30歳を迎える1期生・増茂るるこ 悲願の地元初優勝へ!

2021.12.02

東京都出身。

団地住まいだったので、家にいるより、表で体を動かして遊ぶことが多かった少女時代。

 

体を動かす仕事をしたかったので、小さなころの夢は体育教師になることだった。

 

小、中学生のころはバドミントン。

高校ではサッカーに熱中。

 

大学選択も体育大一本。

東京女子体育大学に入学し、体育教師への道にまっしぐらだった。

 

 

ガールズケイリンとの出会いは偶然だった。

 

夏のバイトは立川の昭和記念公園のプールの監視員。

夏が終わりバイトが終わると思っていたとき、同僚が立川、京王閣の競輪場内の食堂の店長だった。

 

「バイトがないなら、ウチでバイトすれば」と声をかけられて、競輪場内の食堂でのバイトが始まった。

 

 

同じ時期にガールズケイリン1期生の募集が始まった。

バイト先の店長に「ガールズケイリン、やってみれば」と声をかけられ、気持ちが傾いた。

 

大学には入学したものの、部活に入らずサークルでフットサルをしているだけ。

物足りなさがあった時期だったこともあり、話はトントン拍子で進んでいく。

 

 

日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)受験に向けての師匠探しもすんなり見つかった。

バイト先の店長の知り合いが佐久間仙行(62期・引退)で引き受けてくれた。

現役を引退し、今はマッサージ師をしている佐久間の、ただ1人の弟子が増茂だ。

 

「11月にガールズケイリンへの挑戦を決めて、1月の試験までの間は師匠がみっちり鍛えてくれた。

そのおかげで競輪学校に入学することができました」と振り返る。

 

大学を休学して競輪学校へ入学。

プロデビュー後、選手と学生の両立をして、きっちり卒業することはできた。

 

 

競輪学校時代は1期生ということもあり、教官も生徒も手探り状態。

 

「自転車経験がなかったし、必死に練習をしていた感じ。

同期も楽しい人が多かったので、苦しいって感じはなかった」

 

3月に競輪学校を卒業。

7月のガールズケイリン1発目の平塚開催にあっせんされた。

 

「デビュー戦は声援がすごかった。プロの選手になったんだなって実感しました」

 

 

デビュー戦の平塚は決勝進出。

2場所目の松戸で初勝利、6場所目の松戸で初優勝。

 

7月から12月の半年で3回優勝して、年末の12月には第1回ガールズグランプリ(5着)にも選出された。

 

「1年目はちゃんと一つずつレースができて、成長することができていましたね」

 

 

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