Interviewインタビュー
編集部が選んだイケメン競輪選手を紹介する「イケメンコレクション」
今回は現在32歳、ホームバンクは平塚競輪場の北井佑季(きたい・ゆうき)選手にインタビューしました!
幼い頃からプロサッカー選手を目指し、20歳でその夢を叶えました。
FC町田ゼルビア・松本山雅FC・カターレ富山・SC相模原と、4つのJリーグのクラブで9年間プレー。
セカンドキャリアを考え始めた頃、身近にいた小菅誠選手(神奈川・90期)の職業である競輪選手を意識するようになりました。
サッカー選手引退後、半年間の練習を経て日本競輪選手養成所に技能試験で合格。
2021年に119期として、31歳でデビューしました。
2022年5月にS級への特別昇級を果たすと、9月には地元・平塚でS級初優勝。
GⅢでも2回決勝に進出するなど着実にレベルアップしています。
今年はビッグレース出場も控え、更なる飛躍が期待される南関東の先行選手です。
バキバキの上半身が大迫力!
努力を惜しまない、紳士・北井選手に注目です!
Jリーガーからの転向
———競輪選手になりたかったから
3歳からサッカーを始めて、プロのサッカー選手になるのが夢でした。
小学5年生の時に横浜F・マリノスのジュニアユースのセレクションに合格して、高校は中学の頃から一緒に練習させてもらっていた桐光学園高校に進学しました。
高校2年生の時の全国高校サッカー選手権大会ではベスト8になりました。
いくつかの大学から声を掛けてもらった中で学費が全額免除になるという近畿大学へ進学しましたが、大学2年の時にFC町田ゼルビアからプロ契約という話があり、大学を辞めてチームに入りました。
それからは松本山雅FC・カターレ富山・SC相模原と4つのチームでプレーしました。
憧れの日本代表だった選手たちとも同じチームでプレーすることもあって、とても刺激的でした。
2019年、29歳でサッカー選手を引退しました。
理由は、競輪選手になりたかったから。
競輪のことは小菅誠さん(神奈川・90期)が、幼い頃から身近にいたので知っていました。
そんなこともあって、松本山雅FCでプレーしていた頃から「引退したら競輪選手になりたい」という思いと、サッカーが好きだったので「少しでも長く続けたい」という2つの思いがありました。
なのでサッカーを引退した時は、未練が全く無かったです。
子どもも居ましたし「(日本競輪選手養成所の)試験は1回だけ」と決めて、高木隆弘さんに弟子入りしました。
当時の体重が61kg。
僕を見た高木さんに「競輪選手になりたいんだったら、練習よりまずメシを食え!」って言われました笑
高木さんに食事に連れて行ってもらって、ひたすら食べまくっていたことが懐かしいです笑
半年間の練習を経て、(日本競輪選手)養成所に技能試験で合格しました。
———ZARDとプリプリ
趣味と言えることがあまり無いのですが、近所をぶらぶらと散歩するのは好きです。
カターレ富山にいた頃は、富山競輪場の近所に住んでいたので、レースを見に行ったこともあります。
美味しいものを食べに行くことも好きです。
熊本で食べた馬刺しは最高でした!
松本山雅FC時代
音楽は1980〜90年代の曲をよく聴きます。
ZARDやプリンセス プリンセスとか笑
一番好きな曲は、槇原敬之の「どんなときも。(1991年発売)」です!
GⅢを自力で優勝すること
サッカーはチームスポーツなので、チームメイトと助け合い、相手のことを思う気持ちが大切という思いでやってきました。
その気持ちが競輪でも生きていると思います。
レースで1着を取りに行くことはもちろんですが、後ろに付いてくれる選手のことも思って走っています。
いまの直近の目標は、GⅢを自力で優勝することです。
今年からGⅠやGⅡを走れる機会ができるので、しっかり自分の走りをして、結果を残していきたいと思います。
———読者にメッセージ
選手たちはラインを思って走っています。
そう考えてレースを見てもらえると、競輪にもっと魅力を感じてもらえると思います。
応援よろしくお願いします!
次はどんなイケメン競輪選手が登場するでしょうか?
お楽しみに!!
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