蛯原杏奈 スキー出身の道産子ガール、競輪への挑戦
2022.01.10
北海道幕別町出身。
兄、妹との3人兄妹。
酪農業を営む家庭で育った。
小さいころは2つ上の兄の影響を強く受けた。
「蹴ったり殴ったりじゃれ合って、兄とはよく一緒に遊んでいました。
スピードスケート、スキーに野球と兄の影響でスポーツを始めることがほとんどでした」
雪のない夏場は兄や男子に混じって野球をすることが多かった。
キャッチャー、ピッチャーと器用にこなしたそうだ。
中学へ進学するとアルペンスキーを本格的に始める。
アメリカへ遠征に行くこともあり、将来を期待されていた。
高校は青森県の柴田女子へスキーで進学。
このころの夢はオリンピックに出場することだったと話してくれた。
しかしアルペンスキーでナショナルチームに入るまでの実力はなかったため、大学進学の選択のときは迷った。
「このままスキーを続けると自己満足になってしまう」
オリンピックに出場できないなら、どこかで線を引くことが必要だった。
そんなとき、父からガールズケイリンのことを教えてもらった。
兄と後の師匠になる斎藤明(61期)の子供が同級生だったこともあり、競輪の存在は知っていた。
スキーで限界を感じていた時期で、ケガも多かった。
父からの「若いうちにしかできないこと。挑戦してみたほうがいいよ」という言葉が後押しになり、競輪への挑戦を決めた。
高校2年生の夏、函館競輪場で初めて競輪用の自転車にまたがった。
「楽しかった。ガールズケイリン、やってみよう」
ガールズケイリンへのスイッチはすぐに入った。
日本競輪選手養成所の試験に向けて練習を始めたが、同年の冬、スキーの練習中にじん帯を切ってしまった。
懸命なリハビリと、試験に向けて練習はしたが、118期の試験は不合格になってしまった。
しかし競輪への熱がさめることはなかった。
「今思うと、1回目の試験は不合格でよかったかも。自転車のことを何も知らなかった。
2回目の試験に向けて自転車の勉強もしたし、しっかり練習もできましたから」
これで最後と決めて挑んだ120期の試験は見事に合格。
競輪選手への第一歩を踏み込んだ。
日本競輪選手養成所は在所成績12位で卒業。
デビュー戦は5月静岡のルーキーシリーズ。
5着、2着で予選を突破。決勝は6着。
2場所目の名古屋では最終日に1着も挙げた。
3場所目の和歌山でも決勝進出。
同期だけの戦いでは結果を残すことができたが、プロの世界は甘くなかった。
本デビューの7月いわき平。
予選2走は5着、4着。
最終日はレースカットのため走ることができず強制帰郷を味わった。
「このままじゃ大変だと思いました。
同期だけで走っているときと先輩と走るときは全然違った。
長い距離は踏めないけど、ダッシュや追走はできているし、自信のある部分で勝負していこう」
プロデビューしてすぐに自分のセールスポイントを把握してレースで出していくことを誓った。
なかなか結果に結びつかなかったが、コツコツ自分のできることをやっていくことで少しずつレースに慣れていった。
8月の地元函館では石井貴子(東京・104期)の番手を回り、しぶとく走って3着。
9月松山では石井寛子(東京・104期)のまくりに離れず追走して2着。
蛯原杏奈の戦い方が見えてきた。
「石井寛子さんは憧れですね。自分で何でもできるし本当に強い。
松山で後ろに付いて本当にすごいと思いました。
男子では佐藤慎太郎選手が格好いい。昭和の熱い男って感じが好きなんです。
5月の函館記念に慎太郎さんが参加して、あいさつをすることができました。
そしたら後日慎太郎さんからアンダーシャツが届いた。
レースに参加するときは着させてもらっています」
デビュー期は47点ぴったりで終了した。
今期は自信のあるダッシュ力を生かしたマーク戦で成績を安定させたい。
選手になって初の冬シーズンは、いわき平へ冬期移動をして練習に励んでいる。
佐藤慎太郎のような気持ちの入ったレースで50点台をキープしたい。
マーク、差しで車券に貢献する蛯原杏奈の今後から目が離せない。
蛯原杏奈 Anna Ebihara
誕生日:1999年8月7日
所属:北海道
期別:120期
身長:155.0cm
松本直 Suguru Matsumoto
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)
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