“突っ張り先行”で魅せる! 刈込奈那

2022.03.04

小さなころの夢は獣医師になること。

新体操に熱中し、ドジョウの飼育が趣味だった少女がガールズケイリン選手になるまでの道のりを探ってみる。

 

千葉県松戸市生まれ。3歳のときには千葉市へ。

たくさん自然に触れて育った。

 

 

千葉市へ移り住んだころから新体操を始めると、小学6年まで続けた。

中学校へ進学すると部活動の選択で迷った。

 

「2クラスしかない小さな中学校だったので、部活がテニスとバレーボールしかなかった。室内競技をしたかったのでバレーボールを選んだんです」

 

高校進学は思い通りにいかなかった。

第一志望の入学試験に落ちてしまい、滑り止めで受けていた敬愛学園高校へ入学する。

 

しかしここが刈込奈那の人生のターニングポイントとなった。

敬愛学園高校の先輩には110期の蓑田真璃がいる。

 

高校に入学し部活動を決めるときの出来事。

学校の中庭にある池のそばで、自転車競技部が勧誘をしていた。

 

池にいる小動物に興味があり、フラフラと近づいていくと、3本ローラーの上でもがく自転車競技部のメンバーに声を掛けられ、流れの中で自転車競技部へ入部することとなった。

 

 

「ママチャリしか乗ったことがなかった」

自転車競技未経験だったが、周囲のサポートを受けて部活動をスタート。

 

基本の練習は校内での3本ローラー。

たまに旧千葉競輪場でのバンク練習もあったと振り返る。

 

「千葉競輪場で初めてピストレーサーに乗ったときのことはよく覚えています。

ハンドルは低いし、サドルは堅い。

ブレーキもないし、止まれないって感じでした。

でもすごく楽しかった思い出です」

 

 

部活動としての自転車競技はとても楽しかった。

そこから職業・ガールズケイリンへの道のりはなかなか険しいものとなった。

 

「ガールズケイリン選手になりたいって思ったのは高校2年の後半でした。

ガールズサマーキャンプには高校1年から参加していて、キャンプ中に118期の杉浦菜留と仲良くなった。

菜留が選手を目指すっていうことを聞いて、自分もやってみようかなってなりました。

菜留とは関東と東海で地区が違うから、大きな大会やサマーキャンプのときにしか会えなかったけど、いろんな話をする仲です」

 

杉浦菜留

 

高校3年生のとき、日本競輪選手養成所118期の試験を受験するも、1次試験で不合格。

試験に手応えがなかったこともあり、試験会場から自宅まで泣きながら帰ったと振り返る。

 

ガールズケイリンの試験は年に1回。

1年間の浪人生活はジムと自宅の往復だった。

 

「もともと試験は2回まで受けようと思っていました。

1回目の試験でタイムが出なかったし、パワーと瞬発力が足りないと思った。

浪人中はジムにずっといて、パワーマックスとウエートトレーニングをやっていました。

我慢強さが自分の持ち味なので」

 

練習の成果で試験前は落ち着いて臨めた。

「ここまで練習をしっかりやった。やり切った」

1回目の挑戦でつまずいた、1次試験は見事にクリア。

 

しかし、日本競輪選手養成所入学には二つ目の関門、学科試験が待っている。

「1次の実技試験を突破したことはうれしかったけど、2次試験の学科は自信がなかった。

せっかく1次を通過したのに、2次で落ちたくないし、必死で勉強しました」

 

1次試験突破後は、トレーニングに打ち込んだパワーを苦手な勉強にシフトチェンジ。

必死に頭の中に詰め込んで、なんとか2次試験も合格。

念願の日本競輪選手養成所へのチケットをつかみとった。

 

試験の合否発表前には一緒に118期を受験して落ちてしまった高木香帆と連絡を取り合い、2人そろって合格できたことがうれしかったと教えてくれた。

 

師匠の江本博明

 

師匠・江本博明との出会いは高校時代。

刈込奈那の母が看護師をしていた病院に江本が通院していたことがきっかけ。

中々成績の出ない娘を心配した母が江本に声を掛けた。

 

「(刈込)奈那が1回目の試験で落ちてしまったときは、どうしようって思いました。

自分も同じ時期に大ケガをしていたので、なかなか一緒に練習をすることができなかった。

練習メニューを渡すことくらいしかできない時期もあった。

奈那は先行で勝てる選手になりたいって気持ちが強いのでいろんなアドバイスをしてあげたい」

 

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