デイリースポーツの競輪記者・松本直さんによるコラム「松本直のガールズケイリンちょっとイイ話」。第6回は、102期・熊本県所属の中川諒子選手。兄は85期の中川誠一郎選手。叔父、従兄弟も競輪選手。自身はウエイトリフティングに励み、早稲田大学へ。早大卒業後はJR九州に就職していました。大怪我を乗り越えて、今月7月には2年ぶりの「ガールズケイリンフェスティバル」出場!!地震の影響で再開に時間がかかった、地元・熊本競輪場に想いを馳せました。

中川諒子 再開後の熊本競輪場で、優勝を目指して

2021.07.01

小さなころから競輪が身近な環境にあった。

 

叔父(瀬口孝一郎・23期・引退)、いとこ(瀬口慶一郎・77期)が競輪選手として活躍。

兄(誠一郎・85期)も00年8月にプロデビュー。

中川諒子にとってプロスポーツ選手は憧れの存在だった。

 

しかしガールズケイリンができるのはまだ先の話。

学生時代はウエイトリフティングに熱中した。

 

「小さいころから競輪ってものは知っていましたよ。

自分が男だったら競輪選手になりたいと思った時期がありました。でも女子の競輪はなかった。

高校時代はなにかスポーツをしたいと思っていて、ウエイトリフティングを始めたのはフィーリング。

成績が良かったのは競技人口が少なかったから」と笑いながら話す。

 

 

高校卒業後、早稲田大へ進学。

東京ではアパートと大学の往復で自転車を使った。

「自転車に乗るのは好きでしたね。よく自転車で出掛けることもあった」

 

大学卒業後はJR九州へ就職。

車掌などいろんなことをして、仕事への不満は全くなかった。

 

 

ガールズケイリンへの挑戦は、2つ上の姉からの電話がきっかけだった。

 

「姉から電話で『スポーツ新聞にガールズケイリンが再開って出ているよ』って言われて。ガールズケイリンをやりたいって思いました。

よく兄(誠一郎)がきっかけでしょうと言われるけど、そこは姉なんですよ」と説明する。

 

選手を目指すと決めたものの、ガールズケイリンはまだ始まっていない段階。

自転車経験は大学とアパートの往復だけ。

 

未経験の状態からどうすれば試験に受かるのか全く見当が付かなかった。

 

兄は最大限の協力をしてくれたが、現役の競輪選手。

月に2~3本のあっせんが入れば、一緒に練習する時間は限られてしまう。

 

そこでインターネットでいろいろと検索をすると、弥彦競輪のサイトにたどり着いた。

「クラブスピリッツ」の存在だ。

 

競輪選手を目指すアマチュアの面倒を見てくれるところを発見。

兄に相談した。

 

兄と同期同学年の藤原憲征が新潟で選手をしていたこともあり、師匠になってくれることになった。

熊本から遠く離れた新潟へ単身で乗り込み、試験合格へ向けて本格的な練習を始めた。

 

 

流れている血は競輪一家の血。

自転車に乗り始めると才能は一気に開花。

 

日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の102期(ガールズケイリン1期生)として合格。

在校成績3位で卒業した。

在学中にはナショナルチームの活動にも参加。

世界選手権、ワールドカップと海外遠征も経験した。

 

 

プロデビューは2012年7月6日・京王閣競輪場。

兄の存在もあり、マスコミ、ファンの期待は膨らんだ。

 

予選2走を連勝し、決勝は2着。

デビュー戦完全Vこそ達成できなかったが、デビュー3場所目の平塚で初優勝。

年末にはガールズグランプリにも出場した(4着)。

 

以降も普通開催では決勝進出を積み重ね、コレクション、グランプリにも出場を続けたが、2期、3期、4期と選手が増えてくると、勝つこと、ビッグレースへの出場が段々遠のいていった。

 

 

大きなケガも経験した。

15年5月の取手では股関節、19年11月いわき平では骨盤を負傷した。

 

「取手で落車したときは打撲がひどかったくらいで動けていた。

でもいわき平のときは苦しかった。

福島の病院に1カ月入院することになり、いろいろ考える時期でした。

 

落車した当日の夜、このまま選手を辞めたくないって思った。

安定した仕事を辞めて、競輪選手になった。

保証はないけど、競輪選手には夢がある。

落車は痛かったけど、振り返るといろんなことを考えるいい時間になりましたね」

 

 

20年6月の小倉で戦列に復帰。

復帰2場所目の玉野は決勝進出を逃すも、最終日一般戦で1着をゲット。

しっかりレースで動いて脚を戻して、復活の階段を一段ずつ登っていった。

 

今年に入ると3月防府で19年8月久留米以来の優勝を達成。

以降も3月小倉、4月高知、6月前橋と優勝を積み重ね、7月には19年7月以来2年ぶり6回目のガールズケイリンフェスティバルに出場する。

 

「いわき平で落車したとき、寝たきりだったので、本当にいろいろ考えることができた。

いままでも頑張っていたつもりだけど、もう少し練習への取り組み方を変えてみようと思った。

ケガから立ち直りたい。ケガをしたけど上のステージを目指したいと思った。

 

もう一つ、きっかけになったのは、今年1月平塚のコレクショントライアル。

久しぶりに大きなレースへ参加して、ギリギリだけど決勝に乗れた。うれしかった。

 

その開催には同期の(荒牧)聖未がいて、聖未は決勝2着で5月のコレクションの出場権が取れた。

普段から聖未とは仲がいいし、いろいろ話をするので、自分のことのようにうれしかったし、2人で喜んだ。

 

聖未はライバルでもあるけど、応援していたし、自分にも刺激が入った。

その後の開催で優勝することができたので、平塚はきっかけの開催になりましたね」

 

 

久しぶりのビッグレース参戦も楽しみだが、中川にはもう一つの夢がある。

地元熊本競輪場でレースを走ることだ。

 

 

熊本競輪場は16年4月の地震で大きな被害を受けてしまい、再開のめどがなかなか立たなかった。

しかし先日、熊本市長が競輪場の再建を正式に表明。

24年度の再開を目指していることが発表された。

 

中川にとってもうれしい知らせだった。

 

「自分は新潟支部所属のときに、熊本で2回(13年8月、15年5月)走ることができた。でも2回とも決勝が2着と悔しい結果で終わっている。

だから熊本が再開して開催に参加できることになれば、優勝したいですね。

 

17年1月に新潟から熊本に戻って、最初のころは(田仲)敦子しかガールズがいなかったけど、最近は橋本佳耶、村田奈穂、西島叶子に5月にデビューした中村鈴花とメンバーが増えた。

 

ガールズの仲間がいると練習も盛り上がるし、モチベーションが上がる。

年齢は重ねたけど、体はまだ若い。パワーアップできると思っている。

 

熊本競輪場が再開するのが3年後。

そのときに優勝することが今の夢であり目標です」

 

 

大きなケガをきっかけに、意識を変えて好成績に結び付けた中川諒子。

 

次は熊本競輪再開をきっかけにさらなる高みを目指していく。

 

 

 

 

中川諒子 Ryoko Nakagawa

誕生日:1984年5月29日
期別:102期
身長:166.9cm
登録地:熊本県

 

松本直 Suguru Matsumoto

誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)

 

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