守澤太志選手
2023.02.28
競輪界最強の9選手“S級S班”。
約2,200名いる競輪選手の中で「GⅠ優勝」と「獲得賞金」でその座を勝ち取った者だけが君臨できる、競輪界の最上位ランクです。
2023年S級S班の9選手をインタビューで紹介します!
第3回目は、守澤太志(もりさわ・ふとし)選手です。
仕事として選ぶなら絶対に競輪選手
秋田県大仙市の出身で、幼い頃からスキーをやっていました。
小学生の頃に「アルペンスキーをやりたい」と両親に頼んでチームに入りました。
中学では部活で野球、冬はアルペンスキーをやっていました。
野球・アルペンスキーのどちらも、中学までで区切りを付けようと思っていたんです。
当時、“テニプリ”(テニスの王子様)が流行っていたので、「高校ではテニスをやりたい」と親に言ったら、「そんなもんで決めるな!」と怒られました…笑
スキーをやっていたので「足腰も他の人と比べて強いだろう」と思い、自転車競技を始めることにしました。
僕は圧倒的に長距離種目が得意で、ポイントレースやロードレースをやっていました。
高校卒業後は明治大学に進学して、国体ではポイントレース、インカレではロードレースで優勝できました。
競輪の道に進もうと思ったのは、「完全に“お金”」です笑
ロードを海外でやっていくのも大変だし、現実的にそこまで稼げるものでもないので…。
「仕事として選ぶなら絶対に競輪選手」だと思い、競輪学校(現:日本競輪選手養成所)を受験しました。
しっかり自覚を持って
競輪学校で掲げたデビュー後の目標は、「S級に上がること」。
もともと短距離の才能が無かったので、通用するとは思っていませんでした。
(A級3班の)チャレンジレースを半年間走り、レインボーカップ(チャレンジファイナル戦)で※特別昇班。
※A級3班の選手が3開催連続で完全優勝するか、「レインボーカップチャレンジファイナル戦」で3着以内に入着した場合、ただちにA級2班に昇班できる制度。
その後、A級戦を1年間走ってS級に上がり、「頑張ったな〜」という感じでした。
大学時代にお世話になっていたコーチから、「絶対に“追い込み”が良い」と言われていたんです。
自分でも「“自力”では通用しない」と感じていたので、どこかで一区切り付けて、“追い込み”に転身しないといけないと思っていました。
S級1班になった頃からは番手を回るようになりました。
技術も無く、いきなり“追い込み”になったので、落車もしましたし、失格もたくさん経験しました。
でも、その道しか無かったんです。
だから「続けるしかない」と思っていました。
2016年の久留米記念で、初めてGⅢを優勝しました。
連携した新田(祐大)くんがとてつもなく強くて、「みんなが新田くんを見ていた中で“優勝しちゃった”」感じでした。
レースが終わってから、新田くんに「これからはしっかりと自覚を持って」と言われたんです。
その一言で、気持ちに変化があったことを覚えています。
毎年グランプリに出るために
僕は、はじめからすごい選手でもなかったので、SSになれただけで“奇跡”だと思っていました。
「どうせ1年で終わるんだろうな」とも思っていましたが、実際にSSとして走ると、気持ちもレースへの臨み方も変わりました。
赤いレーサーパンツを履いていると、開催中に何をしていても、周りの選手からめちゃくちゃ見られるのを感じます。
以前までは僕もSSの選手をそういう目で見ていましたしね。
「このレースでどうやって勝つんだろう?」という番組でも、オッズを見るとお客様は自分の車券を買ってくださっている。
「絶対に無様なレースはできない」
「何とかして勝ちたい」
その気持ちの積み重ねで、やってきました。
「1戦1戦しっかりと走る」という気持ちで毎回挑んできたことが、いまに繋がっていると思います。
SSも3年目になりました。
ですが今更、威厳を出そうと思っても出ないんですよ、これが笑
「何か一つくらいキャラを立てないと」と思って、髪色でアピールしています笑
いまは毎年、グランプリに出ることが目標です。
タイトルを獲れたらいいんですけどね…笑
1戦1戦、良い着を取って、賞金を稼いで、またグランプリに近づけるように頑張ります!
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