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<前編>もうすぐ21歳の新星!先行勝負でガールズグランプリ優勝を目指して 中島瞳 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2025.09.12



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。




中島瞳は埼玉県川越市の出身。2歳上の兄と2人きょうだい。両親が習い事に熱心だったこともあり、たくさん経験をさせてもらったそうだ。


「兄と一緒に小さい頃から習い事はいろいろさせてもらいました。覚えている範囲だとベビースイミング、テニス、バトントワリング、バレエの運動系にピアノに習字と文化系までやらせてもらいました。1週間が7日しかないのに、習い事が8つある週もあって楽しかったです」




中でも小学4年生から始めたウエイトリフティングでは才能が開花。中学3年生まで続けると、中学3年生の時には全国中学校体育大会で6位入賞という好結果を残した。


ウエイトリフティングで結果を残すことはできたが、それ以上に熱中したのは幼稚園の頃から始めたマウンテンバイクだった。


「兄の友人がマウンテンバイクに乗っていたことがきっかけ。兄がマウンテンバイクのキャンプに1週間参加して全国大会に出ることになった。そうしたらまだ幼稚園に通っていた自分も未就学児の部にエントリーされてプリンセスの自転車で大会に出ることになった。大会が終わると両親がマウンテンバイクを買ってくれて、自然と土曜日、日曜日はマウンテンバイクの大会に出るようになりました」




中学時代はマウンテンバイクとウエイトリフティングに打ち込み、高校進学のタイミングでは迷うことなく地元川越にある県立川越工業高校を選択した。


「高校で自転車競技はやりたいと思っていました。マウンテンバイク時代につながりがあった、山田雄大さんが川越工業高校に進学して自転車競技をして、競輪選手になったことも知っていたので、自分もやりたいって思って高校を選びました」


川越工業高校は埼玉の自転車競技の名門。OB、OGには競輪選手が多数いる登竜門のような場所だ。

中島も川越工業高校からガールズケイリン選手の道を志して入学したと思ったが、入学当時は競輪選手になるつもりは1ミリもなかったそうだ。


「高校に入った時、競輪選手になるつもりはなかった。やりたいことはなかったけど男くさいイメージが競輪に対してあった。中学生の時、ガールズサマーキャンプ(現・トラックサイクリングキャンプ)に参加していたけど、ガールズケイリンの選手になりたいと思ったことはなかった。父は川越工業高校に入った時点で競輪選手になることを勧めてくれたけど、高校が建築科だったので、大工になるつもりでした。高校を卒業してすぐ大工になるか、大学に行ってから大工になるかって考えていたんです」


126期の同期と。左から大浦彩瑛片岡美奈、中島、普久原美海


高校入学時、自転車競技部に入ったのは男子5人、女子は中島1人。3年間、仲間が欠けることなく楽しく部活動を続けていった。そんな中で競輪選手を目指すターニングポイントはプロ競輪選手との練習だった。

後に師匠となる太田真一や飯田威文、日本競輪選手会埼玉支部の協力もあり、プロのタマゴ(プロタマ)として現役競輪選手と練習する機会が増えていったことで、中島の心は少しずつ変わっていった。


「普段、学校の部活の練習は街道がメイン。自分は街道練習が嫌いだった。マウンテンバイクを小さい時から続けていたので持久力には少しだけ自信があった。高校1年生の時、短距離種目でやっていくと決めてからは大宮競輪場での練習が楽しかった。プロタマ扱いで現役競輪選手と大宮競輪場で練習する機会が増えていく中で、競輪選手という仕事がいいなって思うことが増えていきました。ちょうど高校の先輩でもある飯田風音さんが日本競輪選手養成所を卒業してデビューするタイミングの頃を間近で見ることができたのが大きかった。すごく楽しそうだし輝いていた。お金もいっぱい稼げるしいいなって。自分もプロの競輪選手になりたいと思いました」


126期の同期と。左から片岡美奈、中島、豊田美香平子結菜


高校2年生の冬には太田真一に競輪選手になりたいと伝えて師匠になってもらった。

両親にも競輪選手を目指すことを伝えると応援してくれた。

高校3年生の時にはケイリンでインターハイ(高松)、全日本ジュニア選手権(伊豆ベロドローム)を優勝。最高の結果を出したが、試験に向けては不安もあった。


「ケイリンのインターハイと全日本ジュニア選手権で優勝できたことはうれしかったのですが、試験に向けては不安がありました。ケイリンは得意だったけど、タイムを出すことが苦手。試験は500メートルタイムトライアルと、200メートルのフライングダッシュ。大丈夫かなと思いながら秋の試験まで頑張って練習をしました」


126期の試験は栃木国体の日程がかぶったこともあり、国体参加メンバーは別の日程で試験が行われた。中島は国体でロングレースに出走。その後すぐに試験という厳しい条件の中で行われた。


「師匠から国体のロードレースはできるだけ頑張れとだけ言われていたから、しっかり完走しました。その中で苦手なタイムトライアルだったけど、なんとか乗り切りました。国体参加メンバーは条件がみんな一緒だし、やるしかなかった」


厳しい条件のもとでの試験だったが、中島は無事1次試験を突破。

2次試験に向けてもしっかり高校で勉強をして臨み、日本競輪選手養成所合格をつかみ取った。


「年明けの合格発表は帰りのホームルーム中でした。担任の先生に「結果を見ていいですか」と聞いて、携帯を見たら自分の名前があった。隣の男子に『合格していた』って伝えたら、その男子がクラスのみんなに発表して、クラスメイトから祝福をしてもらいました。お母さんからもラインの通知が来ていてうれしかったです」



合格後はJKAのバイトもして、競輪場でガールズケイリンのレースを生で見ることも多かったそうだ。


「日本競輪選手養成所の合格後は高校に通わない時期もあったので、大宮、西武園の競輪場でバイトをさせてもらいました。管理のお手伝いでブレスコントロールのエリアで荷物を運んだりしていました。JKAの職員さんがみんな優しくて、ガールズケイリンのレースの時は『もっと前まで見に行っていいよ』って言ってくれた。今でも顔なじみの人が多いので埼玉の2場を走るとホームだなって感じることができます」



■後編はコチラ



中島瞳 Hitomi Nakajima



誕生日:2004年9月27日

身長:157.0cm

期別:126期

登録地:埼玉県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ


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