
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。

坂口楓華は兵庫県加古郡稲美町生まれ。3歳上の兄、2歳上の姉(聖香・116期・引退)と3人きょうだいで育った。
父の影響で小さい頃から自転車がそばにある環境だったそうだ。

「小さい頃から表で遊ぶのが好き。目立つことは苦手だったから兄、姉の後ろで隠れているタイプ。兄、姉にはかわいがってもらいました。運動も父ときょうだいの影響で物心が付いた頃には自転車に乗っていた。父が若い時に競輪選手を目指していたので、その影響で自転車が身近な存在でした。補助輪もすぐに取れたので自転車に乗ることは得意だったと思います」

習い事で体操や水泳などにも挑戦したが、メインは自転車。
小学生になると、学校が休みの日曜日は自転車のクラブチームの練習か試合をしていることが多かった。
「思い出は自転車中心。日曜日に遊園地とかに遊びに行った記憶はない。明石市にある『ポルポ』という自転車チームに入って、大人のおじさんとか、同学年の男の子とかとロードレースをしていた。この頃は父やきょうだいの影響で自転車に乗っているだけで、レースで勝てないし、嫌々やっている感じだった。ロードレースは冬が寒いし、本当に嫌だった。家族で楽しくお出かけとかしたかったけど、父が厳しい人だったので、半ば強制。ただ自分でもやりたいことがない、意志がない人間だったので、父の言うことに従っていた感じでした」

高校は播磨南高校に進学。高校では部活動には参加せず、中学時代と変わらず放課後、休日はロードレースの練習に明け暮れた。
「勉強があまり得意ではなかったので、自分の学力で通える高校が播磨南だった。片道50分の距離を毎日自転車で通っていました。部活動はせず、学校の授業が終わると急いで家に帰って自転車の練習をする日々。姉が強かったこともあり一緒に練習をする感じでした。放課後、遊びにいったり、アルバイトをしたりということはなかった。反抗期もなかったし、父が引いてくれたレールの上を走っている感覚でした」


そんな中、高校生活も後半にさしかかると進路の問題が浮上する。
勉強が好きではなかった坂口楓華にとって大学進学の選択肢はなかった。
「家が裕福ではなかった。姉が自転車競技で大学に進学してお金が掛かっているのはわかっていたし、勉強が好きではない自分も大学に行くのは違うと思っていた。やりたいこともないのに学費を払ってもらうのは申し訳ないし無駄だと思った。自分に何ができるのか考えた時に自転車しかなかったんです。自分の中で自転車は高校生で辞めるつもりだった。父にも初めて自分の意志で自転車を辞めると伝えました。そしたら父が、『辞めるのはいったん置いといて、気分転換でトラックレースに出てみれば』と提案してくれたんです。それからトラックレースに参加したら、すごく楽しかった。おじさんたちを相手に勝つこともできた。自転車に乗っていて初めて楽しいと思えた瞬間でした。その後も『関西トラックフェスタ』に参加。現役のガールズケイリン選手とも一緒に走ることができて、たまたま勝つことができた。その時、自分には自転車しかないし、ガールズケイリンを目指そうと思いました」
余談だが、2015年の『関西トラックフェスタ』には皿屋豊(三重)も参加していた。後に日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)で同期になるとは、この時は思っていなかったそうだ。


父の機転が幸いし、非凡な才能が開花。楓華自身も嫌々やっていたロードレースとは違い、短距離のトラックレースでは勝つ喜びを体感した。成功体験は人生に大きく影響を及ぼした。
今までは自分の意志がなく、やりたいことが見つからなかったが、楽しかったトラックレースの世界に挑戦したい気持ちが芽生えた。
ガールズケイリンの存在は知らなかったが、トラックレースを体験したことで興味を持った。そこには進路で迷っていた坂口楓華はもういない。父に人生で初めて自分の意志を伝えた。
「ガールズケイリンに挑戦したい」
もやもやした気持ちは一切なかった。
ガールズケイリンの世界には自分の意志で踏み出した。そこからは日本競輪学校112期の合格に向けて動き出した。
父は競輪選手を目指していたこともあり現役競輪選手との交流も多く、プロ志望の楓華にとっては頼もしい存在だった。
「父には感謝です。自転車から降りるつもりだったのに、トラックレースへの参加の道を作ってくれた。競輪学校に入るにも父の人脈のおかげで柳澤達也さん(兵庫・72期)につないでもらい、明石の自転車競技場で試験に向けて練習をさせてもらいました」
明石の自転車競技場で練習ができたこともあり、112期の試験は無事合格。
高校卒業のタイミングで現役組として、日本競輪学校入学を果たした。

112期はスター軍団。自転車競技で活躍した
大久保花梨、スピードスケートで好結果を残してガールズケイリンに転身した
梅川風子、適性組には
太田りゆ、
鈴木美教などとにかくタレントが揃っていた。
ロードレースのキャリアは豊富だった坂口楓華だが、入学当初はエリート集団との差を強く感じていたそうだ。
「競輪学校…大変でした。集団生活が苦手だったし、ストレスがすごかった。人付き合いも得意じゃなかったので、入学当初はとがっていました(笑)。訓練が始まると上位のスター選手との差がすごかった。私はエリート組じゃなかったし、このままじゃやばいと思って、自主練習を始めました。通常の教場が始まる前と終わった後、体育館で自主練習をしていた。最初は
太田美穂と一緒にやっていて、途中から
高橋智香や
寺崎舞織(旧姓・内村)も一緒になって体幹トレーニングをしていた。あとは食事にも気を使いました。競輪学校に入った時はロードレーサーの体型でガリガリだった。食事もトレーニングだと思って、毎食白ご飯を500グラムは食べて胃袋を大きくして、体を大きくすることをやっていました。競輪学校時代は上に上がりたい。強くなりたいと思って練習していた。その時から憧れの存在は梅川風子さん。当時は同期だけどしゃべる機会はあまりなかった。接点もなかったし、勝手に憧れて追い付きたいと思って練習もしたし、ご飯もいっぱい食べました」

112期の同期と
憧れの梅川風子に追い付きたい一心で頑張った成果は実を結び、競走訓練や記録会で少しずつ結果を出せるようになった。
最終的に在校成績8位、卒業記念レースは決勝3着と、入学当初では考えられない成績を残すことができた。

卒業記念レースにて
■後編は
コチラ
坂口楓華 Fuka Sakaguchi

誕生日:1997年10月1日
身長:166.0cm
期別:112期
登録地:愛知県
松本直 Suguru Matsumoto


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ