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<前編>三代続く競輪一族!自転車経験ゼロ、語学の道から競輪界へ・戸邉香奈実 【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2025.10.10



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。




戸邉香奈実は茨城県守谷市の出身。祖父・弘(8期・故人)、父・英雄(51期・引退)も選手の競輪一家。小さい頃は積極的に何かやりたいことがあるタイプではなく、なんとなくピアノを習っているくらいだった。4歳上の兄はラグビーをしていたが、香奈実はスポーツとは縁のない生活を過ごしていた。



父の英雄は自宅に競輪を持ち込むタイプではなかった。

練習も街道が中心。自宅で練習を見ることもなく、父の応援で競輪場に行くこともなかった。


「小さい頃、学校で父の仕事を発表する機会があったけど、父は『自転車屋って書いておけ』と(笑)。競輪選手という仕事は知っていたけど、意識することはなかったです」



中学から高校に進学するタイミングで興味を持ったのは「海外留学」。

アメリカの高校に行きたいと両親に伝えた。

しかし両親から将来のことを考えて日本の高校を卒業しておくことを勧められた。

その中で選んだのは品川エトワール女子高校の国際コースだった。


「高校はアメリカの高校に行きたかった。でも両親から高校は日本で卒業したほうがいいと言われたので、留学ができる高校を探しました。奨学金が出ることも理由の一つであったので、品川エトワール女子高校の国際コースへ進学しました」


高校時代はアメリカの西海岸・カリフォルニアへ1年間留学。


「1年間ホームステイでした。楽しかったけど、厳しい面も見ましたよ。子ども同士でも人種差別をガンガンしてくるし。白人が多かった学校だからアジア人ということで差別も受けたし、いろんな経験をしました。まあそれはそれで面白かったんですけどね」


異国で刺激的な体験をしたことで、言葉の面白さに気が付き、次の進路はさらにディープな世界へと足を踏み入れていった。


「留学したことで、言葉の面白さや文化の違いに興味を持った。高校時代に英語はある程度話せるようになったので、次はどの言葉にしようかなとなりました。最終的に選んだのはロシア語。日本人の話者が少ないけど、世界的に見たら話者が多い言語といえばロシア語かなと思いました」



大学は京都産業大学へ進学した。京都産業大学はロシア語の授業に定評があり、マイナーな言語学習にも力を入れていたこともあり、戸邉香奈実のやりたいこととフィットした。


「ロシア語の勉強ができることが一番だったけど、それ以外にもマイナーな言語の勉強ができたり、英語がある程度話せると奨学金が出たりと、いい面があったので、迷わず京都産業大学を選択しました」


男子の競輪界隈では125期の小堀敢太、谷内健太の2人が京都産業大学出身だが、戸邉香奈実は相変わらず全くスポーツとは縁のない生活を送っていた。


「完全に文系だったので、自転車競技部があることも知らなかった。たまに大学の広報紙で運動部の結果を見るくらいでしたから」




大学に入学すると、ロシアへの興味は増す一方。大学在学中にモスクワへ1年間留学をしたが、それでも収まらず、大学卒業後の大学院もロシアに行くことを選択した。


2016年3月に京都産業大学を卒業。しかしロシアの大学院の入学は秋。この半年間はロシア旅行専門の会社でアルバイトをして、大学院留学の準備を進めた。


「ロシア旅行の専門店だったので、航空会社とやりとりしてチケットを取ったり、大使館にビザを取りに行ったりしていました」




2016年の秋。念願が叶い、ロシア国立研究大学経済高等学院の大学院に入学。


「将来はロシアで就職するのかな。ロシア語の教授になるのだろうな」と思いながら日々勉強に打ち込んだ。

そんな状況を一変させたのが2020年から世界を襲った新型コロナウイルスの流行だった。


「ロシアの大学院に通っている時、両親から実家で飼っている愛犬の命が危ないって連絡を受けた。急いで日本に帰国したけど、愛犬の最後の瞬間に立ち会うことはできなかった。そうこうしている間に新型コロナウイルスが大流行してロシアに戻ることができなくなってしまった」


緊急事態宣言下ではロシアに戻ることもできず、どうしようと悩んだ。

何かをしてお金を稼ごうと思い、大学時代に取っていた日本語教員の資格を生かして技能実習生に日本語を教えるアルバイトをスタートさせた。




日本語を教える仕事はやりがいこそあったが、一生の仕事かと考えると違うと思った。

同じ時期に航空会社の採用試験も受けていたが、コロナ禍の影響が長引き、新規の採用をストップ。今後の活路が見いだせない状況に陥ってしまったのだ。


それでも戸邉香奈実はポジティブだった。

ふと見たネット広告の「ガールズケイリン選手募集」の文字。

根拠はなかったが「行けるんじゃない?」と思ったそうだ。


部活動で運動をしたことはなかったが小さい頃から足は速かった。

体力測定で好タイムをたたき出し、地区の大会にエントリーしたこともあった。

苦しい練習は嫌だったが、適性試験なら自転車の練習をすることなく受けられることが分かり、とりあえず受けてみようと思い立った。


西脇美唯奈(120期)、藤原春陽(122期)と


「ここで競輪選手の試験を受けることが人生の中でネタになる」


動機は不純だったが、これが戸邉香奈実のターニングポイントになった。

適性試験を受けるための手続きを全て済ませてから、父に報告しに行った。

父は自身の経験から「競輪選手の受験はそんなに甘いものじゃないぞ」と一言。

それでも手続きを全て自身でやったこと、124期の試験に願書の受付が間に合ったことで受験することを許可した。


受験に踏み切った理由の一つに競輪一族に生を受けたことも大きかった。


「兄は競輪選手になることがないし、自分がこのタイミングで挑戦すれば、祖父、父と自分で三代続く競輪一族になるかもしれない。一度だけ力試しの受験をしてみようと思いました」


父の戸邉英雄(51期)



後編は、10月24日(金)に公開予定です。

お楽しみに!!



戸邉香奈実 Kanami Tobe



誕生日:1993年10月6日

身長:163.0cm

期別:124期

登録地:茨城県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ


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