、このガールズケイリン初のGⅠを勝ちたいって思いで復帰してから練習をしていました」


12月の落車から半月。1月の久留米から復帰し、勝てないレースもあったが少しずつ復調した。

迎えたガールズケイリン初のGⅠレースとなった第1回パールカップ(岸和田)は児玉碧衣らしいスピードを3日間披露して3連勝の完全優勝。GⅠ優勝とガールズグランプリ出場権を獲得した。



翌年4月には地元久留米でのGⅠオールガールズクラシックの開催が決定。短いスパンでの目標設定を地元GⅠに決めたが、優勝までの道のりはいばらの道だった。

2月に胃腸炎で体調を崩して、1カ月以上レースに参加できなくなると、3月別府、同月取手のガールズケイリンコレクションで大敗。

「児玉碧衣限界説」が流れたが、きっちり地元GⅠに向けて立て直した。

走り慣れた走路で行われたGⅠ戦も3連勝の完全V。堂々と3日間、主役を演じきった。


「最初で最後の地元久留米でのGⅠだと思っていたし、絶対に優勝したいって思っていた。だから優勝できた時はホッとした。毎日声援もすごく多くて、地元バンクっていいなって思えたし最高の時間だった。優勝したあとは『おつかれさまでした』ってやり切った感じ。その後は違反訓練もあったし、難しい後半戦になってしまった」



20歳でデビューした児玉碧衣も今年の5月で30歳。

小学4年生で始めて高校3年生まで続けたバレーボールより、自転車に乗っている時間のほうが長くなった。


「久留米のオールガールズクラシックの前の2月に体調を崩した時はどうなるかと思いましたよ。若い頃、何日か練習を休んでも1日きっちり練習をすれば戻ったけど、28歳になると無理。一度落ちた筋肉は簡単には戻りません。

デビューした頃はウォーミングアップの1分前に起きても体が動いたけど、今は3時間前に起きないと動かん(笑)。オールガールズクラシック決勝の罰則で黄檗山の違反訓練があり、どうせ黄檗山では練習ができないし、練習で戻すのに時間がかかるって思うとガールズグランプリにピークを持っていくことはできなかった」


練習不足は自分でも分かっていた。気持ちも乗らないまま参加した11月の競輪祭女子王座戦で7着、6着、3着。引退も頭をよぎった。フワフワした気持ちのまま参加したガールズグランプリ2024。この舞台が児玉碧衣の気持ちにもう一度火を付けてくれたのだ。


レースは最終2角5番手からまくり勝負。佐藤水菜に合わされてしまい5着に敗れたが、ガールズケイリンをもう少し頑張ろうと気持ちが入った。


「ガールズグランプリ前は『もう辞めてもいいかな』って思いましたよ。でもいざ発走機に付くとやっぱりガールズグランプリに出るって格好いいし、すごいこと。ファンの数も桁違いだし、応援の量もすごかった。もちろん賞金も魅力です。もうちょっと頑張ってみようかなって思わせてもらいました」


写真左から、同期の尾崎睦、児玉、細田愛未


しかし一度狂った歯車はなかなかかみ合わない。頑張りたい気持ちはあるけれど、体が付いてこなかった。

今年に入ってからは今までの練習の貯金と経験の惰性で走っていた。それでも普通開催では結果が付いてくるが、GⅠで戦えないことは児玉自身も分かっていた。


そんな時にきっかけをくれたのは児玉碧衣の師匠である藤田剣次の姉・藤田志乃さんだった。藤田志乃さんは元々児玉のマッサージなどをしていたこともあり、児玉の良き理解者でもある。



「本当に気持ち入らないです。やばいでーす!みたいな連絡を志乃さんにしたら、『ワットバイク乗ろうか?練習着とシューズを持って家に来て』って感じで返信をもらった。それで志乃さんのところで(角)令央奈さんとワットバイクの練習をし始めた。それがオールガールズクラシックの1週間前。

令央奈さんにワットバイクのメニューを組んでもらって練習をしたら、オールガールズクラシックで準優勝。1週間の練習でこの結果が出るなら続けてみようってなった。自宅にワットバイクがあるから練習に行く時間も掛からないし、今の自分にはすごく合っている練習法。今のところ毎日続けることができています」


上がりタイムも良くなり、練習の成果は成績に表れた。

6月のパールカップ予選は組み立てミスと敗因は明確。残り2走をしっかり1着でまとめていて、明らかに状態は上がっている。


奥井迪


9年連続ファン投票1位で迎えるGⅠ・第1回女子オールスター競輪へ準備は整った。

オールスターは児玉碧衣にとって大事な大会。運命を変えたレースである。

なかなか勝つことのできなかったビッグレース。その扉を開けたキッカケの大会だ。


「オールスターは自分にとってターニングポイントの舞台。毎年ファン投票の結果はビクビクしている。今年はもう1位は無理だろうなって思っても、ここまで毎年1位で選んでもらえている。これはファンの人のおかげ。どのレースよりファンの人のために走りたいと思って臨んでいる」


選手を辞めたい衝動に駆られる時もあるが、最近はガールズケイリンの仲間との関係も大事だと思っている。


「ガールズケイリン、いいですよね。先輩、同期、後輩と仲間っていいなって思う。この前の京王閣で600勝をした時、レース後なのにみんな自分のために集まって写真を撮ったり、名前を書いたタオルをプレゼントしてくれた。もちろん走っている時は敵だけど、それ以外の時は練習の話をしたり、旅行に行ったりできる関係。仲間っていいなって思います」



児玉碧衣は思ったことを包み隠さず話す選手。いい時も悪い時も正直に状態を伝えてきた。

なんでも正直に話してしまうため、アンチもいるはずだ。万人に好かれるタイプではないかもしれない。それでも9年連続ファン投票1位は今後出ない大記録になるはずだ。

目標をいろいろ達成してきた児玉碧衣が、今ほしいタイトルは「女子オールスター競輪」の優勝しかない。


「私の競輪人生は周りの人に恵まれている。練習を見てくれる人。どんな時でも応援してくれるファンの人。ガールズケイリンを盛り上げてきた自負があるし、女子オールスター競輪はそういういろんな人たちへの恩返しだと思って走りたい」とファンや支えてくれる周囲の人への感謝を胸に戦うつもりだ。



児玉碧衣はこれまでの競輪人生を振り返り「なんだかんだいろんな経験をしてきて、私なりに精一杯頑張ってきた。うまくいかなくて苦しい時がたくさんあったけど、それでも這いつくばってやってきた。『頑張っている』って自分を認めて褒めてあげたいです」と語る。


前人未到の大記録を数多く樹立してきたトップレーサー。これからもガールズケイリンのシンボルは児玉碧衣で揺るがない。

佐藤水菜の強さは誰もが認めるところだが、1強時代の競輪はつまらない。4月オールガールズクラシックのリベンジに燃える児玉碧衣。女子オールスター競輪で一番星を全力でつかみにいく。



児玉碧衣 Aoi Kodama



誕生日:1995年5月8日

身長:168.6cm

期別:108期

登録地:福岡県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ


同じカテゴリーの最新ニュース

    1. ホーム
    2. ニュース
    3. 特別企画