古性優作選手

2023.03.23

競輪界最強の“S級S班”。

約2,200名いる競輪選手(男子)の中で「GⅠ優勝」と「獲得賞金」でその座を勝ち取った者だけが君臨できる、競輪界の最上位ランクです。

 

2023年S級S班の9選手をインタビューで紹介します!

第7回目は、古性優作(こしょう・ゆうさく)選手です。

 

 

 

BMXの日本代表

 

7歳の時にBMXを始めました。

誕生日プレゼントで自転車を買ってもらいに行ったのが『ロードバイクやマウンテンバイクの専門店』。

そこに1台だけあったBMXを僕が選んだそうです。

家から車で30分くらいの練習場所へ通い、BMXの大会に参加していました。

 

中学ではラグビー部に入って、BMXのための体力作りをしていました。

高校ではBMXの日本代表にもなって海外遠征が多い生活でしたね。

BMXは2012年の北京オリンピックから正式種目になりました。

当時は17歳で、年齢制限のため出場できなかったんです。

高校卒業後は(2016年)リオオリンピックを目指して、アルバイトをしながらBMXを続けていました。

 

 

オリンピックに出場するためには、海外の大会に出てオリンピックポイントを獲得しないといけません。

アルバイトではその遠征費をまかないきれなかったので、「競輪をやりながら、BMXでオリンピックを目指そう」と思って、競輪学校(現:日本競輪選手養成所)への受験を決めました。

 

「普通の仕事をできる」とは思っていなかったですし、「どうせなら自転車を生かせる仕事がしたい」という気持ちでしたね。

競輪学校にいる間は正直、「BMXをやりたい」と思っていました。

夏休みの帰省ではピストバイク(競輪用の自転車)には乗らずに、BMXばかり乗っていました。

それなのに競輪学校に戻ると、在校1位のタイムが出たので、(BMXでの)身体の使い方が生きていたんだと思います。

 

デビューして半年くらいで、BMXとの両立を辞めたんです。

身体もどんどん競輪向きに変わっていくし、BMXへの情熱が薄れてきたこともありました。

どちらをやるにせよ「そんなに甘い世界じゃない」と感じていましたし、BMXへの未練はありませんでした。

 

 

僕は“ヨコの動き”や“他の選手を捌いて捲っていくこと”が得意なので、いまは自分の長所を最大限に生かすレースをしています。

でも、A級では1回しか優勝できませんでした。

当時はその長所を使わずに、「長い距離をもがいて力を付けよう」という思いで走っていました。

 

2年ほどでS級に上がれましたが、ギリギリでしたし、「まだ力が付いていないのにヤバイな」という思いでした。

A級での走りをしていなければ、いまはありません。

それからは、一つ一つ確実にレベルアップしていけたと思います。

 

 

 

あっせん停止期間中に掴んだ手応え

 

2021年にグランプリ初出場する前の2年間は、獲得賞金ランキングで惜しいところまで行きました。

でも上位9選手との力の差を物凄く感じていて、そこからが苦しかったです。

 

2019年にルールが変わったことも、自分の中ではすごくマイナスに働きました。

ずっと空回りしていて『歯がゆい状態』でした。

※先頭誘導選手(先頭員)を早期に追い抜く違反の失格基準が厳格化されたこと。

先頭誘導選手が退避する時期の基準が変更となった。詳しくはコチラ

 

そんな状況をガラリと変えたのが、2021年2月のあっせん停止期間です。

練習内容、自転車のフレームやセッティング・乗り方など、全てを変えてみたんです。

それが良い方向に行きました。

 

変えた当初はあまりにも感覚が良くなかったので、あっせん停止期間じゃなかったら元に戻していたと思います。

でも、乗り続けるうちに手応えを掴み始めて「これ進むかも!」と感じたんです。

あっせん停止明けの大垣記念で準優勝し「今年は勝負できる」と確信しました。

 

 

その後はウィナーズカップ(GⅡ)で決勝2着、オールスター競輪ではGⅠ初優勝できました。

そしてグランプリも優勝することができました。

まさか優勝できるとは思っていなかったので、できすぎた結果でしたし、「ハードルが上がった」という感覚でした。

 

 

どこまで行っても“挑戦者”

 

2022年は初めて赤いレーサーパンツを履き、グランプリチャンピオンのユニフォームも着させてもらいました。

それを経験して、『近畿の競輪』を守ることをもっと考えるようになりました。

 

村上(義弘)さんが作ってきた『近畿の競輪』。

村上さんはS級S班になっても自分の攻め続ける姿勢を、僕ら近畿の選手に見せ続けてきてくれました。

 

「『近畿の競輪』を守るには、僕が攻め続けるしかない」

その思いが、S級S班になっても「自分は自分」と変わらずにいられた理由だと思います。

 

S級S班になったからこそ、「もっともっと、できるやろ」。

それが、村上さんの見せ続けてきてくれた姿です。

村上さんを追い抜くことなんか絶対にできないですが、少しでも近づけたらと思っています。

 

 

僕は、どこまで行っても“挑戦者”。

若手選手のような気持ちで、どれだけ強い選手が相手でも「潰したる!」くらいの気持ちで走っています。

 

ひるんだら、絶対に勝てない。

自分がS級S班だろうと関係ありません。

 

意識してそう思っているわけじゃなくて、もともとそういう性格なんですよね。

 

「行ったろかい!!」

そういう気持ちで、いつまでも戦っていきます。

 

 

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