
“ミスターガールズケイリン”の異名を持つデイリースポーツ・松本直記者しか知らない、ガールズ選手の秘話や“いい話”を紹介します。

齊藤由莉は北海道函館市の出身。3歳年上の姉と2人姉妹。
小さい頃のことを「少女というより少年って感じ。男の子の中で一緒になって遊んでいました。スイミング、空手、習字、吹奏楽と習い事はいろいろやらせてもらいました」と振り返る。


その中でも齊藤由莉の心にグッと刺さったのはヨットだった。
ヨットとの出会いは小学3年生の時。「幼稚園の時からの友だちに誘われて付いていった。初めて見た時のヨットがとても格好良かった」ことがきっかけでヨット人生がスタートした。
「最初にヨットに乗った時がものすごく楽しかった。一気にヨットの魅力にはまった感じ。小学生、中学生の時は趣味だったけど、高校で本格的にヨット人生が始まりました」

高校は茨城県の土浦市にある霞ケ浦高校へ進学。親元を離れて、名門校でヨット漬けの人生がスタートした。
「霞ケ浦高校はヨットの強豪校。中学生の時、体が大きかったこともあり、大会で霞ケ浦高校の監督に声を掛けてもらったことがきっかけで入学することになった。高校時代はヨットしかしていないくらいヨット漬けでした。授業が終わると、校舎から練習場所の霞ケ浦までダッシュで移動。土日も含めてずっとヨットに乗っていました」

練習の成果は結果で現れた。高校時代にインターハイや国体で優勝。
「ヨットで世界で活躍できる選手になりたいな」という思いを持ち始めた。
高校卒業後の進路は早稲田大学へ。霞ケ浦高校ヨット部監督の強い思いを背負って進学した。
「監督は日体大(日本体育大学)の出身なのですけど、自分が高校に入った瞬間に『お前はインターハイを優勝して早稲田大学へ進学だ』と言われました。はじめは現実味がありませんでしたが、だんだんとその気になり、いつの間にか本気で目指せるところまで監督に引き上げてもらいました」
監督の思い通り、齊藤由莉は早稲田大学へ進学。しかし大学ではヨット漬けの毎日という感じではなかった。
「大学のAO受験が社会学部とスポーツ科学部だった。スポーツ科学部に入っていれば、ヨット漬けの毎日だったと思うけど、社会科学部に受かったので、キャンパスライフを楽しむ大学生活を送ることになりました」

大学在学中も社会人チームの練習に参加してヨットとのつながりは保っていた。ヨット活動のため、1年間大学を休学したこともあり、5年で大学を卒業した。
大学卒業後は一般企業に就職。OLをしていた時期もあったが、社会人1年目にヨットで海外転戦できるチャンスが舞い降りた。
「北海道時代から世話になっている方に誘われて、葉山でヨットに集中できる機会をいただけた」
会社を辞めてヨットに専念。海外の大会に出場を続けて2024年パリオリンピック出場を目指したが、夢はかなわずヨット活動に終止符を打った。
「2022年から2023年にかけてヨットで世界を転戦していた。2024年のパリオリンピック出場を目指して選考会とかに出ていたけど、結果に結び付かず2023年の夏に活動に区切りを打ちました」

会社も辞めてヨット中心の生活を送っていただけに、今後の身の振り方を探している中でガールズケイリンが浮上した。
「ヨット時代からジムでやるトレーニングの中で自転車を使う練習があった。トレーナーさんは先を見据えてガールズケイリンへのきっかけを与えてくれていたのかもしれないですね。ガールズケイリンに興味があって自分から動き始めた。ガールズケイリンへの予備知識は何もなかったけど、トレーナーさんのおかげでパワーマックス(固定自転車)の練習もしたことがあったので自転車への馴染みはあった。ヨット時代は水の上が多かったし、自転車に触れる機会はほとんどなかった。でもパワーマックスの練習は自分でも好きだったし、いいのかもって感じでした。ヨットが終わったあと、一般企業への就職は考えていなかった。大学卒業後に短い期間だけどOLをやって、そのあとのヨット生活で自由な時間の過ごし方をしていたし、普通の就職は厳しいなと思った。だからこそ体を使ってお金を稼ぐ生活をしたいと思い、ガールズケイリン挑戦を決めました」

ヨットが終わったのが2023年の夏。ギリギリ128期の願書提出に間に合う日程だったことも齊藤由莉にとっては幸運だった。ヨット時代にお世話になっていたジムに競輪選手が通っていたこともラッキーだった。
「ジムで渡邊秀明さんや
尾崎睦さんに会ったこともあり、競輪選手を目指したいって気持ちが固まった時、睦さんに改めてあいさつさせてもらった。睦さんには一から全て世話になりました。トレーニングの内容、試験に向けてやるべきこと、自転車、練習着と本当にお世話になりました」
ビーチバレー出身の尾崎睦も108期の適性試験を受けて合格。自転車経験のなかった齊藤由莉にとって、尾崎睦が教えてくれることは適性試験合格への近道だった。
教えてくれることをきっちり守って無事合格。適性試験で128期の合格が決まると、尾崎睦が用意してくれた自転車を使って養成所での訓練に向けて乗り込む練習をスタートさせた。

師匠の尾崎睦
自転車経験ゼロからのスタート。養成所に合格したことはスタートラインに立っただけ。ここからが本番だった。養成所に入る前から本格的な自転車を使った練習を開始。
仕事を辞めていたこともあり、お金がなかったので、自転車に乗る練習をしながらアルバイトもしたそうだ。
「仕事を辞めていたので養成所に入るまでお金がなかったので、アルバイトをしました。一番頑張ったのは引っ越し屋のアルバイト。荷物を運んで、自分の体も鍛えることができるいいアルバイトでした」
2024年4月、伊豆修善寺にある日本競輪選手養成所へ、適性組は技能組よりも前に入所。同期には高校卒業の現役組や、自転車競技経験者も多く、刺激的な毎日を過ごした。
「128期の同期には助けられました。年齢は
千葉捺美さん、
高崎千賀さんが年長で、自分と
半田水晶さんが同じ年齢。年下の子も多かったけど、自分は自転車経験がゼロ。周りの全員が自転車に関しては先輩。いい意味で年齢は関係なしで教えてもらったし、何でも聞きました。最初にロードレーサーでサーキット練習をする時に
池原杏さんにギアチェンジのやり方を教えてもらった。カミナリが落ちたみたいな感覚でした(笑)。それまでむちゃくちゃつらいロードレーサーでの練習だったのに、ギアチェンジの仕方を教えてもらったら楽になった。自転車競技をしてきた人には当たり前のことが自分はできなかったから、本当に何でも聞いて教えてもらっていました。同期には助けてもらいました」
ヨットで日本一になったプライドを捨てて、ガールズケイリンで活躍すると誓い、ゼロからスタート。教官や同期に助けられながら少しずつだが力を付けた養成所時代。
記録会はD評価、D評価、C評価、在所時代は0勝で終わり、最終順位は20人中18位だった。
「このままデビューするのは怖いな」と気持ちを引き締めて1年間の養成所生活を終えた。
卒業式が終わり、練習バンクの平塚に戻り、デビューに向けたトレーニングがスタートした。
「平塚は最高の練習環境でした。今でも練習でちぎれることはあるんですけど、みんな練習を付けてくれる。この頃はデビューに向けて必死に練習をしていました」
■後編は
コチラ
齊藤由莉 Yuri Saito

誕生日:1997年9月1日
身長:170.7cm
期別:128期
登録地:神奈川県
松本直 Suguru Matsumoto


誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ