日本発祥のスポーツ「競輪/ケイリン/KEIRIN」の歴史を知ろう!

競輪は70年前からあるんです

戦前に日本各地でロードレースを主として行われていた自転車競技が、戦後 公営競技として開催されるようになります。
1948年8月 自転車競技法が成立し、同年11月20日福岡県の小倉競輪場にて「第1回小倉競輪競争」が行われ競輪が誕生しました。
「第1回小倉競輪競争」の車券販売額は1,973万円、入場者数は約5万5千人と爆発的な人気となりました。

なお「競輪」という言葉を考え出したのは、当時、毎日新聞に勤務していた新聞記者でした。
競輪誕生の翌年1949年6月 大阪で「第1回日本選手権競輪」が開催されます。
同年10月 女子競輪もスタート。当時は「女性の新職業」として大いに脚光を浴びたのです。

日本スポーツ史上初の世界選手権10連覇はギネス世界記録

1957年8月ベルギーで行われた「世界選手権自転車競技大会」に中井光雄選手と中野泰満選手の2人がプロ競輪選手として初めて出場します。
初出場から18年後の1975年8月、同じくベルギーで開催された「世界選手権自転車競技大会」で阿部良二選手がプロ競輪選手として初めての銅メダルを獲得しました。


1977年のベネズエラ大会で、中野浩一選手が日本人初となる金メダルを獲得しました。
中野選手はこの大会から1986年までの10年間、世界選手権10連覇という日本スポーツ史上初の大偉業を達成します。

 


1986年のアメリカ大会では、大会前の5月練習中に転倒して折れた肋骨が肺に突き刺さるという重傷を負いました。
世界選手権出場を絶望視されていましたが、完治しないまま8月の大会に強行出場。200メートルのタイムトライアルでは当時の世界新記録を叩き出し、世界を驚嘆させました。
見事10連覇達成!今でもこの記録は「同一競技世界選手権最多連覇」としてギネス世界記録に認定されています。

ちなみに、オリンピックや世界選手権の“連覇”でギネスに認定されている日本人スポーツ選手は、中野浩一選手の他ではレスリング女子の吉田沙保里選手と伊調馨選手だけです。

日本人プロスポーツ史上、初の1億円プレーヤー

競輪初代賞金王は、1949年の小林源吉選手の¥1,921,000でした。
初の1,000万プレーヤーになったのは、競輪初開催から15年後の1963年、高原永伍選手の¥10,875,660円。更にその13年後の1976年には、藤巻昇選手が5,000万超えの¥56,742,000を達成しました。

 
1980年 遂に“その時”がやってきます。
中野浩一選手が「日本のプロスポーツ史上初の1億円プレーヤー」となるのです。

その額なんと!¥111,410,600!!

 

このニュースは当時、世間を大いに沸かせました。
1980年のプロ野球選手の平均年俸は602万円、一般サラリーマンの平均年収は294万円でしたので、その凄さは一目瞭然です。
ちなみにプロ野球で初の1億円プレーヤーが誕生したのは、それから7年後の1987年で、落合博満選手と東尾修選手。サッカーは更に5年後の1992年で三浦知良選手でした。

21世紀になった2001年、伏見俊昭選手が初の2億円超えをし、翌年の2002年 山田裕仁選手が¥244,348,500を獲得します。
この山田選手の金額が現在の歴代最高賞金獲得額となっています。

 

知れば誰かに伝えたくなる「競輪の歴史」
次回もお楽しみに~♪

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