
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。

■前編は
コチラ
坂口楓華のプロデビューは2017年7月。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の試験は兵庫の受験生として受けたが、選手登録は京都。京都支部の選手としてデビューすることとなった。
「高校生の頃は明石で練習をさせてもらったのですが、自分はデビューして早く上位で活躍したいと思っていた。そのためには練習環境が大事だと考えていて、当時の京都には前田佳代乃さんがいたんです。強い人と一緒の環境で練習ができればと思い、京都で練習できるように動きました。結局前田さんはナショナルチームにいたので一緒に練習する機会はなかったのですが、京都でプロデビューできてよかったです。京都支部は強い選手が多い。トップレーサーの多い環境は19歳の自分にはすごくいい刺激になりました。師匠の武田哲二さんを始め、村上義弘さん、村上博幸さん、稲垣裕之さんなどいろんな人から学ぶことができました。一緒に練習をするレベルではなかったけど、アドバイスはいっぱいもらいました。プロの競輪選手としての基礎を作れたのは京都支部のみなさんのおかげだと思います」

デビュー戦は高松。1戦目をカマシで逃げ切り1着。予選2走目は5着だったが、決勝には進出。優勝したのは同時参加だった同期の
太田りゆだった。12月までの半年間で1着は9回取れたが、初優勝は遠かった。
前記の太田りゆを筆頭に、太田美穂、鈴木美教、吉村早耶香、梅川風子、大久保花梨と、同期が次々と優勝を決めていった。同期の成長と自分の成長を比べてしまい、負けたくない気持ちは焦りに変わり「置いていかれている。一番ツラかった時期」と振り返る。なかなか優勝へ手が届かないレースが続いた。
初優勝はデビュー2年目の2018年7月の佐世保。ガールズケイリンフェスティバル組が不在でシリーズリーダーの開催だった。しっかりチャンスをモノにして初優勝を決めた。
2019年には玉野と平塚で優勝。1着回数も増えていき、ガールズケイリンでの存在感も発揮していった。坂口自身の心境も変化し、「自分のペースで頑張ろう。まだ自分のスタイルも見つかっていないし」と気持ちを整理することを大事にした。
「それでもデビューして3年くらいはみんなしんどいと思いますよ」
2020年には1着が43回、6月の大垣から8開催連続優勝達成。年間10V、11月にはガールズグランプリトライアルレースへも初参加とトップレーサーの仲間入りを果たした。
2021年は3月の松阪で初めてガールズケイリンコレクションに参加(優勝は
児玉碧衣で坂口楓華は2着の準優勝)と好発進を決めると、以降も高推移で安定。優勝回数も12回と結果を残してガールズグランプリに初参加(優勝は高木真備、坂口は4着)と結果を残した。

2022年は44勝、優勝10回と前年と比べると一息の戦歴。現状打破へ変化を求めたのがこの年の秋だった。
「2020年以降は優勝できるようになったけど、どういう選手になりたいか見つかっていなかった。自分のカタチを作れたのは2023年からだと思います。それまではただただ苦しくて長いなって感じで過ごしていました。突き抜けられない自分が嫌だったんです。どの開催にいっても常に強い選手がいて自分が2番手。この頃は準優勝も多くてファンの人にシルバーコレクターって言われていた。それがすごく悔しくて嫌だった。自分、プライドが高いので絶対優勝できる選手になりたかった。でも当時は自分の練習だけでは限界が来ていた。そこで市田佳寿浩さんに教えてもらいたくて福井の開催終了後(2022年11月)、自分から市田さんに練習教えてくださいと声を掛けました」
市田佳寿浩の弟子・
柳原真緒の存在も大きかった。
2022年5月にガールズケイリンコレクション(いわき平)で優勝すると、年末のガールズグランプリも優勝。期は違うが、学年は一緒。ビッグレースで結果を出す柳原真緒を見ていて、市田佳寿浩の指導には興味があった。現状打破へなりふり構わず突撃して、指導を求めた。
「(柳原)真緒がとにかく格好良かった。人生をかけて勝負して結果を出していたし、強かった。市田佳寿浩さんの練習はキツいと噂話で聞いていたけど、自分も人生をかけて(ガールズケイリンを)やりたいと思っていたし、真緒には申し訳ないけど、遠慮せず飛び込みました」
市田の元に飛び込むと、そのまま福井に居残り練習。直後の開催から市田に見てもらった自転車のセッティングでレースに臨んだ。
市田の指導は効果てきめん。2023年の坂口楓華は1着が65回、優勝回数は18回。1月岸和田から5月岸和田予選2まで負け知らずの32連勝を達成(ガールズケイリンの連勝記録は児玉碧衣の34連勝)。年末には2年ぶり2回目のガールズグランプリ出場も果たした。
「市田さんの練習のおかげで競輪選手として体の土台ができた感じでした。いろんなことがかみ合ってきた感じでした。この頃は小さい目標をいろいろ立てて、一つずつクリアしていく感じ。市田さんに質問して、自分で考えて、答えを出して乗り越えていく感じでした。市田さんは簡単に答えをくれる人ではないので、自分で考えて走っていました。この頃は市田さんだけを信じてやっていました」

努力は必ず報われる。
ガールズケイリン以外のことは考えず、生活を全てガールズケイリン中心に考えた。
「人生をかけてやっています。バカなくらい自分は真面目だと思う。昔は楽しくやっているガールズケイリン選手を見て嫌な気持ちになることも多かった。イライラした時期もあったけど、最近はなんとも思わなくなりました」
2024年には最後のガールズケイリンコレクション(3月取手)で優勝。この開催はファンの支持もあり、きっちり結果で応えた。坂口楓華にとっても忘れられない開催の一つだ。

「あの取手は心も体も自転車も全て整っていた。自転車と体が一体になっていて、負ける気がしなかった。なぜかわからないけど今まで積み上げてきたもの、運が全部自分に向くと確信していました。こんな気持ちで走れたのはこの取手だけでした。お客さんの声援も多くて力になったことを覚えています。流れに身を任せてみようと思って走ったら、自分に展開が向いて勝つことができました。忘れることのできない勝利でした」

3回目の出場となった12月のガールズグランプリは
佐藤水菜をたたいて先行。佐藤のまくりを許さず最後の直線まで先頭でレースを支配。結果は坂口をマークした
石井寛子が差し脚を伸ばして優勝したが、坂口の脚力、競輪力、度胸の良さが目立ったレースだった。
今年も安定感あるレースを各地で披露。1月久留米から4月四日市まで7開催連続完全優勝。年間を通しても1着61回、優勝16回と好成績を収めたが、本人は苦しい1年だったと振り返った。
GⅠはオールガールズクラシック、パールカップ、女子オールスター競輪は準決で敗退。最後の競輪祭女子王座戦は落車で終わってしまった。
「プレッシャーに勝てなかった1年だと思います。周りの期待に応えることのできない1年だったと思います。みんなの期待と自分の評価とのギャップに苦しみました。サトミナ(佐藤水菜)を倒せるのは楓華ちゃんしかいないとか聞こえてきて、「そんなはずないじゃん」みたいな気持ちになって苦しかった。プレッシャーに押し潰された1年だったと思います」

プロデビューから9年目が経過。体も厳しい練習の代償で悲鳴を上げてきたことも大きかった。
「ビッグレースで結果を出したいって思った矢先に、腰痛がひどくなってしまった(右仙腸関節のゆがみが原因)。自転車にまったく乗れない時間ができてしまった。やる気、モチベーションが落ちてしまう、自転車が楽しくないって思ってしまったんです。そのタイミングでいったん自転車から離れることにしたんです。今後の人生についてゆっくり考えました。フランスに旅行にも行きました。自転車に乗れない体だから、時間はいっぱいあったので。考えて行く中で選手を辞めることも考えたけど、せっかくだし今できることをやってみようとなったんです。今の自分の体に合った乗り方を探していくと、いったん成績が崩れていくことはわかっていた。8月の松阪で優勝したあと、2カ月優勝することができなかったけど、いろいろ探して行く中で10月の函館でしっくりする位置が見つかった。このポジションならまた頑張れるかもしれないって思えた。直後の岸和田で優勝することができて、自分の心も体も戻せたと思います」

明るい兆しが見つかった中で臨んだ今年最後のGⅠ戦はきっちり決勝に進出。最終バックは3番手で通過。優勝のチャンスがある位置で勝負所を迎えたが結果は落車で終わってしまった。再乗することも叶わず、落車棄権でレースを終えた。
「頭を強く打ったのでレース内容は覚えていないけど、開催中は落ち着いていた。余裕がありました。強い選手が相手でも弱気になることがなかった。頭は4センチくらい切れてしまって縫いましたが、骨折はなかった。このくらいのケガで済んでよかった」とガールズグランプリに向けて不安はなさそうだ。

以前は30歳で引退と話していた時期もあったが、ここに心境の変化も出た。
「考える時間ができたことで、今はなにも決めないでおこうと思っています。無理をせずレースを楽しみたい。そしてプライベートも楽しむ。もっと自分を大事にしようと思うようになりました。改めて競輪選手っていい仕事だなと思いました。天職だと思うし、今は楽しもうって思っています」
12月29日には3年連続4回目のグランプリが控えている。競輪祭女子王座戦でアクシデントはあったが、スタートラインに立てば優勝のチャンスは7分の1。坂口楓華が尊敬する村上義弘はグランプリ前の練習中に落車をしたが、不屈の闘志で克服して優勝をつかみ取った。
「ガールズグランプリ、優勝したいですね。昨年の借りを返したい。痛みはまだ残っているけど、後は良くなるだけ。チャンスが巡ってきたら優勝をつかみ取りにいきたい」

競輪選手を目指した父の影響で始めた自転車競技。エリートの姉の影で活躍することができなかったロードレース時代、父の助言でガールズケイリンに転身。
競輪学校時代は落ちこぼれだったが、練習はさぼらずやってきた。練習仲間、良き指導者の支えで一歩ずつ前へ進んだ。
好きじゃなくなりかけたガールズケイリンも落車がきっかけで考える時間ができたことで前向きになれた。
競輪祭女子王座戦の落車もマイナスだけではない。考え方一つでプラスにも転換できるはず。
ノーマークの坂口楓華が平塚で大波乱を演出する可能性は大いにありそうだ!!
坂口楓華 Fuka Sakaguchi

誕生日:1997年10月1日
身長:166.0cm
期別:112期
登録地:愛知県
松本直 Suguru Matsumoto


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ