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<前編>國村美留莉「お父さんは面白くて格好良い!」父を追って競輪界へ 今年の優勝は大きくガッツポーズを!【松本直のガールズケイリンちょっとイイ話】

特別企画 2026.01.13



“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。




國村美留莉は山口県防府市の出身。父はS級でも活躍した國村洋(80期)で、2歳下の弟と2人きょうだい。小さな頃から運動神経がよく、活発な女の子だった。




「幼稚園から小学4年生まで水泳、小学4年生から6年生までバレーボール、中学に進学するとソフトテニス部に入って運動中心の生活。勉強は好きじゃなかった」



高校進学の進路を決めるタイミングでは、親元を離れることも考えていたが、父の勧めもあり自転車競技部のある山口県立防府商工高校へ進むことになった。


「夢はいろいろ変わっていたけど、中学生の頃は歌手になりたいって思った時期があった。東京に行くことも考えました。でも小さい頃からガールズケイリンの選手になるという夢もありました。進路に迷っている時期にお父さんから『ガールズケイリンの選手になって有名になったら大好きな芸能人にも会えるよ』って言われた。当時はAAAが大好きでガールズケイリンの選手になったら会えるんじゃないかと思って、自転車競技部がある防府商工に進むことを決めました。あとガールズケイリンの選手になったら勉強をしなくていいかなって思いもありました(笑)」




防府商工高校に進学すると、目的だった自転車競技部に入部。ガールズケイリン選手になることを夢見て、部活動中心の学生生活を送った。




「自転車競技部に入っても1年生はあんまり乗らせてもらえないけど、自分はお父さんが選手だったので、部活がない時にお父さんの練習について行って競輪場でバンクを乗らせてもらいました。これはとても恵まれていたと思います。当時は自転車に乗り始めたばかりだったので、乗ることもすごく楽しかった」と自転車との出会いを振り返った。




高校時代の3年間は自転車競技の大会にも多く出場した。


「女子の自転車競技人口が少ないこともあるけど、中国地区の大会では結果が出て、全国大会にも行くことができました。でも最後のインターハイは一度もエントリーしたことのないスクラッチに出て、ボロボロの成績でした」




高校3年生の夏が終わると、受験モードに突入。高校卒業見込みで日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)116期を受験した。しかし結果は不合格だった。


「116期の試験は自信が全くなかったけど、なぜか1次試験が受かった。1000メートルも200メートルのタイムトライアルも厳しいと思っていたけど、1次試験を突破できた。でも勉強はやっぱり苦手で試験の手応えもなく、116期の2次試験で落ちてしまいました。2次試験合格に向けて学習塾に通って詰め込んだけど、勉強すると眠くなってしまうのでダメでしたね」


116期の合格者名簿を見ると、一緒に高校時代に自転車競技で汗を流したメンバーたちが合格していた。不合格のショックは大きかった。


「目の前が真っ暗でどうしようって感じでした。自分の中では3月に高校を卒業して、5月から競輪学校に入る未来しかなかった。不合格で浪人ってことは毎日練習だしどうしようと思って呆然としていました」



それでも現実を受け入れて118期の試験合格に向けてすぐ動き出した。


「歌手になりたいって夢を追いかけることはなかった。高校進学の時、競輪選手になると決めて防府商工に入ったし、試験に落ちたから目標を変えることはなかった。浪人生活はあっという間の1年間でした」


両親は118期の試験合格に向けて練習をサポートしてくれた。

父であり師匠である國村洋はレースがない時は朝から晩まで練習に付き合ってくれた。

父がいない時は兄弟子の清水裕友(105期)が稽古をつけてくれた。

実家住まいだったこともあり、家事全般は母が面倒を見てくれた。


「周りに恵まれていました。両親はアルバイトをしなくていいから、とにかく練習に集中しなさいと言ってくれました。あとは清水君にはお世話になりました。自分の練習があるにも関わらず、浪人中の自分の練習もみてくれました。本当に強くて格好良くて頼りになる兄弟子です。いい環境で練習をしていたので、2回目の試験は実技に関しては自信を持って臨めました」




日々の練習の成果で、118期の1次試験は難なく突破。課題のSPI試験がメインの2次試験に向けて今回は対策を打ったのだ。


「116期の2次試験は塾に通ったけど、勉強をすると眠くなってしまった。同じ失敗をしないように、今度は家庭教師を付けて勉強しました。マンツーマンなら居眠りすることはないですからね(笑)」


家庭教師とのマンツーマン学習が功を奏して、118期の2次試験は無事合格。

父と同じ競輪選手への第一歩を踏み出せた。


「合格の知らせはうれしかったですね。自分の名前を見つけた時の感動は今でも残っています。お世話になった人たちのおかげで合格することができました」




2019年の春は日本競輪学校から日本競輪選手養成所へ名称変更のタイミング。118期は日本競輪選手養成所に変わって最初の候補生。練習メニューも科学的トレーニングの導入など、変化の時期だった。


「競輪学校から日本競輪選手養成所になったので、周りから聞いていた感じと違いましたね。髪型も自由だったし、練習も量より質って感じだった。浪人時代は午前、午後で練習だったけど、養成所は午前だけ、午後だけみたいな感じだったので、アマチュア時代の練習のほうが大変でした」と訓練の様子を振り返った。


自由時間には競輪のチェックを欠かさなかった。116期で合格した同学年メンバーの様子も気になったがそれ以上に山口支部のレースチェックは毎日の日課だったそうだ。


「もちろん同じ年のメンバーのレースは気になったし、現役で合格したらあの舞台で走っていたのかなと思いました。でも自分は1浪して118期で良かった。118期の同期との時間は楽しかったし、かけがえのない時間になったので」


卒業間近の2月には新型コロナウイルスの流行もあり、卒業記念レースは無観客開催になってしまい、家族がレースを見に来ることができなくなってしまったことは心残りだが、競走訓練で8勝、在所9位の成績を残して、1年間の養成所生活を終えた。



118期の同期と



■後編はコチラ



國村美留莉 Miruri Kunimura



誕生日:2000年2月23日

身長:150.5cm

期別:118期

登録地:山口県


松本直 Suguru Matsumoto



誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ


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